第22話 日常の始まり

 紫音視点


「なんでも好きに使ってね。帰ってくるの日付が変わっちゃうと思うから、待たずに寝てね。夜に近所の人が来ることはまず無いから、誰か来ても出なくていいからね。宅配も、今頼んでるものは無いから。あとは……」

「紫音ちゃん……私歳上なんだけど……」

「分かってるけど、心配で」

「心配しすぎ」


 一度家に帰ってきて、このまま彩那さんとのんびりしたいところだけど、バイトがあるから家を出なければいけない時間が迫ってきた。家で待っててもらうのは初めてだから、と念押しをしていれば彩那さんに心配しすぎだと苦笑された。


「行ってらっしゃい。気をつけて……っん、しおんちゃ……」

「はぁ、かわいい……よしっ、行きたくないけど、行ってきまーす!」


 玄関まで見送りに来てくれた彩那さんが可愛すぎて、堪らず抱きしめてからキスをした。このままだと離れられなくなりそうで、わざと明るく家を出たけど、彩那さんにはバレバレだったみたいで優しく笑って手を振ってくれた。可愛い。


 "行ってらっしゃい"も"おかえり"もこれから日常になるなんて、幸せで胸がいっぱいになる。見送られることも、迎えてもらうことも、当たり前じゃないって知っているから。



「紫音、今日はドリンク作りの方メインでよろしく」

「はい」


 美和子ちゃんからの指示でせっせとドリンク作りをしながら、彩那さんは今何してるかな、とか明日の朝ごはんは何にしようかな、とか仕事とは全然関係ないことばかり考えてしまう。

 もちろん、ドリンクはちゃんと確認しながら作ってるから問題は無い。……ないよね?


「カフェラテの氷少なめ、ミルク多めお願いします」


 この注文が入る度に、彩那さんが浮かぶ。あの時はドリンクを受け取りに来たのが彩那さんで、わざわざ会いに来てくれたことが嬉しくて、先輩に気づかれたんだっけ。


 まだ終わりまで時間があるのに、会いたくて困る。早く家に帰って、彩那さんを抱きしめて眠りたい。


「カフェラテの氷少なめ、ミルク多め、お待たせしました」

「ありがとうございます!! いつも美味しいです!」

「ありがとうございます。またお待ちしております」

「絶対来ます!! 毎日来ます!!」


 それなりのお値段なのに毎日なんて凄いなぁ、とドリンク作りに戻れば、レジ対応中の美和子ちゃんと目が合って、何故か苦笑された。



「紫音、最近増えた注文って何か分かる?」

「んー、やっぱり限定商品かな?」

「カフェラテの氷少なめ、ミルク多め」

「え?」

「その注文が入ると、紫音が微笑むからだと思うんだよね」

「え?」

「並んでる時に気づいたお客さんが頼んで、それを見て……って」

「ええ?」


 休憩中、美和子ちゃんに言われた言葉の意味がすぐには分からなかった。確かに、彩那さんのことを考えてるけど笑ってた? 恥ずかし……


「彩那でしょ」

「あ、うん。前に彩那さんが注文してくれたのがそれで」

「今日は特に機嫌がいいよね」

「そんなに分かりやすい?」

「うん」


 彩那さんと一緒に住める喜びがダダ漏れってことか……でも、どうやって抑えたらいいのかなんて分からない。


「彩那さんが一緒に住んでくれることになって」

「そっかぁ。……良かったね。本当に良かった」

「色々、ありがとう」

「どういたしまして」


 安心したように笑った美和子ちゃんを見て、本当に人に恵まれたなって嬉しくなった。



 バイトを終えて家に帰れば、お願いした通り待たずに寝てくれたのか静かだった。玄関に並べられた彩那さんの靴が目に入って、それだけでジーンとする。


 ゆっくり寝室のドアを開ければ、彩那さんの寝顔が見えて、開けてくれているスペースにすぐにでも飛び込みたくなる。シャワーを浴びる前に見に来たのは完全に失敗だったな……


「ん……しおんちゃん? おかえり」


 どうしても触れたくなって、ベッド脇に膝をついて彩那さんの頬に触れれば、ゆっくりと目が開いた。


「起こしちゃってごめん。ただいま」

「うん」

「ごめんね、おやすみ」

「うん」


 シャワーを浴びてまた戻ってくればいいって分かっているのに、離れたくない。朝でもいいかな、なんて考えが頭をよぎったけど、朝だって絶対離れたくないだろうし、朝ごはんを作ってあげたいし……よし、入ってこよ。



 アラームが鳴って、抱き寄せていた腕をそっとずらされて、彩那さんが起き上がる気配がする。彩那さんより先に起きて朝ごはんの準備を済ませて、もう一度隣に潜り込んで寝たふりをしている真っ最中。


「起きてるでしょ」


 あれ、バレてる??


「……紫音ちゃん?」


 いや、まだ確信は無さそうかな?


「しおん、起きて?」

「っ!?」

「ふふ、おはよ」


 ガバッと起き上がれば、イタズラが成功したように笑う彩那さん。朝から可愛い。それよりも、呼び捨て!?


「おはよう。彩那さん、もう1回言って?」

「何を?」

「名前」

「紫音ちゃん」

「……うん。"ちゃん"なしでもう1回」

「また今度ね」

「えぇぇ……」


 彩那さんから"紫音ちゃん"って呼ばれるのはもちろん好きだけど、呼び捨て、とても良かったです……


「紫音ちゃんも呼んで?」

「え」


 それは呼び捨てでってことですか?? "あやな"って??


「ほら、早く」

「あ……あや……あ!! そう、ご飯できてます!! ほら早くしないと出社時間が!!」

「そんなに急がなくてもまだ時間あるよ」

「ないんです! 行きますよ!」


 くすくす笑う彩那さんの手を引いて、リビングに向かう間も、ニヤニヤしながら催促された。たまにSっ気出してくるのやめて欲しい。そんな彩那さんも好きだけど。


「ねぇ、いつから気づいてたの?」

「ん?」

「起きてたんでしょ?」

「あぁ。紫音ちゃんが部屋に戻ってきた時かな」

「嘘でしょ……」


 ご飯作り終えて戻ってから? 10分以上は彩那さんの事眺めてたと思う。なんなら、キスもしちゃったし。唇では無いけど。


「ちゅーして起こしてくれるのかなって待ってたんだけどな」

「っ!?」

「今度はちゃんとしてね?」


 人差し指で唇に触れて見上げてくる彩那さんが可愛すぎて辛い。あんまり誘うと会社行かせたくなくなるんですけど?


「まだ時間あるしベッドに……」

「だーめ。ご飯美味しそう。いただきまーす」

「ですよね」


 さっきキスしておけば良かったなって心底後悔。寝込みを襲うみたいで躊躇しちゃったけど、明日からは毎日キスで起こそう。彩那さんがいいって言ったんだから、覚悟しておいてね。

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