五分で読書 悪役令嬢はいさぎよい(短編読み切り)

ふろたん/月海 香

悪役令嬢はいさぎよい(五分で読書応募作品)

「お互い愛妾あいしょうを持ちましょう」

 十六歳になったばかりの少女に、婚約者こんやくしゃになった当日のお茶会でそうげられた。

彼女は何を言っているんだ?

「……確かにこれは契約結婚けいやくけっこんだけど」

「ええ! 貴族の結婚は人脈じんみゃく作り。国内のパワーバランスの調整……つまりビジネスですわ?」

婚約者こんやくしゃになった伯爵令嬢はくしゃくれいじょうアンナはあくまで営業スマイルつくりわらいで言葉を続ける。

「わたくしは貴方あなたにビジネスパートナーであることを求めはしますが、それ以外は束縛そくばくしたくないんですの」

「あ、あのね……?」

「はい!」

初対面の婚約者こんやくしゃに“愛人あいじんを良しとする”だなんて、ひどいことを言っている自覚はあるんだろうか?

「……例え契約結婚けいやくけっこんでも私なりに君を愛そうと思ってるんだよ」

「まあ! それは不毛ふもうですのでおやめくださいな!」

「え……」

「わたくし、貴方あなたほども興味がないんですの」

婚約者アンナはそう言って妖艶ようえん微笑ほほえんだ。

「ですので貴方あなたは私に無駄むだな労力をかける必要はなくてよ」


「はぁ……」

 溜め息と共に自室に入ると世話係のエディが上着を預かってくれた。

「いかがなさいましたか?」

「それが……婚約者こんやくしゃのことなんだけど」

出会い頭にめかけの話をされた、と愚痴ぐちをこぼすとエディは驚きもせずやはり、と口にした。

「ベルフラワー伯爵令嬢はこれまでのご婚約者にも全てその態度だったそうです」

「本当?」

「はい。どなたにもご興味がないのは事実のようですし、これまでの殿方とのがたはご令嬢の興味を引こうとしてことごとく失敗なさったと」

エディが言うには、社交界では既にワガママなご令嬢だの高飛車たかびしゃだの男の味見がしたいだけだの好き勝手に言われているらしい。

「ダニエル様は次の生贄いけにえだ、などと言ううわさも」

生贄いけにえって……」

「事実、ベルフラワー伯爵はご令嬢を持て余しているそうです。今回も婚約破棄こんやくはきになるのではとお考えのようで」

「二回婚約破棄こんやくはきになったことは聞いてたけどこれほどとはね……」




 私は不良物件ふりょうぶっけんを買ってしまったようだ。

そう考えていたのだが、婚約者こんやくしゃとなった伯爵令嬢アンナは驚くほど優秀だった。

手紙を送ればすぐに返事が来る。

お茶会はそつなくこなす。

夜会は出席回数をおさえているが出なければならない招待しょうたいには必ず顔を出す。


(どこが高飛車たかびしゃなお嬢様なんだ?)

 目の前で紅茶を飲む婚約者こんやくしゃをじっと見つめていると彼女はにこっと微笑ほほえむ。

「何です?」

「いや、その……なぜ二度も婚約破棄こんやくはきになったのだろうかと思って」

お茶会の話題としては相応ふさわしくないが、気になって仕方なかった。

「もしうわさを信じるなら君に相当な欠点があるように思われるんだけど」

「その通りですわ?」

自らを認める人間がどうして楽しそうに微笑ほほえむのか、私にはわからない。

貴方あなたもわたくしを押し付けられて、可哀想かわいそうな人ですね」

(それはこちらのセリフだと思うが)

君は周りに悪と決めつけられて心が痛まないのだろうか?


 何度かお茶会と夜会をして、私は婚約者こんやくしゃのよくない噂をたくさん耳にした。

「気に入らないご令嬢の足を引っかけてつまずかせたり」

「とあるご令嬢には面と向かって紅茶をこぼして!」

「……それは本当なんですか?」

つい口が出た。何だろうこの、寄ってたかって一人を標的にしている感じ。“あいつなら、こいつならいじめてもいい”って言う空気。

「あくまで状況証拠じょうきょうしょうこでそう思われているだけでは?」

「まさか!」

「私は目の前で見ました!」

私の目の前で礼儀れいぎ正しくお茶を飲む彼女が?

にわかに信じがたい。そして彼らは口を揃えてこう言う。

“あんな女はやめておけ”と。


「気分が悪そうですわね」

「君に関するうわさでね」

「まあ」

 何で笑っているんだ君は。

何度目かの二人きりのお茶会。アンナはクスッと微笑ほほえむ。

「それは申し訳ございません。わたくしのせいですね」

まあね、と言いかけてやめた。アンナが嬉しそうだったからだ。

「……今までもこうやって相手を疲弊ひへいさせて婚約こんやく破棄はきさせた?」

「そうだとしても貴方あなたに関係ございまして?」

だからどうして、笑っていられるんだ? 君は。

「腹が立たないの?」

うわさのことをおっしゃっていて? 事実ですから」

「事実だとしても外野がとやかく言う権利はないよ」

「あらまあ。正義感のお強い方なのですねダニエル様は」

「私をほかの婚約者こんやくしゃと同じに考えないでね」

「まあ」

アンナは赤黒い扇子せんすで口元を隠して目を細める。

「前の婚約者こんやくしゃと同じことをおっしゃるのね」

「……そうやって相手をあおって気を引こうとしている?」

「まさか」

彼女はまた目元だけで微笑ほほえむ。

「既に申し上げましたわ。わたくし、他者たしゃに毛ほども興味がないんですの」




 アンナの気を引くのはドラゴンを仕留しとめるより難しいようだ。だから無理に気を引くのはやめた。定期的にお茶会をして無難ぶなんな話をし、事務的に夜会に顔を出し婚約者こんやくしゃとして振る舞う。それ以上は望まない。

 とある夜会でアンナは他の令嬢にシャンパンを引っ掛けた。でもそれは相手の態度が悪かったからだし、彼女は無礼ぶれいな女に相応の態度を取っただけ。なのに悪者にされるのは彼女の方。

毅然きぜんとしていて、言い訳をしない。

味方がいなくても一人で背を正し相手を糾弾きゅうだんする。

アンナはこう言う対応に慣れているだけだ。

いつの間にか私は彼女に本気でれていた。でもそれを押し付ける気もなかった。




「最近どうなさったんですの?」

 初めて彼女が私に興味を抱いた。

いつものお茶会。頭の中に無難ぶなんな話題を三つ用意していた私は出鼻でばなをくじかれた。

「わたくしの気を引くのをおやめになった割にプレゼントに気合が入っていますね」

「……まあね」

いさぎよい君にれましたとは言わない。言ったら鼻で笑われそうだ。

「ああ、卒業と同時に結婚だからそろそろ気合いを……と?」

「そう受け取ってくれて構わないよ」

「まあ」

私たちは高等教育を受ける身。学園から足が離れれば基本は結婚して所帯しょたいを持つ。家や領地りょうちのために。

「前にした話を覚えているかな? 愛妾あいしょうを持つと言う」

「ええもちろん。自らした話ですもの」

「私は愛妾あいしょうを抱える気はないよ」

私の言葉でアンナは不愉快ふゆかいだと眉をひそめた。

「君に愛されていなくても、契約結婚けいやくけっこんだとしても、愛妾あいしょうを抱える不義理ふぎりな男とは思われたくない」

そう言うことか、と彼女は表情を和らげた。

「それは貴方のプライドの問題ですわね。お好きになさって」

「そうするよ。だから君も好きにしていい」

彼女が愛妾あいしょうを抱えても文句は言わない。その覚悟をしていると目で言えば彼女は大きく溜め息をついた。

「夫に非がないのに愛妾あいしょうを抱える必要はありませんわ」

「非がない? 本当?」

「今のところビジネスパートナーとしての責任は放棄ほうきされておりませんし文句はございません」

つまり私は婚約者こんやくしゃとして薬でもなければ毒でもない。だから気にしない、と。

「そう」

無難ぶなんな話はすっかり吹き飛んでしまった。

優雅ゆうがに紅茶を飲む彼女を見て私は贈り物をさらに増やそう、と思った。




「恥ずかしくないのかしら?」

 卒業間近、学生だけの夜会にて。最終学年に編入へんにゅうしてきたベアトリスという令嬢をめぐって令息たちが大騒ぎ。

アンナはそれはもう嫌悪感けんおかんを全面に出し、周りの令嬢たちもベアトリスへの反応は冷ややか。

令息たちは婚約者こんやくしゃがいる身でベアトリスにうつつを抜かす恋狂い。

自分達が世界の中心だとでも思っているらしい。

「恥ずかしいことをしているつもりはないんだろう」

「文句の一つくらい言いたいわ」

「君はまたそう言う……。頼むからこの場で目立つのはやめておくれよ」

「まあ、何故です?」

騒ぎの中心に突っ込む前に私の意見は耳にしてくれるらしい。ならばと彼女の腕をつかおおいかぶさるようにささやく。

無論むろん、君が余計なを買って出ないようにだよ」

「ですから何故?」

「私は婚約者こんやくしゃが悪目立ちするのを黙っていられるほどお人好しじゃない」

「まあ」

その日初めて彼女は心から微笑ほほえんだ。

「ではこの不愉快ふゆかいな演劇からわたくしをさらってくださいまし」




なんじめる時もすこやかなる時もアンナリーゼ・エル・ベルフラワーを愛し、妻とすることをちかいますか?」

ちかいます」

 友人たちはいまだに誰がベアトリスの婚約者こんやくしゃに収まるかめる中、私たちはつつがなく式を迎えた。

「汝、める時もすこやかなる時もダニエル・イリス・ウェントリーを愛し、夫とすることをちかいますか?」

「愛するかどうかはわかりませんが、夫とすることをちかいます」

こんな時まで彼女は自分の意見を通す。そこがいいところだけど。

ちかいのキスはくちびるに限りなく近いほほに。そう振ったのにアンナは自ら唇を重ねてきた。

驚いて顔を見るとアンナは珍しく頬を染めた。

「一生に一回あるかないかの式くらい、口付けてもよくてよ」

彼女の言葉を聞いて私はもう一度彼女に口付けた。後悔したくなかったからね。


 意外なことにアンナは初夜を迎えるベッドの上でふるえていた。てっきり普段の感じで堂々と責務せきむをこなすものだと思っていたのに。その辺りはほかの女性と同じらしい。

「君が嫌ならしないよ」

「いいえ」

彼女は怖がっていながら毅然きぜんとしていた。

「仕事ですもの」

「……それはそうだけどね。命を宿すって言うのは大きな責任を伴うし、軽率けいそつにするものじゃないと思うよ。私たちの場合快感を求めるだけの行為こういとはならないだろうし。他の男たちはともかく」

ベアトリスらのことをなじると彼女は力が抜けたのかクスッと笑った。

「貴方もそんなことをおっしゃるのね」

「誰かさんの影響でね」

ベッドに寝そべり、隣へ来てとさそうと彼女はすっかりリラックスして要求に応えてくれた。

今宵こよいはゆっくりお喋りしよう」

気のない素振そぶりをしていたら彼女は心を開いてくれて当初の目的は達成できた。恥じらう彼女は花のように愛らしかった。




 四年った。ベアトリスの周囲はまだ色香いろかに狂う男たちでいっぱいで、社交界では良くも悪くも有名人。悪評あくひょうの方が多いようだけど。

辺境伯領へんきょうはくりょうの私たちには関係ないことだけど」

「まあ」

アンナは生まれたばかりの息子をあやしながら私と三歳の娘を微笑ほほえましく見守る。

「この子らをあの打算ださん陰謀いんぼう渦巻く世界に放り込まなきゃならないと思うとつらいな」

「だからこそ対抗手段を覚えさせるのですよ。わたくしがそうでしたから」

妻はそんなことを言ってニッコリと笑う。

「両親は打算ださんで近づく人間ごと周りをふるいにかけなさいと」

「それであんな態度を?」

「他に理由がありまして?」

義理ぎりの父は波風を立てぬようにとは言わず波を立ててもいいから強さを身につけなさいと教えたようだ。それならこれまでの彼女の態度にも納得がいく。

荒波あらなみは立たないことが一番だけど、相手がわざと仕掛けてくるなら最後まであらがって堂々としている方が美しい」

「あら、珍しく全く同じ意見ですわ」

「君のことをめたんだよ」

妻はきょと、と目を丸くした。

「君のそう言うところがいさぎよくてこのましいから結婚したんだ」

「……まあ」

妻は薔薇バラのように真っ赤になった。

「君が好きで結婚したんだよ」

「……知っております」

「いつ気付いたの?」

「贈り物が増えた頃から薄々うすうすと。でも自信がなくて」

「君が?」

常に自信満々じゃないかと言うと彼女はほおふくらませる。

「あなただってベアトリスにからめ取られる可能性があったのですよ」

「私が? ないよ」

「いいえ、あったんです」

妻は妙にはっきり告げた。

「ではそう言うことにしておく」

「まあ! 本気にしておりませんわね!?」

色香いろかに狂う自分が想像できなくてね」

私の秘密の恋はとうに叶っていたらしい。それはそれで意地悪な話だ。

「ならこれから君への恋心を隠す必要もないよね?」

この地域では珍しい黒髪をすくって口付けると妻はまた赤くなった。

「贈り物が多すぎても受け取り切れませんわ」

「全て使う必要はないよ」

「でもあなたがくださった物ですし」

「そう、だから君の好きにしていい」

私が妻に口付けていると娘も真似をして弟に口付けた。

「まあ可愛らしい」

まだ喋り出さない愛しい娘は満面まんめんの笑みで妻と私の頬にも口付けた。

「幸せだね」

「あなたがおっしゃるならそうなのでしょう」

妻はそうだ、と手を打った。

「あなたがくださったドレスの一部をエリスのために仕立て直します」

「構わないけど」

「残りの生地で小物を作ればわたくしとお揃いですわ。どう? エリス。お母さまとお揃いのバッグは」

愛娘まなむすめは元気よくあい! と返事をした。

「エリス、あなたお話しできるのね!」

アンナは嬉しい、と何度も娘に口付けた。

 いつか妻はこの結婚はビジネスだと言った。私はやっとあの頃の彼女に意見が言える。

結婚けっこん契約けいやくも、信頼しんらい関係あってこそだよね、と。




──『悪役令嬢はいさぎよい』・完

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