第02話 告白

 南校舎西側の一階、その奥の奥。そこには、いわゆる資料室と呼ばれる部屋がいくつも並んでおり、放課後は特に人気がない。


 そんな場所に少女が一人立っていた。


 絹のように長い黒髪、雪のような白い肌、制服から伸びるすらりと長い手足や不安になりそうな程細い腰らはまるでモデルのようで、見る者の視線を否応いやおうなしに奪う。


「……」


 かくいう僕もその例に漏れず、思わず声を掛けるのも忘れてその姿に見入ってしまう。


 高梨氷菓。

 それが僕を呼びだした者の名前であり、あの手紙の差出人だった。


 手紙の内容は至ってシンプルで、話がある事と放課後この場所で待つという事、そして差出人の名前だけが書かれていた。


 一瞬イタズラの可能性も考えたが、記された字のあまりの綺麗きれいさに、その考えはすぐに霧散むさんした。そう思わせるほど、そこに書かれた文字は美しかった。


 気配に気づいたのか、ふいに高梨さんの視線がこちらを向く。


「――!」


 目が合い、僕の体はより一層固まる。


 へびにらまれたかえる――とは違うが、状況は似たようなものだろう。呼吸すら自分の意思で上手く出来ない、そんな状態だった。


「お待ちしておりました」


 満面の笑みで発せられたその言葉が、自身に向けられたものだと認識するまで数秒の時間を有した。


 それも仕方がない事だと思う。


 僕のような凡人ぼんじんに、高梨さん程の存在が満面の笑みを浮かべるなんて、天地が引っくり返るくらい有り得ない事で、今現在も何か裏があるのではないかと頭の中のCPUが絶賛高速回転中である。


「どうかしました?」


 僕の不審極まりない言動に、高梨さんが不思議そうに小首をかしげる。

 そんな仕草しぐさすら絵になるから困る。


「いや、あの、お待たせしました」


 どうにかそれだけをしぼり出すように言うと、僕は意を決して高梨さんの元へと近づいた。


「いえ、私も今来たところなので」


 なんだこれは。これではまるで、初デートの待ち合わせ風景のようじゃないか。


 自分の心臓の音がやけにうるさく聞こえる。その大きさは、高梨さんにまで聞こえてしまうのでないかと不安になる程だ。


 普段通りの歩き方を意識しながら、なんとか高梨さんの元へとたどり着く。


「突然お呼びだてして申し訳ありません」

「いや、どうせひまだったし」


 嘘ではない。部活に所属してない僕にとって放課後は家に帰るためだけの時間だし、家に帰ったところで特にする事はない。それに、仮に予定があったところで、高梨さんの呼び出しより優先すべき予定など僕には存在するはずがない。


「海野晃樹さん」

「はい!」


 高梨さんに名前を呼ばれ、僕は反射的に背筋を伸ばした。


「ずっと前から好きでした。私と付き合ってください」


 まっすぐ僕の目を見て告げられたその言葉に嘘いつわりは感じられず、それが冗談や悪ふざけの類とは僕にはどうしても思えなかった。


 という事は、つまり――


「え?」


 告白された? 誰が? 誰に? 僕が、高梨さんに? いやいや、そんなわけ……。いや、今しがた高梨さんの言葉を信じると決めたばかりじゃないか。だったら、僕が次に発すべき言葉はただ一つ――


「……こちらこそよろしくお願いします」


 なんとか絞り出したその言葉は、どれだけひいき目に見ても決してスマートではなく、我ながらひどく格好の悪いものだった。


「――っ」


 だと言うのに、高梨さんは僕の言葉に歓喜極まったように口元を押さえ、あまつさえその瞳に涙すら浮かべていた。


「嬉しいです。こんな嬉しい事他にはありません」

「……」


 ここまで喜ばれると逆に不安になってくる。


 どう考えても僕にそれだけの価値はない。なのに、なぜ……?


「ずっと、ずっと、この時を夢見てきました。あの時から」

「あの時?」


 一体なんの事だ? 僕と彼女は昔どこかで会っていた? そんなはず……。これだけの美人だ。会っていたら、記憶に残らないはずが……。


「これからどうぞよろしくお願いします。お兄様」

「おにい、さま?」


 聞き間違いか? なんかお兄様とかいう、この場にそぐわない言葉が聞こえたような気がしたのだが。


「お兄様?」


 高梨さんが、心配そうに僕の顔をのぞき込んでくる。


 距離が近い。僕が不埒ふらちな感情を抱けばすぐにでもキス出来そうな、そんな距離だ。


 肌綺麗。まつ毛長い。口小っさ。


「その、お兄様というのは……?」


 思考の半分以上を高梨さんの顔の一つ一つのパーツに占拠される中、どうにかその疑問の言葉を絞り出す。


「やはり、お忘れになってるのですね」


 そう言って、高梨さんが寂しげな笑みをその顔に浮かべる。


 お忘れ? 忘れている? 僕が、何を?


「私とお兄様は実際の兄妹きょうだいなのです」

「???」


 パニックだった。改めて説明されても全く意味が分からない。


「隠し子とかそういう類の話?」

「いえ、そうではなく、前世の話です」

「おぅ……」


 なるほど。そう来たか。つまり、彼女はいわゆる電波ちゃんという事か。


 知らなかった。そんな素振り、今まで全然なかったのに……。


「大丈夫です」

「え?」


 僕の思考をどう勘違いしたのか、高梨さんが僕の両手を自身の両手で包み込むように握り、慈愛に満ちた視線を向けてきた。


あせらなくてもいつか思い出せます。なので、一緒にのんびり待ちしましょう、その時を」

「……」


 なぜだろう。その言葉には不思議な説得力があり、妄想と一蹴出来ない何かが確かにそこにはあった。彼女の存在自体が浮世離れしているという事も、その一因にはあるのかもしれない。とにかく、僕は彼女の言葉を疑わなくなってきていた。


 ……とはいえ、疑わなくなってきただけで、信じ始めたわけではない。そこは似ているようで全然違う。亀とスッポンくらい違う。


「さて、名残惜しいですが、そろそろ帰りましょうか」

「え? あ、はい」


 驚いた。今の流れで、即解散となるとは……。全く想定していなかった展開だ。


「おうちまで送ってきますね」

「いや、こういう場合、送っていくのは僕の方……」

「そうですか。では、お言葉に甘えて」

「……」


 あまりにもあっさりとした手のひら返し。その様は、初めからそのつもりだったのではと疑ってしまう程だ。


「行きましょう、お兄様」


 僕の横をするりとすり抜けると、高梨さんが振り返りざまにそう僕を呼ぶ。


「はい」


 返事をし、僕は一歩を踏み出す。

 彼女との恋人関係が始まる新たな一歩を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る