IFレバノン死守戦

愛LOVEルピア☆ミ

第1話


「閣下が負傷された!」


 突如入った重要報告、軍を率いる指揮官らの多くが心に衝撃を受ける。閣下と言えば彼等にとって一人しかいない。


「秘書官エーン大佐だ、司令部を大至急後退させる、全軍最優先で撤退を援護せよ!」


 全部隊の将校に命令が下る。下士官以下には聞こえないはずだが、相変わらず二等兵のヘッドセットには通信が入った。


「マリー中佐です、それでは戦線が崩壊してしまいます!」


 全てが水の泡と消えてなくなる、何のために多くが犠牲になり努力してきたのか。


「我々にはより重要な守らねばならぬ方が居る」


「ですが……」


 エーン大佐が言っていることは正しい。レバノンの主権が失われてもクァトロは存続できる。だが司令官を失えば全てが終わってしまう。


「俺だ、まだ死んじゃいないさ。方針は変えん、死守だ! エーン、済まんがここで指揮を執る、頼む支えて欲しい」


「ヤ! セニャール! 将旗を掲げろ! 一歩も退くな!」


 攻勢を受け止めながら一部始終を伝え聞く。一等兵は精神論などもってのほかと信じていたが、人の根底に流れる何かが突き動かされる感覚を得た。


「臆病者の方が長生きできるってのは本当だな」


 馬鹿にしているわけでは無い、何とかしてやりたいと思っただけだ。


「嘘、ちょ、あれって!」


「よそ見してんなよ――」


 敵は正面にしか居ないぞと繋げようとして言葉を失う。すぐ隣の部隊に中将旗が翻ったのだ。居場所を敵に教えるなど正気とは言えない、だがそれは味方の士気を大いに震わせた。


「えーい、閣下を危険に晒すな! 敵を押し返すぞ!」


 ハマダ大尉が前進攻撃を命じると自らが先頭で一歩を踏みだす。戦列を担っていた全ての部隊が敵に肉迫、壮絶な接近戦を始めた。


「こうなりゃヤケだ、俺達も行くぞ!」


 塹壕を這い出るとシリア軍へ向けて銃を撃ち走った。不思議と撃ち返されても被弾しないもので、及び腰の敵をあっさりと駆逐する。


「くそっ、いつから俺はこんな男になったってんだ!」


 物語はこれより前にさかのぼって始まる。



「どういうことだ、まだ落とせんのか!」


 野戦軍司令部の幕に司令長官のいら立つ声が通る。参謀は難しい顔をして口を閉ざしてしまった。


「狭隘路とはいえ敵はたったの一個師団、何故抜けんのだ!」


 シリアからレバノンへ向けて一個軍八個師団を率いて、レバノン北東部を攻撃。レバノン山脈東、ベイルートへの裏口を爆進していた。ところが首都まで百キロを切ったところで、要衝バールベック市手前の山道守備隊に衝突し足が止まってしまっていた。


 シリア第三軍は間道を突破し、ベイルートへ強襲を掛けるために戦車や重火器を集めた編制になっていた。


 他の軍が戦線を圧迫するために用意されているのと違い、機動戦を前提とした精鋭を寄せてあった。にも拘わらず目の前に陣取っている敵は道を譲らない。


「総司令部より報告を求められております」


 眉をひそめて司令長官は一言「異常なし」そう通信将校へ向ける。


「それだけでしょうか?」


 流石にまずいのではと確認をした。だからと本当のことなど言えないのも解っている。


「それだけだ」


 命令ならばどれだけ不満や不明があっても従う。通信将校は命令を遂行した、総司令部の相手も了解を返すのみ。時計を見る。先ほどから十分が経過した、戦況に一切の変化が見られない。


 予定では三日前に首都へ迫っているはずだった。ここに来るまでは順調を絵にかいたような進撃ぶりで、他の戦線もそれこそ異常なしが続いていた。政府に降伏を迫り、また十年、二十年単位で傀儡国家として支配できる、そう信じて疑わなかったものだ。


「おのれ、どうなっておるのだ!」


 デスクに拳を叩き付ける。置いてあったコーヒーカップが跳ねて床に落ちて割れた。従卒がいそいそとそれを片付ける。


「閣下、レバノン山脈を北まわりで迂回いたしましょうか?」


 守備隊を回避すればまた快進撃を行える。そうしたら首都まで三日もあれば到達する見込みだと参謀長が進言する。


「本気で言っているのか? それとも、お前は俺を笑いものにしたくてたまらんのか?」


「も、申し訳御座いません。思慮不足でした!」


 強敵に会って回り道するなど軍人として終わりを公言しているようなものだ。


「敵の正体はまだわからんのか」


 首都防衛軍、親衛師団かとも思ったが、それが大統領の傍を離れるわけがない。機甲師団というほど戦車が無く、第四歩兵師団と言われてもこんな精強なのが不思議で堪らない。今まで十度も突撃を敢行した、それなのに一度たりと後退することすらなかった。


「あの黒の軍装、レバノンにこれほどの部隊がいつから……」


 難癖つけてシリアが宣戦布告した。国際社会はレバノンを擁護するかのような声明を出しはしたが、軍を送って助けようという国は一つもない。


 見返りを求めた時、見合うようなものが出せる国ではないのを知っているからだ。おざなりな物資援助が関の山。渡航者への退避勧告が出され、大使館も次々と閉鎖している。


 いくら呑気であっても、シリアが非道を働いているのを知っている国々が殆ど、長引けば不利になるのは明らかだった。


「第14自由シリア師団が攻勢を仕掛けます!」


 じっと結果報告を待つ。三時間程も経っただろうか、繰り返された台詞をまた耳にした。


「攻勢を断念、後退します」


「くそっ! 手を抜いているのではあるまいな!」


 自らの軍を疑うような一言。参謀長が流石にそれはまずいと諫言する。


「閣下、第14は全力でことに当たっております」


「では能力の欠如だ。最後尾に下げろ!」


 役立たずは二度と陽の目を見ない場所へと追いやられる。そこまではどうにもならないので、参謀長もしぶしぶ承知した。山から回り込ませようと、山岳連隊を上げたがそれも阻止されている。無差別攻撃に繋がると、戦闘攻撃機も侵入させるのが難しかった。


 地中海沿岸にアメリカ海軍の軍艦が遊弋しているのだ。海側から首都への爆撃も出来ないでいた。


「うむ……もう一度頼む……なんだって? 解った」


 通信将校がメモを手にして司令長官の眼前に報告にやって来る。


「長官閣下、眼前の守備隊は国際武装組織クァトロを名乗る私兵集団です。レバノンの正規軍ではありません」


「あれが民兵だと言うのか!」


 軍司令部が騒然となった。精鋭のシリア正規軍がたかだか民兵に劣っているとは聞き捨てならない。司令長官は面子を賭けて突破することを誓った。


「航空支援を要請しろ! 軍へ総攻撃準備を命令するんだ!」


 顔を赤くして大声で命じる。異議を唱える者は存在しなかった。



 最前線の塹壕で、小銃を断続的に連射しながら一等兵は隣の男に話し掛ける。何の事情も聞かずに仕事を引き受けた。黒の戦闘服を渡された時には、的になるつもりかと呆れたものだ。迷彩効果など全く無く、地域にもそぐわない。


「援軍はいつになったらくんだよ!」


 もう三日も塹壕で生活していた。発砲音が聞こえても、意外と関係なく眠れるのに驚いたりしながら。


「んなことは隊長に聞いてくださいよ」


 聞く相手、間違っていると適当な返事をしてくる。徴兵されたわけではない。スイス、クリスタルディフェンダーズ社から斡旋提供されてきた派遣兵だ。この戦闘服を着て指揮に従っている限り、戦争行為を行っても罪に問われないと説明を受けて。


「一度実戦をしてみたかったから志願契約したが、なんなんだよこいつらは!」


 配属されてみてとんでもない戦場だと気付く。捨て駒の類いだろうか、軍相手の防衛戦でたったの一個師団だ。兵力差は十倍位はあるだろうと、押し寄せてくる敵の姿を見ながら戦っていた。何せ毎回見たことがない軍旗を翻して来る。


「異様ですよね。妙に士気が高いし」


 戦車を目の前にして、対戦車砲を射っている奴等の数がやたらと多かった。訓練度の高さだけではない、勇気がある。あんな人殺しをするためだけに造られた代物を前にして、竦み上がらないなど普通ではない。


「まあな、危険手当て半端ないしな。にしても……こっちの軍旗は味気ねぇな」


 給与を得ているだけで、死んでこいと言われてもやる気が出るわけがない。シリア軍では戦死しても、雀の涙のような慰霊金しか出されない。


 一方でこの契約軍は、残された家族が一生困らないだけの補償を約束していた。それもだ、スイス銀行に供託する形で。後から軍が支払を拒んでも、銀行は契約を履行する。クリスタルディフェンダーズ社も一切の懸念なしで斡旋してきた。


「黒ベタに星だけですからね」


 たまに数字が刺繍されたものを見掛けた。それが隊長かと思ったら違うらしい。


「よくわからんが、どうしてか守りきっちゃいるな」


 後退命令が出たことがない。どれだけ押されても抗戦を止めない。死守を決め込んでいるというのが肌で感じられた。



「B軍団、準備完了です」


 一個軍、八個師団を三個軍団に分けている。そうしたほうが指揮をしやすいからだ。また、一度に展開できる幅が狭いため、二個師団が同時に戦うのが限界。


 第一次世界大戦当時の歩兵中隊が引き受けていた守備範囲は意外と狭い。ところが火力が発達し、集合していると損害ばかりが増えてしまう現代は違う。


「攻撃を始めさせろ」


「アイワ。軍司令部よりB軍団司令部。攻撃を開始せよ」


 感情を込めずに下級司令部に命令を伝える。少しずつのずれがあり、軍団司令部から師団司令部、連隊司令部、前線指揮所へと意志が浸透して行く。


 組織を動かすということは、手間隙だけでなく、内容が歪曲して伝わる危険を常に孕んでいるのだ。前線部隊が仕掛けやすいように、軍団後方――本部師団付砲兵団が何度目になるかの準備砲撃を行う。


 直撃してしまえば塹壕など無意味だ。それは運命だと割り切って受け入れるしか他ない。不運な一部の兵が跡形もなく姿を散らす。痛みも死への恐怖も感じないままに。 砲撃は十五分続けられた。長いか短いかは各個人の感覚に委ねられる。


「歩兵が前進を始めました」


 砲弾があちこちにクレーターを作った。それらを横目に生身の人間が進む。シリア軍は然程士気が高くない。大きな理由の一つに、これがジハッド――聖戦ではないことが挙げられた。


 宗教戦争ではなく、政治戦争。しかも政治で押さえられなかったのを、武力で無理矢理に。命令ならば従う、それは絶対だ。だがやる気になるかどうかは別問題。


「敵、変わらず応戦してきます」


「同じやつらか?」


 日中、最前線に居る敵は何故か同じだった。見分けがつかないのが兵隊の没個性というものだが、中央部隊には刺繍「6」がある軍旗が翻っている。


 偵察情報からクァトロ師団の各所に、数字付の軍旗が見られたと報告が上がっている。欠番はあるが、二十前後の軍旗があった。一番を探せと命令を下したが、見つかったうち数が小さいのは四。きっと師団長は後方で指揮をしているのだろうと結論付けた。


「恐らくは。あの6番軍旗がありますので」


 これだけの数が居て、繰り返し師団単位の攻撃をしたにも関わらず、同じ部隊に撃退されていたならば大事だ。


 傷を負ったら動けなくなるし、疲れたら休みもしなければならない。それなのに突破どころか、同じ部隊のまま。


「無能な味方にヘドが出る」


 司令部要員は司令長官の台詞を聞かなかったことにしようと努める。他人を信用していないのだ。だが上位の者には媚びへつらう。そうやって軍でもイスラム教徒の中でも地位を築き上げて来ていた。


 連隊を指揮するのは連隊長。大隊を指揮するのは大隊長だ。この常識を常識として捉えている限り、司令長官は幻想を振り払うことは出来ないだろう。それを責めてはいけない。百人いたらほぼ百人が認める考えなのだから。


「戦車隊が出撃しました」


 運用としては逆、歩兵を前にして戦車が付き従う。死角から攻撃を受けないように警戒する為に。戦車被害を減らすつもりでこうした、当然歩兵からの心証は極めて良くない。


「総司令部からの情報です。北部軍、東部軍が戦線を押し上げる計画が浮上しました」


 ベイルートを制圧する目的で編制されている第三軍。それを差し置いて圧迫目的の軍でも攻めると言うことは、即ち三軍の落ち度。責任の大半を司令長官が被らなければならないのは自明の理だ。


「空爆要請を行え、一気に押し切る」


「承知いたしました、長官閣下」


 更迭など認められるわけがない。既に被害は大きく、更迭が無かったにしても戦後の責任追求は間逃れない。ならばどうするか。被害は多大でも目的を遂行する。それならば強敵が相手だったと言えば切り抜けられる。


「制空権を得るために、戦闘機が先にやって来ます」


 空軍司令部から了承が返された。借りが一つ出来てしまうが、次の予算委員会のときに口添えしてやればチャラだと気にしない。後発で戦闘攻撃機と爆撃機が離陸したと報告が上がる。


「これで終わりだ。手こずらせおって」


 地上からは反撃などしようもない。無力なのだ。歩兵部隊が止まり、戦車隊が被害大で後退する。情けない戦況報告が上がってきても、今回は司令長官も怒りをあらわにせずじっと押し黙っていた。



「おいおい、なんか凄いの出てきたぞ!」


 砂漠での迷彩を意識した茶色の塗装。戦車が横に並んで間隔を取って並んでいる。十二両が一列、軸をずらして四列、四十八両が一個戦車大隊。都合九十六両が丘陵の裏側から一斉に姿を現した。


 シリア軍の前衛、第11装甲師団の第167戦車連隊だ。丘の後ろに同じ集団がもう一つ控えているのを彼らは知らない。

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