第28話

「――よく見ておくのだ、レイリ」

「父、さま……?」


 あたしが知るより、少しだけ若い親父オヤジを見上げる。口を突いて出た声は片言で、ひどく幼い。そうか……これは、あたしが初めて剣を握った時の……。


「剣は自らの生きる姿を映す。人を殺すも活かすも己の心が決める。……この技は、生前にお前の母が振るっていたものだ」

「母さまの、けん?」

「他流派の儂では見様見真似にしかならぬが、もしいつか、彼女の遺志を受け継ぐ日が来たのなら――」


 回顧の時が終わる。振り下ろされた凶刃を、あたしは紙一重のところで躱していた。流石に無傷という訳にはいかず、ぱっくり割れた額から生温かい血が流れ出る。


「やるわよ、ロミ!! 力を貸しなさい!!」

「どうするつもりなの、レイリ!?」

「あいつの動きを、五秒でいいから止めて!! 後はあたしがケリを付ける!!」

「……信じても、いいのね?」

「今までだって、どうにかしてきたでしょ!!」

「わかったわ。あげるから、その間に何とかなさい」

「上等!!」


 懐から取りだした小瓶をひと息に呷ると、ロミは長杖を高らかに掲げつつ叫んだ。


「深き冥府を守護せし地竜の長よ!! 虜囚を縛る戒めの鎖を!!」

「ガ、ぁ、あぁぁあアぁぁっ!?」


 詠唱を終えるや否や、リーシャの足元に闇色の魔法陣が展開された。周囲の景色が歪むほどの重圧の檻を前に、さしものリーシャも膝をつく。


「ぁ、ぐぅっ……。ぼうっとしてないで!! 早くっ!!」

おうッッ!!」


 術の反動なのだろう。唇から血を滴らせたロミの叱咤に短く答え、手にした羅刹刀を鞘に納めた。

 構えは居合い。腰を深く落とし、通常より前傾姿勢を取ったあたしは闘気を刀に集中させていく。


「う、あぁ、ああ゙ぁあぁっっ!!」

「そんな……。この中で、まだ動けるというの……っ!?」


 円形に窪んだ石畳の中心で、リーシャが雄叫びをあげながら立ち上がる。両手の聖剣を交差させたまま、大きく振りかぶった。あの構えは、まさか……!?


「撃たせては駄目!! 二本の聖剣の力が同時に解放されるようなことがあれば、この結界だってきっと保たない!! 最悪の場合、この街ごと吹き飛びかねないわよ!!」


 いよいよ、後には引けなくなったということか。

 だが、この状況はある意味で好都合。リーシャが溜めに入ったというのなら、その時間まで最大限に活用させてもらう!!


「何をしているの、レイリ!! 十秒はとうに過ぎてるわよ!!」

「やかましい!! 言われなくたって、わかってるわよそんなこと!!」


 わざわざ発動を遅らせているのには、理由がある。

 あたしが放つ技の術理は、至極単純。高めた闘気を刀身に宿し、目標を斬る。ただ、それだけ。

 極限にまで凝集された闘気の刃は、靭鉄はおろか金剛石さえ易々と両断するという。


 この技が他の剣技と一線を画すのは、投入した闘気の総量がそのまま破壊力に反映されることだ。つまるところ、溜めれば溜めるだけ威力は増す。


 もっとも、あたしが限界まで闘気を練るということは、リーシャも同様に万全の状態で技を放つということでもある。

 無論、先手を打てば確実に発動を阻止できるのだろうが、聖剣を破壊するに足る威力を引き出せなければ意味がないのだ。


(……いや、違うわね)


 そんなの所詮、ただの建前だ。リーシャが全力で挑んでくるというのなら、あたしも全力でそれに応えるまで。

 持てるすべての力を振り絞った上で、あいつを完膚なきまでに叩きのめしてやる。あたしは残された時間を、己を高めるために費やすのみ!!


「わたし、は……負けられ、ない……っ!!」

「はぁぁあぁッッッッ!!」

星射アト貫く光をラベス・――」

「来い、リーシャぁあアァァァアッッ!!」


 使い手の闘気に呼応した刃が放つ残光は、血の赤よりもなおあかく鮮やかで。

 さながら狂い咲く焔華のようであるが故に、その技はこう名付けられた。


「秘剣、紅蓮桜グレンザクラ!!」

我が手にエリスティアァァァァッッ!!」


 後の先で鞘走った羅刹刀の刀身が、リーシャの振り上げた聖剣を直撃する。今まさに放たれようとする光の奔流と、研ぎ澄まされた闘気が真っ向からぶつかりあった。


「う……あ、あぁあアぁァァァッッ!!」

「ぐ、ぅぅっっ!?」


 一度は押し切れると確信したあたしだったが、リーシャはすぐさま体勢を立て直してきた。聖剣から放たれる波動の濁流に、紅い刃が阻まれている。あと一歩、あと一寸足らずの距離が、どうしたって縮まらない。

 少しでも気を抜けば、光に呑まれかねない危機的な状況で、いつぞやに聞いたロミの言葉を思い出した。


(古い武具というのは、それだけで独自の気配や意思を宿すもの。あなたの刀からは、そういった力強さが伝わってくる。大切に扱ってあげなさいな)


 もし、本当にそんなものがあるというのなら。その力を発揮する機会は、今この場をおいて他にない!!


「力を貸せ、羅刹刀ッッ!!」


 そして、あたしは確かに聞いた。

 リィィ……リィィ……と共鳴する、高らかな羅刹刀の声を。徐々に大きさを増していき、やがては甲高い金属音となって耳朶を打つ。


「これは……刀が、鳴いているの!?」


 肉眼で捉えることのできない微細な振動。それが羅刹刀が奏でる音の正体だった。咆哮にも似た刃鳴りの旋律が、柄を通してあたしの腕にまで伝わってくる。

 その時だった。あれだけビクともしなかった二対の聖剣に、異変が生じたのは。


 ぴしり、と軋むような音をたて、剣の表面に亀裂が走る。羅刹刀の発する破壊の振動が、を蝕みつつあるのだ。これならば……いける!!


「こな、くそぉぉぁぁッッ!!」

「あ……ああぁぁっっ!?」


 先に限界を迎えたのは、複製品レプリカの方だった。風にさらわれる砂山のように贋作が崩れ去り、残された真打ちをすがるような面持ちでリーシャが握り締めている。


「だめ……っ、いや、行かないで……っ!!」

「これで……終わりだぁぁあァァッッ!!」


 羅刹刀が奏でる咆哮に、あたしの絶叫が重なった次の瞬間。伝説に謳われた蒼き玻璃の聖剣は、無数の破片となって木っ端微塵に砕け散った。


  ◆


 きらきら、きらきらと。儚く舞い散る光の中に、リーシャが座り込んでいた。

 空になった両手を虚ろな目でしばし見つめていた彼女は、やがて抑揚のない声でぽつりと呟く。


「……わたしは、負けたのね」

「ええ、あたし達の勝ちよ」


 そう答えはしたものの、勝負の行方は最後までわからなかった。絶対に負けられないという意地だけで掴んだ、薄氷の上の勝利だった。


「ねえ、レイリ」

「何よ」

「とどめを、刺して」

「…………」

「聖剣を失ってしまったわたしには、もう何もない。これ以上、生きていたって仕方がない」


 もはや、覚悟はできているのだろう。リーシャは瞑目して、その瞬間が訪れるのをじっと待っている。

 あたしはリーシャの目の前にまで歩み寄ってしゃがみ込むと……。


「ふんっ!!」

「!? 〜〜〜〜、!?、!?!???」


 その額にデコピンをかましてやった。ただのデコピンじゃない。人差し指と中指のスナップを、限界まで効かせた本気ガチの奴。何を隠そう、これでも地元じゃ『弾き鬼のレイリ』として恐れられてた過去があったりするのだ。

 よっぽど強烈だったのだろう。リーシャは額を手で押さえながら、涙目で悶絶している。あー、いい気味。


「……どういう、つもり」

「あんたね、何が悲しくて必死こいて助けた相手をわざわざ殺さなきゃなんないのよ。どいつもこいつも、バカは休み休み言いなさいっての」

「助、けた……。わたしを……?」

「そりゃそうでしょうよ。でなかったら、聖剣なんて壊す前にあんたの方をどうにかしてるわ」


 ぽかんとした間抜け面で、こっちを見上げるリーシャ。


「……理解、できない。わたしを生かしておけば、いずれまた、あなた達を殺すために現れるかも、しれないのに」

「そん時は、また返り討ちにしてやるわよ。あんたみたいな強者とやり合えるってんなら、望むところだし?」


 からからと笑いつつ、あたしはそう嘯いてみせる。

 ま、本音を言うならこんな物騒な勝負はもう二度と御免なんだけど。

 リーシャは唖然とした顔で、しばしあたしの顔を見つめていたが……やがて、ふにゃりと力なく相好を崩した。


「……そう。要するに、レイリってすっごくバカなんだ」

「あんですってぇ? ていうか、ロミといいあんたといい、あたしを後先考えてない脳筋呼ばわりすんのやめなさいよ」

「こればっかりは、夜景の魔女にも同意せざるを得ない。……そうね、負けたわ。わたしの完敗よ、レイリ」


 いつも無表情だった彼女が、初めて見せた笑顔。それはまるで憑き物が落ちたかのように、すっきりとした清々しい笑顔だった。

 ひとしきり笑い終えた後、リーシャは確かな足取りですっくと立ち上がる。


「ちょっと、もう動けるの? あんまり、無理しない方が……」

「わたしには、治癒術があるから」

「げー。相変わらずタフよね、あんた」

「そろそろ行くわ。この結界は、外から教会の監視員によって観測されている。一緒にいるところを見られると、色々と面倒」


 それじゃ、また。短くそう言い残すと、リーシャはくるりと背を向けて歩きだした。

 やがて姿が見えなくなると、すべてが蜃気楼のように溶けて消え落ち、街が本来の姿を取り戻していく。


「悪かったわね、ロミ。相談もなしで、あいつのこと見逃したりして」

「いいわよ、別に。あなたのそういう所、今に始まったことではないでしょう?」

「ふふん、わかってんじゃない」


 空を見上げれば、東の稜線がうっすらと白み始めていた。あたし達の長かった夜が、ようやく終わりを迎えようとしている。


「オストラントへ帰るのは、明日にしましょ。今はとにかく、泥のように眠ってたい気分……」

「それについては同感ね。問題は、この時間から宿が見つかるかってことなのだけれど……」

「ま、なるようになるわよ、多分。……やば。気が抜けたら、一気に眠くなってきたわ」

「ちょっ、レイリ!? こんなところで、寝るんじゃないわよ!!」

「あー、もう限界。悪いけどロミ、宿に着いたら起こしてくんない……?」

「このっ、おぶさってくるんじゃないの!! せめて、自分の足で歩きなさいな!!」

「くー」

「寝るなーーーーっ!!」


 ロミの抗議の声でさえもが、今は心地よい。あたしは瞼を閉じたまま、忍び寄る睡魔に身を委ねるのだった。

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