風の剣士と夜景の魔女

第16話

　その店を見つけだした頃には、夜もとっぷりと更けていた。ここは城塞都市の外縁部に広がるスラム街。街からあぶれた貧者や脛に瑕（きず）持つならず者たちが、その日暮らしを送る無法地帯である。

　木切れを組み合わせただけの粗末なバラック小屋が立ち並び、道端にはうず高く積みあがったゴミ山に混じって浮浪者と思しき連中が寝っ転がっていた。そして、さながらこの世の掃き溜めのような場所であっても、酒場という場所だけは例外的に賑わいを見せている。

「見つけたわよ、あんた達」

「……あァ？」

　剥きだしの石壁に、一向に慣れることのない異臭。酔漢たちのがなり声と食器を打ち鳴らす騒音。そして、もうもうと立ちこめる得体の知れない煙。混沌を極めた店内のテーブルに突っ伏していた、見覚えのある男たちに声をかける。

　初めのうちは怪訝そうな顔をしてたが、すぐにあたしのことを思い出してくれたらしい。こっちとしても手間が省けて助かるというものだ。

「て、てめぇはあん時の！？」

「ひぃぃ！？　く、来るんじゃねえっ！！」

「た、頼むから命だけは助けてくれ！！　俺には女房と、まだ小さいガキがいるんだ！！」

「……そこまで怯えられると、流石にちょっとだけ傷つくわねー」

「自分の行いを、少しは省みたらどう？　あなたがした仕打ちを考えれば、むしろ当然の反応でしょうに」

　目の前でガタガタと震えているのは、あのガラントの腰巾着をしてた三人組だった。スラムに点在している酒場をしらみつぶしに探し回って、ようやく見つけだしたのである。

　とはいえ、別にこいつらを取って食おうって訳じゃない。敵意がないことを示すため、あたしは彼らと同じテーブルについて適当な酒を注文する。未だ警戒の色を隠せない連中と、届いたジョッキをかち合わせて軽く呷った。……混ぜ物がかなり多いな、この酒。後から入れたと思われる酒精と、妙な風味ばかりが目立つ粗悪品だ。

「あんた達を探してたのは、他でもないわ。ガラントを殺した犯人を追ってる最中なんだけど、何か知ってることがあったら教えてくれる？」

「あ、兄貴の仇（かたき）、だと……？」

　ガラントの名を口にした途端、男たちの表情がにわかに曇る。

　そういえば、見つけた時の彼らはかなり意気消沈した様子だった。あんな男でも、仲間からすればそれなりに慕われてたってことだろうか。

　隣で話を聞いていたロミが、男たちに向けてぽつりと問いかける。

「彼とは長い付き合いだったの？」

「……ああ、そうだよ。俺たちの世界も、結局は何かしら取り柄がなくちゃやってけねえ。頭も悪くて腕っ節も半端な奴は、誰かの下に付くしかねぇんだ」

「兄貴はとにかく強かった。おっかない人だったけど、何だかんだで面倒見のいいところだってあったんだ」

「そう……。彼は冒険者時代、自ら結成したパーティのリーダーを長年務めていたわ。良くも悪くも、他人を束ねる器量があったのでしょうね」

　私も何度か彼のパーティに臨時で参加したことがあるのよ、とロミが付け加える。そういえば、ガラントとは過去に因縁があると前に言ってたっけ。

「あたしは自分の刀を取り戻したいだけ。でも、あんた達の代わりにガラントを殺った奴へ落とし前を付けさせることくらいはできる。どう、話に乗ってみるつもりはない？」

「…………」

　男たちは互いに顔を見合わせ、どうしたものかと逡巡する。ややあって口を開いたのは、ロミの問いかけに対し、いの一番に反応を示した男だった。

「てめぇの話に乗ったとして、それで俺たちに見返りはあんのかよ？」

「あいつの無念を晴らす、だけじゃ足りない？」

「冗談じゃねぇ。詳しく話すとなりゃ、組織に絡むことだって出てくるんだぜ。後で俺らが喋ったなんてバレたら、洒落（シャレ）になんねーんだよ」

「あんた達から聞いたってことは、絶対に漏れないようにするわ」

「それだけじゃ足りねぇな。……そうだな。ここの支払いを、全部てめぇが持つってんなら考えてやってもいいぜ」

　……む。まさか、ここで交渉を持ちかけてくるとは。まあ、犯罪の便宜を図ってくれだとか、そういう話じゃないだけまだマシか。それに、ここの酒場の代金くらいならたかが知れてるだろうし。

「いいわよ、それで手を打ちましょう」

「本当に、いいんだな？」

「くどいわね。女に二言はないわ」

「言ったな、確かに聞いたぞ！！」

　にやぁ、と男が口元を歪める。しまった、何かマズいことでも口走ってしまったか。何を企んでるのかと身構えた瞬間、男は叫ぶ。

「おおい、親父ィ！　この嬢ちゃんが溜まってる俺らのツケ、ぜーんぶ払ってくれるってよ！！」

「なっ！？　ちょ、ちょっとあんた！？」

「さっき言ったろ、ここの支払いを全（・）部（・）ってな。それとも何かい、女に二言はねえってのは嘘だってのか？」

「ぐ、ぐぬぬ……っ！！」

　ハメられた。この野郎、しおらしくしてると油断してたら、とんでもないこと言いやがる。慌てて弁解しようとしたものの、時すでに遅し。周りのギャラリーまで、やんやと囃したてる始末だ。

「ついでに兄貴が狙ってた、アドルファス王即位の時に振る舞われたっていう特上酒の２０年物、あれも持ってきてくれ！！　地下の貯蔵庫に、まだあるはずだよな！？」

「どさくさに紛れて、何を注文してんだお前ーーッッ！！」

「細けぇことは気にすんなよ、嬢ちゃん。減るもんじゃなし」

「あたしの財布の中身は、間違いなく減っとるわ！！」

　さっきまでの愁嘆場はどこへやら、三人組はすっかり元の調子を取り戻していた。あーもう、これじゃ収拾がつかないじゃないか。……まあ、悪党相手に交渉するってのはこういうことなのだろう。高い授業料を払ったと思って、今日ぐらいは大目に見てやるとするか。

　ちなみに、酒場の店主が持ってきたとっておきのブランデーは、あたしとロミが思わず唸ってしまうほどに美味かった。

　　◆

　どんちゃん騒ぎが幕を下ろした頃には、外がすっかり白んでしまっていた。爆睡している三人組を叩き起こし、あたし達は店を後にする。

　……ちなみに、秘蔵酒の代金は日を改めて支払うことで決着がついた。ていうか、酒のくせに金貨払いってどういうことだ。リーシャの依頼を受けてなかったら、危うく破産してたぞ。

「さて、そろそろ話してもらうわよ。人の金でさんざん飲み食いしといて、これで何も知りませんでしたとか言ったら、承知しないからね」

「わ、わーってるって。俺らもちょっと、調子に乗りすぎたよ……」

「勘弁してくださいよ、姐さん」

「いつからあたしが、あんた達の姐さんになったのよ……」

　酔い覚ましを兼ねて、あたしはスラムに流れるドブ川のほとりまで足を運んでいた。お世辞にも綺麗な場所とは言いがたいが、人通りも少なくて内緒話をするには適当だろう。周囲に人影がないことを確かめた上で、念のためロミに認識阻害の魔術をかけておいてもらう。

「まず、あの変てこな剣を探してるって話だったが……」

「そういえば、ずっと気になってたんだけど。あいつはどうやって、あたしから羅刹刀を盗みだしたの？　言っちゃ悪いけど、ガラントやあんたらにそんな器用な芸当はできないはずよ」

「兄貴は俺たちにない人脈をたくさん持ってたからな。組織でも名うての盗賊（シーフ）に、大枚はたいて依頼したらしいぜ」

　いくら気を抜いてたからって、あたしに気配を悟らせずに盗みを働くなんて相当な腕利きに違いない。もっとも、件の盗賊はその後の事件に関与してないらしく、詳しい素性までは教えてもらえなかった。

「何よ、ケチ臭いわね。それくらい、教えてくれたっていいじゃない」

「そうもいかねぇ。ただでさえ、組織の情報を外部に漏らすのはご法度なんだ。関係ないことまでべらべら喋ってたら、こっちの首が飛んじまわぁ」

「仕方ないわね。それで、盗んだ刀はどうしたのよ？」

「ああ、そのことなんだがな。どうやら兄貴は、あの剣を組織には黙って売り捌こうとしてたらしい」

「……どういうこと？」

「こっから先は、他言無用だぜ。普通、盗品の類いは組織の息がかかった闇市場を必ず通すようにお達しが出てる。出所を探られないように工作するのはもちろんのこと、モグリが勝手なことをしてないか、みかじめ料を払ってる商人や貴族に手を出してないか確かめる意味もある」

「だから、兄貴のやってたことがバレると、俺らや仕事を手伝った盗賊の立場までヤバくなるってこった」

　裏社会には、裏社会なりの秩序があるって奴だ。

　あたしの故郷にもやくざ者の集団はいたので知ってるが、規律を破った者への制裁は概ね苛烈である。社会に寄る辺のない組織が立ち行こうとする際、構成員に舐められては終わりだからだ。この手の組織は文字通り、血の結束をもって成り立っている。

「あいつはどうして、そんな危ない橋を？　そこまでするだけの価値が、あたしの刀にはあったってこと？」

「そういうこった。というより、兄貴がお前の剣に手を出そうと思い立ったのも、それが理由だろうよ」

「もったいぶらずに、教えなさいよ」

「お前ら、『蒐剣伯（しゅうけんはく）』の噂を聞いたことはあるか？」

　はて。さっぱり聞いたことのない名だ。あたしがきょとんとしていると、代わりにロミが答えてくれる。

「東部諸侯に連なる、とある名門貴族に付けられた俗称ね。正しくは、ヘルマン・カルナック伯爵。政争の舞台からは遠のいているけれど、末席ながら王位継承権まで持つ大物よ」

「ご名答だ。なら、その俗称の由来ももちろん知ってんだろ？」

「ええ。彼が政争に無縁なのは、権力にさほど興味がないというのもあるけれど、それだけではない。ヘルマン伯は無類の趣味人として知られており、特に名剣や魔剣の類いに目がないことで有名なの。噂では、私財のほとんどをそれらの収集にあてていると聞いたことがあるけれど、まさか……」

「そのまさかだ。奴が犯罪組織と裏で手を結んでるってのは、ここらじゃ公然の秘密って奴でな。盗品の横流しくらいは可愛いもんで、持ち主から目当てのブツを奪うために殺しの依頼まで出してるって話だ」

「じゃあ、ガラントはそれを目当てに刀を……？」

「蒐剣伯は金に糸目を付けないことで有名だったからな。組織を裏切ったとしても、十分に元が取れると考えたんだろうぜ。だが、連中との交渉に出向いた兄貴は帰ってこなかった。交渉が決裂したのか、それとも別の理由で消されちまったのかまではわからねぇけどな」

　ようやく、話が繋がってきた。あの時、詰め所でエイブラハムの様子がおかしかったのは、その蒐剣伯とやらが裏で手を回していたからなのだろう。

　捜査を続行しているなどと言っていたが、内部ではとっくに打ち切られてる可能性が高い。

「……なあ、嬢ちゃんよ」

「何よ？」

「お前、本気であの剣を取り返しに行くつもりか？　そりゃあ、俺らにだって、兄貴の仇に一泡吹かせてやりたいって気持ちぐらいはある。だが、相手はよりによってこの国の大貴族さまだ。話しといて何なんだが、ちと無謀すぎやしないか？」

「…………」

　隣では、ロミが無言であたしを見つめている。言外に引き返すなら今のうちだと、その瞳が告げているのがわかった。

「いっちょ前に、他人の心配してんじゃないわよ。あの刀は、そこらの道楽貴族にくれてやれるような代物じゃないの。それに……」

「それに？」

「こんなとこで退いたら、あんた達に奢ったクソ高い酒が無駄になっちゃうでしょうが」

「はは、違いねぇや」

「あの酒は美味かったな。あんな美味い酒、俺ぁ人生で初めて飲んだぜ」

「ええ、そうでしょうよ。あたしだって飲んだことなかったもの、あんなお酒」

　突き出した拳に三人組が順々に拳を合わせていき、やれやれと肩を竦めたロミがそれに続く。たった一晩飲み明かしただけだというのに、こいつらとも妙に打ち解けてしまった。

「悪いが、俺らはここでお別れだ。せいぜい上手くやんな」

「もし生きて帰ってこられたら、今度はこっちが奢ってやるよ」

「言ったわね。今の言葉、絶対に後悔させたげるから覚悟しなさい」

「期待しないで待ってるぜ。それじゃあな！！」

　そう言い残すと、男たちは早朝のスラムへと消えていく。

　見送りなどお互いに不要。あたし達もそれ以上は振り返ることをせず、街の雑踏の中へと戻っていくのだった。