第13話

 高らかな咆哮をあげると同時に、赤鱗の竜は大きく息を吸い込んだ。リーシャと目配せを交わし、ロミの手を引いて全力でその場から退避する。

 竜の顎口から放たれたそれは、もはや炎などという生易しいものではなかった。灼光とでも形容すべき極太の熱線が、あたし達がいた場所を一直線に薙ぎ払う。

 ブレスが通り過ぎた床のガラス質は瞬時に融解し、赤熱したマグマのようにぐつぐつと煮えたぎっていた。


「……どう見たって、普通のドラゴンって感じじゃないわね」

「あれは古竜…エンシャント・ドラゴン…。遥か太古の時代に生まれた、神に連なる竜族の末裔よ」


 イグニスは翼を広げたまま、爛々と燃える瞳でこちらを睥睨していた。あたし達に剣を抜けと言わんばかりだ。先ほどのブレスもただの威嚇に過ぎず、本気で当てるつもりなどなかったのだろう。まったく、どこまでも舐められたものだ。


「――<顕れよ。星を射貫く閃光アルトエリシア>」


 呼びかけに応え、リーシャの掌中に聖剣が顕現する。悠久の時を経て再び担い手を得た聖剣は、歓喜に打ち震えるかのようにまばゆい輝きを放っていた。

 リーシャの後へ続くため、腰のシミターを抜いたあたしをロミが引き留める。ロミは刀身に杖の先で触れると、小さく何事かと唱え始めた。


「――空翔ける風を統べし者、剣に宿りて刃を澄ませ」


 詠唱が終わると同時に、あたしの剣を包み込むように旋風つむじかぜが巻き起こった。瞬く間に収束した風のうねりは、薄緑色の燐光と化して刀身全体に行き渡る。かけられた魔術の影響か、心なしか身体までも軽くなった気がした。


「これは……!」

「古竜を相手にするには、あなたの剣では非力すぎる。魔術による強化を施したけど、一時的なものだから過信はしないで」

「ありがと、助かるわ!」

「いいこと? くれぐれも無理は禁物よ」

「わかってるってば!!」


 こちらの準備を待ちかねたと言わんばかりに、赤竜が雄叫びをあげ襲いかかってきた。轟音を伴いながら、振り下ろされた前脚を回避する。爪の一つ一つですら、リーシャの大剣に匹敵するサイズだ。

 受け止めることすらも許されない、圧倒的な破壊の一撃をかい潜って切りつける。あらかじめ予想はしてたものの、あたしの斬撃は奴の硬い鱗の前に無力だった。やはり、切れ味が多少増した程度でどうにかできるものではない。だが、あの子の剣ならどうか――!?


「はッ……!!」


 気合い一閃、繰りだされた斬撃が竜の右脚を深々と切り裂いた。流石は音に聞こえし聖剣、あれだけの硬度をものともしていない。

 だが、相手もそれ以上の追撃を許すほど甘くはなかった。振りかぶった尻尾の薙ぎ払いによって、後退を余儀なくされてしまう。その上、切断面に灯った淡い光が傷口をみるみるうちに塞いでいく。


「何よあれ、治癒術まで使うとか反則じゃない!!」

「古竜ならば、あのくらいの芸当は当たり前でしょうね。程度の軽い手傷なら、すぐに回復されてしまうわ」


“ 聖剣の使い手を相手取るのだ。よもや、卑怯などとは言うまいな? ”


 どこか愉しげに響く声音から、圧倒的な余裕が感じられる。こちらの実力を測るため、あえて手加減をしているに違いない。完全に舐められてる。まったくもって、腹立たしい限りだ。


“ 次はこちらから行くぞ。見事、耐えきってみせるがいい!! ”


 巨体に見合わぬ俊敏さをもって、イグニスはひと息で距離を詰めてきた。鋭い爪牙や尻尾を駆使した連撃が、ひっきりなしに襲いかかってくる。唯一の決め手になるであろうリーシャの攻撃は、巧みな体捌きによってことごとくが防がれていた。

 あたし達も反撃に転じてはいるが、そのいずれもが有効打にはほど遠い。あたしの剣はまったくといっていいくらいに歯が立たず、ロミの魔術もその大半が無効化レジストされてしまう。


「ねえ、どうすんの!? このままじゃ埒が明かないわよ!!」

「あの圧倒的な防御を、上回る破壊力があればいいのだけど……」

「……方法は、一つある」


 今まで沈黙を守っていたリーシャが、ぽつりと呟く。


「何なの、それは?」

「聖剣の力を収束させ、一気に解き放つ。それなら相手が例え古竜であったとしても、直撃すれば確実に深手を負わせられる。ただ……」

「ただ?」

「収束には時間を要する上に、その間は無防備になってしまう。わたし一人では、とてもそんな時間を稼ぐことはできない。だから……」


 その先は言わずもがな。要するに、大技を放つまでの囮役が必要ってことだ。

 リーシャの目には、珍しく不安と逡巡の色が見て取れた。無理もないだろう。この作戦は、パーティメンバーの協力がなければそもそも成り立たないのだから。

 ……こんな子でも、怖気付いたりすることはあるんだな。何よりもあのリーシャが、他人を頼ろうとしているのだ。そんな風に考えてたら、何だか無性におかしくなってしまう。


「ったく、水臭いわねー。そういう時は一言、『あんたの命をあたしにくれ』って言えばいいのよ」

「レイリ……」

「元々、あんたの護衛が仕事だった訳だしね。いいわよ、あいつにデカいのかましてやんなさい。ロミ、それで構わないわよね?」

「……仕方ないわね。その作戦でいきましょうか」


 やれやれと肩を竦めつつ、ロミは手にした杖を高く掲げた。恐らく、身体能力を向上させる魔術をかけたのだろう。全身に活力がみなぎっていくのを感じる。

 リーシャはというと、呆気に取られた様子であたし達の顔を見つめていた。しかし、すぐに顔を引き締めると、聖剣を脇に構えて重心を低く落とす。


「二人とも、協力に感謝する。……それと、一つだけ訂正させてもらって構わないだろうか」

「ん、何よ?」

「わたしは、そんな風には言わない」

「……ぶはっ、あははははっ!! そうね、そりゃ確かにそうよね!!」


 場違い過ぎる抗議に吹きだしつつ、あたしはイグニスめがけて駆けだしていった。身体を巡る高揚感に身を任せつつ、竜の懐深くへと飛び込んでいく。

 リーシャが準備を終えるまでの間、どうにかして奴の注意を引きつけておく必要があった。そのためにはまず、あたし自身を奴の脅威として認識させなければならない。


 もっと速く。もっと、もっと鋭く。

 怒涛のごとき連撃を躱しつつ、剣撃の冴えに意識を集中させる。火事場の馬鹿力とでも言うべきか、ここにきて限界を超えた集中力がイグニスの一挙手一投足に至るまでを的確に捉えていく。

 唸りをあげて迫る爪牙を弾き、返す刀で竜の鱗に切りつける。紅鋼玉のようなそれは欠けることすらなく、硬質な金属音を響かせるだけ。

 油断は即座に死へ繋がる。刹那の過ちすら許されぬせめぎあいを続ける。首をもたげて噛み砕こうとする顎門あぎとをいなし、突進による角の突き上げを寸前で回避する。


 躱し、弾き、受け流し、切りつける。

 無間むげんに続く攻防の果てに生じた、ほんの僅かな亀裂音。


“ 何だと……!? ”


「ただ闇雲に、切りつけてるとでも思った!?」


 すべての斬撃を同じ箇所に集中させることで、奴の堅固な鱗を断ち割ることに成功したのだ。

 たった一枚、取るに足らない手傷に過ぎなかったが、奴の高い自尊心を揺さぶるには十分な戦果だった。真紅の飛沫が宙を舞い、案の定、イグニスの激しい怒号が鼓膜をびりびりと震撼させる。


「――深き海に揺蕩たゆたう、偉大なる慈愛の化身よ。万物を抱擁せし御手をここに」


 牽制に徹していたロミの詠唱が変化する。どうやら、ここで勝負をかけるつもりらしい。背後で高まる魔力の気配を察しつつ、あたしも最後の攻勢に出るべく闘気を研ぎ澄ませていく。


「せやぁぁぁァァッ!!」


 裂帛の気合いと共に放った横薙ぎの一閃が、先ほど付けたばかりの傷痕をさらに抉り取る。イグニスが大きくバランスを崩した刹那、あたしは全速力で後方へと飛び退いた。それと入れ替わるようにして、ロミが完成させた大魔術が発動する――!!


「大いなる渦潮に呑まれよ!! 極氷メイルシュ渦流トローム!!」


 轟然と逆巻く氷嵐の大渦が、イグニスの巨躯を瞬く間に覆い尽くした。荒れ狂う氷の暴威の前に、さしもの古竜といえど身動きひとつ取れない。

 リーシャに視線を移すと、ちょうど収束を完了させたところだった。聖剣の刀身がまばゆい輝きを放ち、膨大な闘気がそこに集中しているのがわかる。


星射貫く光をアトラベス・――ッ!?」


 聖剣を振りかぶったリーシャの顔がこわばる。見れば、イグニスはこの期に及んでなお戦意を失ってはいなかった。おとがいを高く掲げ、今まさに超高温の熱線を放とうとしている。


「リーシャ、避けてっ!!」


 そう叫んだものの、全神経を聖剣に傾けている今の彼女に回避の余裕がないことはわかりきっていた。

 このままでは間に合わない。そう思った瞬間、劫熱の奔流を迎え撃つべく巨大な鋼色の魔力障壁が展開される。


隕鉄エスの、大楯クードーーーーッッ!!」

「ロミっ!?」

「く、うぅぅ……っ!!」


 間一髪のところで、ロミの魔術がイグニスのブレスを受け止めた。しかし、圧倒的な威力を誇る灼熱の熱線を前に、魔力の障壁はみるみるうちにひび割れていく。


「ロミ……あなたまで、どうして……?」

「あなたを……見捨てるとでも、思ったのかしら……? でも、お生憎様。私はそこまで、薄情ではなくってよ……っ!!」

「理解、できない。あなたはそこまでする必要なんて、なかったはず。そもそも、わたしの本来の役目は……」

「そんなことを言ってる間に、さっさと終わらせてしまいなさい!! ……誤解があるようだから、言っておいてあげるわ。私は別に、あなた個人を嫌ってなどいない。今の教会に対してであれば、言いたいことが山ほどあるのだけどね……っ!!」

「……わかった」


 短く頷いたリーシャが、聖剣を腰だめに構え直す。限界を迎えた障壁が砕け散るより早く、高らかな叫びと共に渾身の一撃が繰り出された。


「<星射貫く光を、我が手にアトラベス・エリスティア>ッッ!!」


 瞬間、世界が光に包まれる。星を穿つ蒼い閃光と、すべてを灼き尽くす赫い極光。二つの光輝が互いを喰らいあうように拮抗し、天変地異と見紛うばかりの衝撃が広間全体を揺るがした。

 ――いや。ロミの防壁に相殺されてなお、ブレスの勢いは衰えることを知らなかった。魔力を使い果たし、その場に崩れ落ちたロミを庇うようにしながら、リーシャは必死でその場に踏み留まっている。


 このままいけば良くて相打ち、悪ければ奴に押し切られてしまう。そうなればリーシャはもちろんのこと、あたしやロミだって無事では済まされない。かといって、二つの強大な力がせめぎあう渦中へ飛び込んでいくなど明らかな自殺行為だ。

 あたしはこのまま、目の前で繰り広げられている光景を見守ることしかできないのか。追い詰められていくリーシャの姿を目の当たりにして、己の無力さに歯噛みした、その時。

 ふと目に入ったのは、握り締めたシミターが帯びる風の残滓。ロミがかけてくれた付与魔術は、今まさに尽きんとしながら効力を発揮し続けている。


 ……そうか。できることは、まだ残されているじゃないか。


「あたしのことを、忘れてんじゃないわよっ!!」


 あらん限りの声を張りあげ、イグニスに対峙する。刀身にありったけの闘気を注ぎ込みながら、あたしは刀身に纏った風もろとも手にした剣を鞘に納刀した。

 恐らく、チャンスは一度きり。これが上手くいかなければ、あたしは今度こそ打つ手を失くす。その上、今から試そうとしている策はあくまで絵空事に過ぎず、成功率など皆無にも等しい。

 だが、この場であいつに一太刀を浴びせられる手段はこれしかない。一か八かじゃ駄目なのだ。絶対に、何が何でも成功させてみせる。


 あたしが放とうとしている技は極めて単純。浮塵子ノーシーアムを追い払う時にも用いた初等剣技の一つ、疾風ハヤテだ。

 この技は実体を持たないが故に威力が減衰しやすく、相手への牽制にしか使うことができない。本来ならこんなものを放ったところで、イグニス相手にはそよ風程度にしか感じないだろう。

 しかし、これから繰りだすのは単なる剣風ではない。あたし自身に残された全精力を注ぎ込み、ロミが付与してくれた風の魔力そのものを増幅して風刃を形成するのだ。


「は……づぅ……ッ!!」


 荒れ狂う暴風を全身全霊を傾けて抑え込む。当然ながら、なまくらシミターの鞘にそんな代物を留める強度があるはずもない。鞘を闘気で覆うことで、辛うじて形を保っているような状態だ。

 そもそも、他人が施した魔力に手を加えるなどということは、熟練の術士でも至難とされるような離れ技である。少しでも加減を間違えれば立ち消えるか、最悪の場合は暴発してあたし自身に牙を剥くだろう。それでも、やるしかない。


「これで……終われぇぇぇええッッッ!!」


 爆発寸前の闘気を抱えたまま、あたしは上空へと高く跳躍した。奴の頭上を取り、今もなお熱線を放出し続けるイグニスへ向けて剣を振り抜く。

 極限にまで圧縮された風が解き放たれ、巨大な刃と化して大空洞を飛翔する。それは一直線に標的へと伸びてゆき、さながら翠碧の颶風のように竜の両翼を切り落とした。


「今よリーシャ、ぶちかませぇええぇぇッッ!!」

「はぁぁぁあああッッ!!」


 体勢を崩したイグニスが、大きく仰け反り均衡が崩れ去る。リーシャの聖剣から放たれた光の奔流が、今度こそ熾焔竜の身体を完全に呑み込んでいくのが見えた。


  ◆


 ガタゴトと揺れる馬車の中で、あたしはふと目を覚ました。

 窓の外に流れているのは、どこまでも広がる雄大な草原。久方ぶりに眺める空は夕暮れに差しかかっており、寂寥感を感じさせる茜色へと染まりつつあった。


 イグニスの試練をどうにか乗り越え、リーシャが用意していた帰還用の法術で遺跡を脱出したあたし達の前に現れたのは、翠銀色の甲冑に身を包んだ騎士の一団――メルヴィールが誇る竜翼騎士団の面々だった。

 いかなる手段を用いたのか、教会はあたし達が聖剣の奪還に成功したことをすでに把握していた。他国の騎士を使いっ走りにするその影響力といい、つくづく光王教会という組織は底が知れない。


 ともあれ、教会が迎えを寄越してくれたことは素直にありがたかった。何せあたし達ときたら満身創痍で、持ち込んだ食糧すら底を尽きかける有り様だったのだから。今は彼らが用意してくれた馬車に乗って、副都までの帰路を辿っている真っ最中という訳だ。


 それにしても、今回の依頼は本当にとんでもなかった。広大な森林や遺跡の探索に加え、極め付けはあの熾焔竜イグニスとの死闘だ。

 冒険者になって、いきなりこんな大冒険に巻き込まれるなんて思ってもみなかった。

 だが、強敵との戦いを望んでいたあたしにとっては、血湧き肉踊る体験だったことは言うまでもない。これからの剣術修行にも、より一層の気合いが入るというものだ。


「……く、くくっ」


 目の前に広がる光景を眺めながら、あたしは込み上げてくる笑いを堪えるので必死だった。向かいの席でロミとリーシャが、肩を寄せあってぐっすりと爆睡していたからだ。

 よっぽど疲れていたとはいえ、四六時中いがみあってる二人が仲良くおねんねしてる姿なんて、そうそう見られるもんじゃない。冒険の最後オチを締めくくるのには、お誂え向きと言ったって過言じゃないだろう。


(ったく、可愛い顔しちゃってまあ……)


 無防備な寝顔を晒す二人の姿は、まるで仲睦まじい姉妹のようにすら見えた。

 お世辞にも乗り心地がいいとはいえない馬車の振動に揺られながら、あたしは目を覚ましたこいつらを、どうやって揶揄ってやろうかと考えを巡らせるのだった。

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