第9話
湿地帯の奥地へ進むにつれ、周囲を取り巻く緑はますます色濃さを増していった。縦横無尽に伸びる枝葉が幾層にも渡る自然の天蓋を作りだしており、森の中は
何度かの野営を挟んでいたが、すでに昼夜の感覚すらも曖昧になりつつある。
樹々の隙間からは、殺気がこもった視線がひっきりなしに投げかけられていた。時折り襲いかかってくる魔獣の群れを、あたし達は幾度となく返り討ちにしている。
「……ねえ、リーシャぁ。目的の遺跡とやらには、まだ着かない訳ー?」
「事前に派遣された調査隊の報告によれば、この辺りのはず」
「その台詞、さっきからもう何度も聞いてる気がするんですけどー?」
「あなたの台詞も、同じくらい耳にしているわ。愚痴を言ったところで始まらないのだし、黙って歩きなさいな」
「はいはい、わかってるって。言ってみただけ」
たしなめるようなロミの物言いに、あたしは唇を尖らせるより他になかった。
「……けれど、かれこれ半日以上も樹海を彷徨っていることは事実。教会ご自慢の調査能力も、存外あてにはならないものね?」
「この一帯は人里から隔絶されており、記録もほとんど残されていなかった。未踏の地から、手がかりを見つけだしただけでも評価されるべき」
「ならせめて、遺跡へ至る道標べの一つでも残しておいてほしかったわね。ただ闇雲に探し回っていたのでは、埒が明かないでしょう」
ちくりとロミが厭味を口にするも、リーシャはどこ吹く風といった様子。
森の中はどこも同じような景色ばかりが広がっており、加えてじめじめと蒸し暑くてかなわない。おまけに雑魚とはいえ連日連夜の連戦で、いい加減にうんざりとし始めていた。
「……何か、来る」
「はぁ、またなのね」
ほら、言ってる側からこれだ。
あたしはため息混じりにぼやくと、腰から剣を抜いて構えた。しかし、暗がりの奥から響く低音を耳にした瞬間、思わず全身が総毛立つ。
「げっ、最悪じゃない!!」
視界を覆わんばかりの勢いで押し寄せてくるのは、黒々とした靄のような羽虫の群れだった。
何より厄介なことに、非常に小さなことから物理的な攻撃の効果が薄い。勝てないほどの相手ではないのだが、あたしやリーシャにとっては天敵と呼んでも差し支えなかった。
「――
ロミの掲げた杖の先から放たれた冷気の渦が、周囲の気温を一気に低下させる。氷礫を撒き散らしながら飛来する球状のそれは群れの中心で炸裂し、巻き込まれた羽虫たちを瞬時に凍りつかせた。
砕け散ったノーシーアムの残骸がきらきらと宙を舞うが、奴らの勢いは止まらない。仲間がやられたことなどお構いなしで、二群、三群と新手が殺到する。
「
剣風を乗せた斬撃でまとめて薙ぎ払ってはみるものの、いかんせん数が多すぎて焼け石に水だった。リーシャも大剣を振るって応戦しているが、流石にちょっと分が悪そうだ。
「いくら何でも、数が多すぎる。ここは退いた方が賢明そうね」
「賛成!!」
こんなものをまともに相手していては、体力を無駄に浪費するだけだ。
あたしはロミの提案に応じると、群れを一蹴してから後ろへ向けて全力で駆けだした。
「どけどけどけぇぇぇーっ!!」
脇目も振らず、森の中を疾走する。行く手に塞がる魔獣どもは、先陣を切るあたしとリーシャが片っ端から剣の錆びにした。
しかし、それにしたってしつこいったらない!! ノーシーアムの群れは、執拗にあたし達を追ってきていた。他の群れまで合流しているのか、さっきより数が増えてる気すらしてる。
「……レイリ」
「何っ、リーシャ!!」
「止まった方が、いい」
「はぁっ!? あんた、この状況で何言ってんのよ!!」
背後からは依然としてノーシーアムが迫ってきている。こんなところで足を止めたら、あっという間に取り囲まれて奴らの餌食だ。けれど、リーシャはそれ以上語ることなく、無言でこちらを見つめるのみ。
やがて前方に、ぽっかりと拓けた広場が見えてきた。こうなったら、観念してあそこで迎え討つしかないか。そう思って広場へ飛び込んだ瞬間、頼りない感触と共に足元からぴしりと乾いた音が響く。
「……はい?」
視線を落とした先には、無数の亀裂が走っていた。裂け目はみるみるうちに広がっていき、盛大な音を轟かせながら地面が崩壊していく。
「だから、止まった方がいいって言った」
「そ……そういうことは、もっと早く言いなさいよーっ!!」
虚しく木霊する絶叫と共に、あたし達はなす術もなく奈落の底へと落ちていった。
◆
一瞬の浮遊感を味わった後、全身を冷たい感触が包み込む。下は地下水脈になっていたらしく、落下による衝撃をある程度緩和してくれたらしい。
「いっ、つつつ……。ねえっ、二人とも無事ー!?」
「ええ、どうにか。まったく、ひどい目に遭ったわね」
「平気よ、問題ない」
呼びかけた声が、暗闇の中にわんわんと反響する。頭上から差し込むわずかな光が、それなりの高度から落ちてきたことを示していた。どう見たって、這いあがって戻れそうな高さではない。
不幸中の幸いだったのは、さしものノーシーアムもここまでは追ってこなさそうということぐらいだろうか。
「あっちゃー……」
途中でどこかにぶつけてしまったのか、手にしたカンテラは粉々に砕け散ってしまっていた。予備に持ってた松明も、着水した際に湿気ってしまって使い物になりそうにない。
ロミ達も似たような有り様のようで、周囲は森の中以上の暗闇に閉ざされていた。このままでは、身動きを取ることさえもままならない。
「……仕方ないわね」
嘆息混じりの声と共に、ロミが立ち上がる気配がした。次いで杖の先がぼんやりと光りだし、小さく短かな呪文がそれに続く。
「――
ぼうっと浮かび上がった青白い光球が、空洞内を煌々と照らしだした。明かりに目が慣れだし、周りの様子が次第にわかるようになっていく。
そこは巨大な地底湖のほとりだった。空洞内はあたしが想像していたよりも遥かに広く、ぱっと見ではどこまで続いているかがわからない。
何より圧巻だったのは、湖と向かい合うように聳え立つ無数の廃墟群だった。石造りの建造物の大半は倒壊し朽ち果てていたが、かつては壮麗な街並みだったことが窺い知れる。
「ここが
「……あなたの認識は正鵠を射ているわ、レイリ。ここはかつて栄華を誇った帝国の中枢都市。過去に引き起こされた天変地異によって、地盤ごと地中深くへ埋没した帝都の慣れの果てなのだから」
魔法の明かりを宙へと浮かべ、ロミはこちらへ振り返ることなく呟いた。瓦礫の山をじっと見据えながら語る声音は、心なしか硬さを帯びている。
「しっかし、魔術ってのは便利なもんね。簡単にそんな明かりまで出せちゃうんだからさ」
「…………」
ふと、横合いから気配を感じて振り返ると、リーシャが杖の先に灯る光球を眺めていた。それからすぐロミの方へ向き直り、無言のまま非難めいた眼差しを向ける。
「……これぐらいのことは、目をつぶってくれないかしら。原理そのものは、一般的な魔術とさして変わらないのだし」
「わかっている。けれど、なるべくならば控えてほしい」
「ご忠告、痛み入るわ」
「……? 二人とも、どうかした?」
「何でもないわ。それより、まずはこの濡れた服をどうにかしないと」
「それもそうね。このままいたら、風邪でもひいちゃいそう」
ロミの提案に反対する理由はなかった。
地底湖から上がった先には、打ち捨てられた落とし格子の残骸が転がっていた。どうやら、この辺りには城塞の門跡があったらしい。崩れ落ちた城壁の一角に適当な空間を見つけると、あたし達は野営の支度にとりかかった。
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