第10話
「――女神の徒たる我らに、しばしの休息を」
聖水で描いた法陣の中心で、リーシャが祈りを捧げる。そうして張られた簡易結界には、短時間ではあるが魔物たちから身を隠す効力があった。
冒険者の間で広く知られる法術の一種だが、ロミに言わせるとこんなものは神の力ではなく、教会が庶民向けに編み出した小細工に過ぎないらしい。
あらかじめ安全が確保されていることが前提になるため用途も限られてくるのだが、こうした敵地でのちょっとした休憩に重宝することは間違いない。
火を起こした焚き木の周りで車座になったあたし達は、濡れた服を乾かしながら粉っぽく味気のない携帯食料を口に運ぶ。
「ところでリーシャ。まだ聞いてなかったけど、あんたが求めてる聖遺物ってのは結局どんな代物なの?」
「……これよ」
こちらの投げかけた問いに対し、リーシャが実体化させたのは彼女が振るっている大剣だった。
魔物どもをいともあっさり両断する切れ味といい、この剣が尋常な代物でないことは明らかだ。しかし、これ自体が聖遺物だというのなら、わざわざ遺跡に潜っている理由に説明がつかない。
「この剣は教会が鍛造した
果てしなく広がる廃墟の山の先を指差しながら、彼女はそう言った。
これが単なる贋作だというのなら、真作はどれほどの業物になるのか想像もつかない。なるほど、人の手に余るというのも頷ける話だ。
あたし達の会話に耳を傾けていたロミが、おもむろに口を開く。リーシャを一瞥するその視線は、いつにもない厳しさを帯びていた。
「……そう。まさかとは思っていたけれど、やはりそうなのね。“
「知っているの、ロミ?」
「かつて、
「つまり、それがこの剣ってこと?」
「まったく、教会の執念にも呆れ果てたもの。こんな
吐き捨てるような彼女の口調には、教会に対する不信感が透けて見えるようだ。
しかし、ロミは教会に何か恨みでもあるのだろうか。少なくとも、信教の違いというだけで説明のつかない、因縁めいたものを感じさせる。
「何というか、途方もない話ねー。そんなことより、あたしはリーシャの強さの方が気になるけど。せっかくだし、一回ぐらいあたしと手合わせしてくれない?」
「……別に、興味がない」
「つれないわねー。あんたほどの使い手は、そうそうお目にかかれるもんじゃないのよ。そんなこと言わずに、ね、お願いだから!!」
しつこく食い下がるあたしに、最初は辟易した様子のリーシャだったが、やがて考え込んだ末に、ぽつりとこんなことを聞いてきた。
「レイリはどうして、剣を振るっているの?」
「へ? あたし?」
思いもよらぬ質問に意表を突かれ、間の抜けた返事をしてしまう。
反射的に思い浮かんだのは、真面目くさったクソ
「……そんなの、考えても見なかったわね。けど、強くなりたい理由だけははっきりしてる」
「何なの、それは」
「どうしても、見返してやりたい奴らがいるのよ。そのためにあたしは、生まれ故郷を飛びだしてここまで来たんだから」
「そう。……そういうのって、羨ましい」
「羨ましい? 何でよ」
「わたしは空っぽだから。あなたみたいに、自分の意志で目標を決めたことなんて、ない」
無口で感情を表すことのないリーシャにしては、珍しい反応だった。
いつになく饒舌な語り口から、彼女が内に秘めた葛藤のようなものを垣間見た気がした。そのことが無性に、あたしの興味をかきたてる。
「随分な言い草じゃない。それだけの強さを持ってて、空っぽも何もないでしょうよ。あんたにだって、教会に仕えるようになったきっかけや理由があるんじゃないの?」
「わからない。わからないからこそ、わたしは教会に身を置くことを決めた」
「……どういうことよ、それ」
「わたし自身、どうして自分なんかが選ばれたのかわからない。神子に選ばれる以前、わたしは何の取り柄もない平凡な村娘に過ぎなかったのだから」
訥々と自分の過去を語るリーシャ。彼女の生まれ育った村は、大陸の南方に浮かぶ島の森深くに、ひっそりと佇んでいるのだという。
「ある日、村に教会からの使者がやってきた。彼らはわたしに神子としての素質が備わっていると告げ、大聖堂がある聖都まで同行するようにと要請してきた」
教会からの求めに応じたリーシャは、教主から直々に剣の神子としての使命について説かれたらしい。齢十二にして教会の洗礼を受けた彼女は、神子に相応しい力を身に付けるべく、聖都で鍛錬の日々に明け暮れた。
聖剣を自在に振るうための戦闘術のみならず、教義や教会儀礼、法術の数々に至るまで。ありとあらゆる知識を徹底的に叩き込まれたのだという。
やがて十六歳を迎えたリーシャは神子として正式に認められることとなり、教会が鍛えあげた聖剣の複製品を賜ったのだそうだ。
事もなげに語るリーシャではあったが、その努力が尋常ならざるものであったことは想像に難くない。
恐らくは教会に招かれてから今日に至るまで、ほぼ片時も剣を手放すことなく振るい続けてきたのではないだろうか。彼女が立つ境地というのは、そういった苛烈な研鑽の果てにしか成し得ないものだ。
「……やっぱり、あんたってすごいと思うわ。普通はただ選ばれたってだけで、そこまで強くなんてなれやしない。もっと、胸を張ったっていいんじゃない?」
「わたしは、教会に言われるまま剣を振るっているだけ。そんな自分が、どうして剣の神子に選ばれたのか、ずっとわからずにいる」
自分の手をまじまじと見つめながら、リーシャはそう静かに独白する。そんな彼女の言葉に、謙遜の色はなかった。
きっと心の底から、自身を空っぽと信じて疑わないのだろう。あたしが何を言ったところで、その考えを覆すことは難しいのかもしれない。
「……そろそろ、結界の効果も切れる。服も乾いたし、そろそろ出発しましょう」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!! まだ、話は終わって……」
焚き火の跡をそそくさと片付けると、リーシャは一人でさっさと歩きだしてしまう。ロミはというと、途中からあたし達のやり取りに参加することはせず、終始無言を貫いたまま耳を傾けていたようだ。
所在をなくし、あたしが向けた視線に気が付くと、彼女は静かに
◆
休息を終えたあたし達は、眼前に広がる地下遺跡の探索を開始した。
かつて栄華を誇ったであろう廃都の至るところには、滅亡した帝国と運命を共にした亡者が群れをなして彷徨っていた。
アンデッドの群れをかいくぐり、街区を抜けた先に待ち受けていたのは、帝城の地下に広がる巨大な迷宮だった。
現在、あたし達は迷宮の第六層にいる。巨石を煉瓦状に積み上げた回廊が、縦横無尽に張り巡らされている。先頭を歩くあたしの後ろにロミが続き、しんがりはリーシャが務めていた。
道幅は大人が並んでも歩ける程度に広く、天井も高く作られているため閉塞感はない。とりも直さずそれは、襲い来る魔物どもの動きを妨げないということと同義でもあるのだが。
迷宮区画を徘徊する魔物たちは、街区で遭遇した不死生物以上の難物揃いだった。階を下るごとに脅威を増していく奴らの対処だけでひと苦労だというのに、随所に配置されている罠の存在も決して油断ならないものばかりだ。
先ほど上階で遭遇したトラップなど、落とし穴の先に石化毒を持った
「まったく、正気の沙汰じゃないわ。帝国の連中は、何を考えて城の地下にこんな馬鹿でっかい迷宮をこさえたりしたってのよ」
「一説によると、この迷宮は人ならざる
「人魔戦争?」
「かつて帝国は、畏れ多くも神の降臨を試みたの。その力を我が物とし、帝国の体制をより盤石なものとするためにね。しかし、召喚の結果この世界に現れたのは、外なる邪神の眷属たる魔族の軍勢だった。帝国は一夜にして滅び、帝都もろとも地の底深くへと沈んでいったわ」
「ふーん……相変わらず、物知りねえ」
「そこまでにしてほしい。大災厄の真相は、人々に軽々しく語っていい内容ではない」
「あー、はいはい。二人ともそのくらいにしときなさい。ほんっと、教会ってとこは秘密主義なんだから」
ロミの講釈にケチをつけるリーシャをあしらうのも、いい加減に慣れてきたところだ。本格的な論争に発展する前に、適当なところで話題を打ち切ってやる。
リーシャはまだ何か言いたげに眉をひそめていたが、それ以上取りあうつもりはなかった。
「……気を付けて。その先の曲がり角に、罠が仕掛けられているから」
「オッケー。ロミ、お願い」
「ええ」
小さく頷いたロミが、前方に向けて杖を掲げる。魔力によって生みだされた幻影が通路を横切った瞬間、壁から突き出した無数の槍に貫かれて四散する。
ここまでどうにかやってこられたのは、リーシャの予知めいた直感あってのことだ。単純な戦闘能力以外でも、彼女の駆使する法術や治癒術には幾度となく助けられている。
「その力があれば、
「神の奇跡を、愚弄する気なの?」
「冗談だってば。でもさ、こうしてあんたと組んで迷宮を探索するってのも、なかなか悪くないと思ってさ。どう? リーシャも教会なんておん出ちゃって、あたし達と一緒に冒険者やってみない?」
「……あり得ない話。わたしはすでに教会に身を捧げている。易々と神の御許を離れることは許されない」
「そこは嘘でも、考えとくって言うところでしょうが」
「レイリの願望を、押しつけられても困る」
まあ、こっちとしてもリーシャが本気で誘いに乗るとは思っていなかった。聖剣を手に入れたリーシャは教会へ戻り、これまで通り修練に明け暮れながら使命を果たしていくに違いない。
だけど、不思議なこともあるもんだ。あたし自身、冒険者として群れることを嫌がっていたはずなのに、この二人となら上手くやっていけそうだと思っているのだから。
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