ぼくらの監禁生活
神宮要
01
【Day 1】
じゃらりと音がして目が覚めた。其れは或る意味馴染み深い音で、然し聞きたくもない音でも在った。目を向けなくても解る、両手を上に一纏め。冷たく錆びた鉄の感覚。拘束。自分に相応しい罰を思い出し、少しだけ眉を顰める。何時か、何処かで。思い出したくも無い其れを、嫌な程自分の身は覚えて仕舞っている。
「如何してこうなって仕舞ったんだっけ…」
ズキンズキンと頭痛がする。きっと此処に拘束される前に頭を殴られでもしたのだろう。けれど。如何して、と更に疑問が湧き出す。僕は探偵社の一員だ。国木田さんに其れなりに体術を仕込んで貰ったし、抑々僕の異能力「月下獣」で聴覚を初めとした五感が強化され、反射神経も在った筈だ、例え任務の帰り路だったとしても。だからこそ。最悪の考えが過ぎる。探偵社に入った最初の日に見せられた写真。国木田に「此奴に遭ったら逃げろ」とまで言われたその人。其れはポートマフィアの――
「やあ、起きたかい? 強めの睡眠剤を打って置いたのだけれど、矢っ張り早めに切れたか。感心、感心。君の其の治癒能力は想像通りだ」
――太宰治。
黒尽くめの服と外套、其れから本来晒されるべき肌の至る所に巻かれた、片目すら塞ぐ包帯のその人が眼前に居た。目の前がぐらりと揺れた気がした。此の人に遭ってはいけない。逢ってはいけない。国木田の声が木霊する。けれど。どうやって逃げれば善いのかなんて聞いて居ない。暗く冷たい部屋の中、其の人だけがにこりと、不釣り合いな笑みで此方を見下ろしている。武器は何も持って居ない様に見える。ならば。
「―――月下獣」
呟き、先ずは自らの異能力で拘束された手を虎の力で引きちぎろうとしたその時。バチン、と音がした。続けて頬が熱くなる。殴られたのだと気がつくと同時に、発動しようとしていた力が霧散していく感覚にゾッとする。此の感覚は、初めてだ。あぶない、あぶない。全く然う思って居ないような軽い声色で男はのんびりと腰を下ろす。そうして僕と目を合わせるようにしゃがみこんだ男はにっこりと、しかし暗い瞳で、こちらを覗き見る。怖い、反射的に然う思った。此の人は危ない。本能的に感じ取った其れがきっと正しいのだろう。単なる危機察知能力じゃない、此の人自体が、危ない人だ。僕がやっと、其れに気付いた時、知らず息が上がる。追い詰められた人間が発するような、あの息の上がり方。
「殴って仕舞って悪かったね。けれど然うしないと君は逃げて仕舞うだろう? それに、私の能力を知って貰う為にも必要だったからね。私の異能力『人間失格』は触れた相手の異能力を無効化するんだ。此の意味が解るかい?」
相も変わらず綺麗に笑い、のほほんと、此の状況に似合わない声色で男は喋る。意味なんて。僕は目を見張り、そして唇を噛みしめる。そんなの、卑怯じゃないか。異能力者を殺す異能力なんて、聞いた事が無い。こんな人と出逢って仕舞ったのなら。どうやって逃げれば良かったというんだ。
「まァでも。異能力に対して有効という訳なだけで、銃弾を撃ち込まれたり肉弾戦に持ち込まれたら意味の無い能力だよ。でも私は残念ながらポートマフィアの一員で、肉弾戦はそれなりだし、少なくとも君よりは強いと自負出来るよ、敦君。抑々君、肉弾戦なんて習って居ないだろう? 其れに銃も持って居ないしね」
さらりと自分の弱点すら云う太宰治という男を、僕はただ見ることしか出来ない。付け足された言葉の総てが事実だという事も、僕は受け入れる事しか出来ない。僕がまた異能力を使うのを止めようとしているのか、彼は右手で僕の頭を撫で始めた。触れているのであれば何処でも構わないのだろう。事実、異能力を発動しようとしても端から霧散していく感覚がする。解かっただろう?とばかりに笑みを深くする男に、僕はただ困惑していた。
「如何して、僕なんですか」
一番の疑問。僕は其れをぶつけてみる事にした。だって僕は探偵社に入ったばかりで、体術だって未だ教えて貰えていないような新人で。一介の調査員のようなものをしていて。自分の力も少し使いこなせるように成ったばかりの、ただの人間で。僕なんかを人質にとっても何の意味も無いと思うのですが。然う男に正直に伝えると、彼は少しだけ目を見張り、それから何故か照れだした。
「ええ、其れをもう聞いちゃうんだ? まあ何れ云う積りだったから最初に云った方が善いのかな、こういうのは。うん。然し改めて言葉にしようとすると何ともまあむず痒いものがあるね、うん」
ひとしきり独り言をつぶやいた後、彼はとても真面目な顔をするものだから、僕は緊張で固まった。其れに気づいたのか、彼はそんな死刑宣告されるような態度じゃなくて善いよと云いながら頭を撫で続け、こう云った。
「君の事が好きなんだ。だから、手に入れようと思って」
死刑宣告をされた。
【Day 2】
謎の告白の後、また睡眠剤を打たれ、眠気がやっと取れた頃。ガチャンと重い音がして、投げ出した足から遠い場所にある扉が開く音がした。見れば、矢っ張り昨日と変わらないその姿―――太宰治が此の部屋へ入って来た所だった。距離にして約三十
「私が―否、私たちが双黒と呼ばれて居るのは知っている?」
ピクリ、と手が動いた。双黒。此の道に居らずとも知っている者は知っているその噂。曰く、とある施設を一夜にして壊滅させた、とある関係者を皆殺しにしてみせた。そういった噂は、たった二人だけで行われていると云う。
「其の様子だと知っていたみたいだね。然う、片方は――名前を出すのも面倒だ、あの蛞蝓なんかどうだって善いのだけれど――まァ一応紹介してあげよう。中原中也。重力操作を使う背の低い男。そしてもう一人が私。何でこんな紹介をしてあげたかって云うとね。敦くん。今君、私と距離が或るから異能力を使って脱出出来ないか、と考えたでしょう。目が動いたよ、私の距離を図るように。それから、壁の方へ。解りやすくてとっても可愛いね。うん、逃げて体制を整える、此れもまた一つの戦法だものね」
にこやかに、晴れやかに。よく出来ましたとでも云うように優しい声で僕の考えて居た事を的確に当てる眼前の男に、冷や汗が出る。何故、こんなにも早くバレて仕舞うのだ。だって考えてから一瞬だって経ったかどうか。呆然と見上げて居ると、太宰は人差し指をピンと立てる。まるで、教師の様に。
「でもねぇ、敦君。君は見落としを数点して居る。先ず一点目。君が異能力を発動した瞬間に私が君の元へ辿り着く可能性を考慮して居なかった事。一応こんなのでも私、最年少幹部だって持て囃された時期だって在ったし? それから今まで生きてるってのがどう云う事か解るかな。怪我はすれど、最低限に修める事が出来るって事だよ」
立てられた指が、二本に増える。
「二点目。君が無事異能力を発動し、壁を壊そうとするだろう。けれどこの壁、君専用に作った物だから、壊すにはそれなりに時間がかかる。君の異能力は勿論知って居るよ。そして今その力がどの程度まで出せるかも。壊せないことは無い。だけれど、時間がかかる。数秒ね。けれど其の数秒が命取りになる。私に触れられて終わりだ」
三本目。
「其れから。仮に―――運が君に味方して私に触れられず壁を壊して逃げられたとしよう。君は無事に探偵社へ戻る事が出来たとして。其れで終わると思うかな? 私は何時だって探偵社を壊す事だって出来るし、其の中にいる皆さんを天国だか地獄へ送る事が出来る。一夜なんて云わない。一瞬だ」
微笑み、扉の横に背を預け、足を組んで。楽しそうに指摘する其の総てが、太宰には実際に出来る事なのだろうと、唐突に理解した。理解してしまった。震えが止まらない。僕は、震えを止める事が出来ない。カタカタと、震えに呼応するかの様に、手を拘束する鎖が背の壁に当たる。僕自身はどうなっても善い。けれど。探偵社の皆には。
「然う――君はどうなっても善いと考えている。けれど他の皆さんはどうかな。私は探偵社に居る全員を記憶しているよ、事務員の一人ひとりまで。嗚呼、でも一瞬で壊滅させちゃうのは詰まらないよねぇ。矢っ張りあれかな、もう一度君を捕まえて、目の前で一人ずつ殺して見せるのはどうだろう。君自身が招いた結果だって知らしめるには打ってつけだよね。実際マフィアの中では常套手段だし――」
「止めて下さい!!!」
ガシャンと、壁に手を打ち付けながら、怒鳴りつける。もう限界だった。これ以上聞いたらどうにか成って仕舞いそうだった。だってそうじゃないか、僕のせいで、皆が、殺されるだなんて。在ってはならない。駄目だ、駄目、駄目、駄目、駄目だ。恐怖が僕を襲う。僕はどうなっても善い。だけれども。嫌だ、何で、こんな。
「お願いします……探偵社の皆には……」
か細い声を出すのが精一杯だった。其れでも、太宰はにっこりと笑みを深くし、頷いた。
「うん、解ってくれたなら善いよ。君が此処に居てくれるだけで、探偵社の皆は救われる。其れは忘れないで」
カツコツと靴音を鳴らし、僕の元へと足を進める。スキップでもしそうな程、その歩みは軽い。あっという間に昨日と同じ、目の前でしゃがみ込む体制、距離へと。先程僕の考えを一つずつ否定していった指が、僕の右頬に流れる一筋の長い髪を掬う。僕はただ、俯くしか出来ない。其の表情を、見るのが怖い。けれどそんな事どうでも善いかのように、さらりさらりと髪を弄びながら、今日からは足枷で、睡眠剤も要らないかなあ等と独り言を云っている。否、独り言では無いのだろう。然うしても自分は逃げないだろう? と確認している。態とらしく、しかしさり気なく。怖い、人だ。
手際よく僕の手枷は外され、代わりに長い長い鎖の付いた足枷が嵌められた。多分、扉にはギリギリ届かないのだろうが、部屋の中は比較的自由に動ける。立ってみて、と云われて立つと、少しふらつき、太宰に支えられた。少しだけ歩いて、感覚を取り戻すと満足そうに太宰は頷く。
「大丈夫そうだね。一応睡眠剤の副作用が無いか心配して居たのだけれど、それは杞憂だったようだ。今日からご飯は私が持って来るから、好きなものを毎日云ってくれるかい? 大丈夫、毒とか睡眠薬とか入れないから。というか、入れる意味が無いし」
何が食べたい? と聞かれると同時に、ぐうと腹から音が出て仕舞い、若干気まずくなる。一方太宰はというと、少し豆鉄砲でも食らったような表情をして、それからお腹を抱えて爆笑した。理不尽だと思った。もうこうなったらヤケだ。とびきり豪華なものを所望してやって、困らせてやろう。そう思ったものの、生憎と孤児院育ちの僕には高級なものなんて解らない。脳裏に過ぎるのは、孤児院時代に食べたあの――
「何でも、善いんですよね」
「うん。何でも云ってご覧」
「じゃあ……茶漬けが、食べたいです」
爆笑された。
【Day 3】
僕たちの間で決まりごとが出来た。
一、 遠慮なく会話をすること
ニ、「太宰さん」と呼ぶこと
三、一日一回、互いに「好き」だと云うこと
僕としては最後の決まりごとは流石にどうかと思ったのだが、文句を言える立場では無い。とは云え、一つ目の決まりごとに沿って「どうかと思います」とは云ったのだが、「駄目かい……?」と若干潤んだ片目で見上げられては閉口するしかない(因みにその時僕は部屋に持ち運ばれたベッドに腰掛けて居て、太宰さんは床に座っていたのだ)。抑々僕を攫ってきた理由が「僕を好きだから」だったんだっけ……と頭を抱えた。太宰さんは、頭が善いのか悪いのか解らない。マフィアって何だっけ。現実逃避したくなる気持ちを誰か解って欲しい。というか、此れをポートマフィアの皆さんは知っているのだろうか。知られていたくないなあ。イメージが崩れる気がする。
「何か考え事かい?」
両者共に仲良く(かどうかはともかく)ご飯を食べながら、太宰さんが問う。今日のご飯は和風ハンバーグだ。
「マフィアって善く解らないなって思いまして」
正直に思った事を云い、小さく切った肉を口に入れて咀嚼する。溢れ出す肉汁が口の中を満たし、素直に美味しいなあと思う。昨日食べたお茶漬けも美味しかった。当初は毒が入っていないか震えながら食べたのだが、結局何も入って居なかったようで肩透かしを食らったものだ。食べられる時に食べておく、それが僕の信条だ。今更毒に怯えていられない。太宰さんはふうん、と相槌を打つ。
「あ、でも君を攫ったのはマフィアの意志とかじゃなく私の独断だけどね」
「ええ……?!」
それマフィア的にどうなの。ていうか人としてどうなの。色々ツッコミどころ満載なのは気のせいじゃない筈だ。思わず箸を取り落としそうになり、慌てる僕に構わずもくもくとご飯を食べる太宰さん。心なしか楽しそうに此方を見ている。
「それだけ君が好きって事だよ」
カウント6。今日太宰さんが好きだと僕に云った回数だ。一日一回で善いんじゃなかったっけと思ったのだが、上限は設けていないよとの正論にぐうの音も出なかったのを思い出す。
「太宰さんは、アレですか。ヤンデレって奴なんですか」
じとりとした目で眼前の人を見てしまうのを許して欲しい。太宰さんは少しぽかんとした目で此方を見て、
「さァ」
それから何事もなかったかのように笑みを浮かべて。
「何が病んでいるかなんて解らなく成って仕舞ったよ」
何事もなく食事を再開した。
布団に入り、却説寝るかという時間。備え付けの棚にご丁寧に或る時計は十二時を回った頃。じゃらりじゃらんと鎖の音を響かせてベッドへ行こうと歩き出した僕を、太宰さんの腕が引き止める。
「敦くん、約束は?」
優しい声。此処に人を監禁している様には思えない、その声色。如何してこんな風に優しいと怖いを使い分ける事が出来るのだろうと謎に思いつつも、顔を合わせる事無く、口を開く。
「好きです」
誰の事を、なんて云ってもいないのに、背後からうふふ、と上機嫌な笑い声がして頭を撫でられた。
「おやすみ、また明日。暖かくして寝るんだよ」
僕はその場に立ちすくんだまま、太宰さんは其れを気に留めることもなく扉の向こうに消えていった。
【Day 7】
其の日は何時もと違った。やァと扉から現れ片腕を上げた太宰さん。その腕に巻かれた包帯は血が滲み出していた。僕はそれを、椅子に座って呆然と見ていた。そうだ、此の人はマフィアだ。若しかしたらそれで怪我をしたのかもしれない。太宰さんは気にも留めずルンルンと此方へ向かって歩いてくる。傷など知らないと言わんばかりに。
「あの、太宰さん。その傷」
流石に痛々しい其れを指摘すると、ああこれ、とヒョイと腕を上げ、じっと自分で見つめる。とても興味なさげに。
「これね、自分で切った」
「……は?」
「あれ、云って無かったっけ。私の趣味。自殺を試みる事なのだよ」
でもなっかなか死ななくてねえ。いやはや、悪運此処に極まれり、だねえ。そうのんびりと笑うその姿が、妙に似合わなくて。僕はとっさに叫んでしまったのだ。
「なっ…何を莫迦な事を! 早く消毒しないと…というか、止血!」
それに驚いたのは太宰さんだった。ピタリとよく回る口を閉じ、それからおずおずと確認するかのように口を開いた。
「ねえ敦君。若しかして…うん、若しかしてなんだけど、心配してくれて居る?」
「ええそうですよ怪我した人を放って置くような人間じゃないですから! とにかく早く包帯! その前に消毒!!」
僕の声に気圧されたのだろうか、ベッドの備え付けの棚を指差し、上から二番目の引き出しに、とぼんやりと呟いた。僕は其の場所へ駆け出し、引き出しを開ける。其処には確かに消毒液の入った容器と包帯、ガーゼ等が入っていた。それらを抱えられるだけ抱え、太宰さんの元へと戻る。椅子に座るように促し、自分の座る椅子も用意する。血に塗れた包帯を解くと、其処には幾筋もの赤く深い傷創が刻まれていた。余りにも酷い有様にう、と声が出そうになるが其処は我慢した。多分、声を出してしまったらもう二度と見せてくれない様な気がしたのだ。
何故そんな事を思うのだろうと、頭の片隅で思う。此の人は僕を誘拐し監禁している人間だ。けれど、怪我をした人間を心配するのは当たり前じゃないかという僕の常識が其の考えを上回った。消毒液を傷口にぶちまけてみたが、太宰さんは少しも痛がる素振りを見せなかった。慣れてしまう程この行為は行われてきたのだろう。その証拠に晒された手首から肘にかけて、白くなって仕舞った傷跡が無数に存在していた。ガーゼで少し傷口を圧迫してみせてもその態度は変わらずに。其れが何故だか少し、悲しかった。
出血が止まるのには少しの時間を要した。切ってから適当に包帯巻いただけだから、という太宰さんの言葉にげんなりと呆れながら、きちんと包帯を巻いていく。こうすれば元通りだ。外見だけは。包帯を留めて、終わりましたよと云おうとした瞬間、僕は太宰さんに腕を引かれ、抱きしめられていた。微かに、先程ぶちまけた消毒液の匂いがする。それと同時に、多分太宰さん自身の匂いもする。こんなにも近くに、人の暖かさがあるのだと少しびっくりした。
「有難う。真逆心配してくれるなんて、思って居なかったから」
「否…人として当然の事をしたまでっていうか……」
「其れでも善いよ。有難う敦君。好きだよ」
抱きしめられた侭、頭を撫でられる。傷の手当をしていない方の腕で。けれどきっとその腕も包帯の下は傷だらけなのでは無いかと思うと、少し涙が出そうになった。何故だろう、悲しいという気持ちが、僕を支配していた。此の人は悪い人だと解っているというのに。なのに。
「……ちゃんと、傷の手当はして下さい」
自殺未遂をしないで下さい、とは云えなかった。僕の頭の中は矛盾でぐるぐるとしていた。此の人が、例えば自殺に成功すれば、マフィアにとっては大ダメージだろうし僕も此処から逃げられる。けれどその一言を如何しても言いたい自分も、確かに居て。僕が、善く解らない。
「うん、わかった。でもたまには手当してくれない?」
僕は、何処へいって仕舞ったのだろう。太宰さんの言葉に、頷いて。好きですと、呟いて仕舞ったのだ。
【Day 12】
其の日は朝から雨が降っていた。とはいえこの部屋には窓が無い。微かに聞こえるのだ、音が。確かこの部屋は僕の異能力でも破るのに数秒かかると云っていた。そんな壁、きっと分厚いのだろうと思うが、其れでも聞こえるというのだから物凄い土砂降りの雨なのだろう。ちらりと時間を見やると、午後十時半。何時も昼や夕方にはやってくる筈の太宰さんは、この時間になっても姿を見せなかった。
「太宰さん、遅いなあ」
僕は其れでも、太宰さんがやって来てくれるのを信じていた。ベッドに腰掛けて、眠くなって仕舞うまでずっと、待っていた。
結局、太宰さんはその日、姿を表さなかった。
【Day 13】
太宰さんは今日も来ない。食料は好きな時に食べて、と用意されたパンや保存期間が長くても大丈夫な携帯食料などが在るが、そのどれにも手を出す気にはなれなかった。幸い、空腹には慣れている。孤児院時代に比べれば未だマシなものだ。如何しても我慢が出来なくなったら食べようと思う。其れに、暖かな寝床がある。ふわふわの布団があるだなんて、あの時に比べれば天国だ。
けれど。あんなに優しく笑い善く喋る、あの人だけが居ない。
【Day 14】
今日も、太宰さんは来ない。
【Day 15】
夜更け前、物音で目が覚めた。扉の向こうから、足音が近付いてくる。はっとして飛び起きると同時に扉が開き、そして。
「…太宰さん…其れ…如何したんですか…」
満身創痍。まさにその言葉が似合うであろう怪我の数々。多分医者に治療された後なのだろうが、どう考えても安静にしていなければならないだろう状態だった。右腕は三角巾で吊るされ、動かせないであろうし、松葉杖まで突いている。相変わらず片目を隠した包帯やら両腕の包帯ですら、今回怪我をしているのではと思ってしまう。僕の震えた声に反応した太宰さんは、起きてたんだとのんびりと云う。
「一寸仕事でね。しくじっちゃって」
恥ずかしいなあ君に見られるなんて。でもまあ会いたかったんだからしょうがないよね、だなんて云い続ける太宰さんを見て、ふと涙がポロリと零れ落ちた。
「……敦くん? 如何して泣いているの?」
「そんなの決まってるじゃないですか、太宰さんが怪我したからですよ。それも大怪我で、なのに無理して此処まで来て。莫迦じゃないですか。安静にしていなきゃ、駄目じゃないですか」
言外に、如何して此処まで来ちゃったんですかと問う。それを正しく受け取ったのだろう、太宰さんはポリポリと頬を掻きつつ、云った。
「でも私、敦くんの事、好きだし」
それに私が居なかったら君、何も食べ無さそうだし。ていうか実際食べてないよね食料減ってないじゃない。そうさらりと云い続ける太宰さんに向かって、僕は飛び込んだ。少しよろけたものの、太宰さんは僕を受け止めてくれた。
「えっ何、如何したの敦くん」
「莫迦じゃないですか、本当に」
太宰さんにしがみつく様な体制で僕は言葉を紡ぐ。だって仕方無いじゃないか、声が震えるのも、目から水が零れ落ちるのも、此の人を想って泣いているのを隠したいのだから。如何したって此の人の事が心配に成って仕舞ったのだ。此処数日姿を表さなかった太宰さんを漸く見る事が出来て、安心しただなんて。隠したいに決まっているじゃないか。けれどきっと太宰さんはそんな僕、お見通しなんだろうなあ。だって、背を擦る手が優しい。
「……御免ね」
そう云う声色も、優しい。其れだけで僕は安心して仕舞う。今日は何を食べようか、私もお腹が空いたし、敦君もお腹空いたでしょう。何が食べたい? そう聞かれて。
「お茶漬け」
そうして僕は貴方を笑わせるのだ。
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