ハンター
「名前…」
そういえば。
エリザベスは自分から名乗らなかったし、村のみんなはこの容姿から「ばあちゃん」と呼んだ。罪人だったこともあり、それで良しとしていたが。エリザベスは少し考えて、エリザベスの名はもう捨てたとのだと思い立つ。
「リジー、と呼んでくださいまし」
「リジー…」
子供の頃、両親にだけそう呼ばれていた頃があった。ハルバートとの婚約が決まる前までの、愛された愛称だ。ほんの十七年しか生きていない小娘が「ばあちゃん」と呼ばれて特に嬉しいわけもなく。
七年と七ヶ月の後に、この山から出てこれる可能性も薄いと感じたエリザベスは、最後に自分のことを悪女としてではなく、愛されたリジーとして覚えていてほしいと思ってしまった。
「わかった。リジーだな。誰にも言わないから安心してくれよ。俺も掟を破ったって罰せられたくはないしな。俺は週に一度、山に入る。その時リジーがここまで降りてきてくれたなら、また会うこともできるんだが、これより先は俺たちが侵せない山神様の領域がある。その、罪人は山神様の裁きを受けるっていう掟があるから……。俺たちは介入しちゃいけないんだ。
でも、リジーならきっと魔女の小屋まで行き着けると信じてる。山神様は汚れを嫌い、清廉を好む。あんたから悪意や穢れは一切感じられないから…きっと受け入れてもらえるはずだ。困ったことがあったら、ここまで来い。俺にできる事ならなんとかしてやるから」
まあ、とエリザベスは思う。ハンターの照れ臭い笑い顔が可愛いとすら思えた。自分の醜い容姿など関係なく、真摯に向き合ってくれるハンターに感謝の念すら浮かんでくる。何より週に一回とは一人ぽっちにならずに済むのだ。
「…ありがとう、ハンターさん。では、一週間後にまたここで」
「っ、ああっ!またここで」
ハンターは嬉しそうに笑い、登山中に狩った何羽かのウサギをエリザベスに押し付けて跳ねるように下山していった。
エリザベスはほっこりと心が温まるのを感じた、と同時にじわじわと不安と寂しさが込み上げてくる。
「いけない、いけない。これからは生きるか死ぬかの問題なのだから、しっかりしなくては」
エリザベスは最後にもう一度振り返り、今はもう姿の見えないハンターを見送り小さく「また来週」と呟いた。
走って下山するハンターは、顔を赤くして己の醜態を恥じていた。
「ばあちゃんだって言うのにっ。俺は一体何をときめいているんだか」
出会った時から、なぜかその金の瞳が目についた。
皮膚はシワシワで枯れ枝のように細いのに、あの瞳にだけは違和感があったのだ。村長や村の年寄りたちのように歳をとって達観したような、そんな瞳では無いのだ。好奇心に溢れ、キラキラと輝く瞳がまるで子供のようで小首を傾げる態度や照れ臭そうに笑う表情にいつしかハンターは惹かれていた。
ハンターは23歳。普段は村に貢献する狩人として暮らしているが、山神の神官、管理者としてこの村で育った。この村にいるものは皆が管理者だ。山神の神官となるために教育され、山神の試練に耐えた者ばかりが住んでいる。つまり心清らかなものたちばかりで、麓の管理を行なっているのだ。定期的に送られて来る罪人を見極め、罪を償えるであろう人物には山で生きる術を教え、あとは山神様に任せる。戻って来た者の何割かはこの村に残り、あとは近隣の村や街へと出ていく。ほとんどのものは生きて帰ってこないのだが。
何百年と続いた儀式で新しい人間はそうそう増えることはない。そのせいか、人見知りをするハンターは恋愛には奥手だった。かといって、年寄り相手に恋心を抱いたことは一度たりとてない。村にも若い娘はいるが、皆が家族のようで、恋愛感情は湧かなかった。
リジーの所作は美しい。骨でギスギスなのにシャンと姿勢を正し、人の話を聞く姿勢は村の女たちもほう、とため息をつくほど。罪人の詮索はご法度なので誰も何も言わないが、きっとおそらく貴族だったに違いない。お茶を飲む姿も食べ物を口に運ぶ姿も、笑い方すら品がある。そして極め付けはあのおっとりした話し方だ。陰で村の若い子たちもこっそり真似をする。ほほほと口に手を当てて笑い、「~してくださいまし」が流行り始めた。
「リジー、か」
ともすれば頬が緩み、パチンと叩いて気を引き締める。また一週間後に会えると考えると心が躍った。
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