第6話 公平
相変わらずカルは一人で講義を受けていた。他学部の講義だが、まあ大人数のクラスだし、遅刻した受講生のふりをすれば、問題ないだろう。
「や、カル」
「んっ、珍しい」
僕に気がつくとカルは隣にずれて席を空けてくれた。
「君が履修してない授業に忍び込むなんて、何があったのかしら?」
「話すと長くなる。というか長い話をしに来たってとこ」
「じゃあ後にしましょう。この授業、きちんと聴かないと単位を落とすから」
「この後昼ごはん、食べない?」
「あら、君がそんな風に誘うなんて珍しい」
「いつもどんな風なんだよ…」
「いつもは改まってごはんなんか誘わないでしょう?」
「そうだっけ」
「私がごはん行こうとかは言うけれどね」
確かに、思い起こせばカルを食事に誘ったことはなかったもしれない。カルとはなんとなく一緒にいる時間が長かったから。だけれど、大学に入ってからは、なんとなく一緒にいれる時間はだんだん少なくなってきた。
僕は授業に集中しているカルの横顔を見てふと思った。ずいぶん女の人みたいな見た目になった、と。長い黒髪。ピンクのイヤリング。
もちろん、カルは生物学的にも性自認的にも女性なのだけれど、昔のカルは性別を感じさせないような、言いようのない雰囲気をまとっていた。
その性質は性別だけでなかった。クラスにいても、友達といても、彼女はそこにいるのに、なんだかそこにいないような感じがした。彼女は多分、集団に帰属するという意識が薄かったのだろうと思う。幼馴染としては、そういうカルの性質を代え難いものに思っていた。
今のカルは、話し方も、見た目もまるで普通の女の人だ。それがいけないわけではない。だけれど、あの公平を愛したカルが、どこかに行ってしまったようで、寂しく思った。
いや、カルの見た目が変わったのは、本当は不思議なことじゃないんだろう。ずっと傍にいるわけではないのだから。
〇
「それで、何の用かしら?君が私をわざわざ誘うなんて……。もしかして私のこと、好きになっちゃったとか?」
冗談めかして彼女は言った。
昔のカルなら、こんな冗談は言わない、と思ったけれどそんな思考と彼女の冗談を軽く受け流す。
「それはない。断じてない」
「ふふ、気が変わったら言ってね」
カルは確かに美人だ。
それも何か変な感じだと思う。
なぜか僕にはカルの今の見た目が、本当の見た目と違うような気がしていた。
「それで?本当はどんな要件なの?なにかあるんでしょ」
カルはこちらをまっすぐ見た。僕は話を切り出す。
「今の僕の仕事の件なんだけれど」
「探偵さんね」
「カルに参加してほしいんだ」
しばらくの沈黙があった。カルはマグカップに口を付ける。ゆっくりした動作でカップを下した時、飲み口に口紅が付いているのが見えた。
「ごめんね、できないわ。私の信条に反する」
「……」
「君の仕事の意義はよくわかっているつもり。立派なことだとも思っている。でもね」
一呼吸してカルが言葉をつづける。
「でもね。私はもうそういうの、できないの。誰かの問題を解決するときに、自分が公平であること、他人に公平であること、それを正しいと信じること。それはもうできない」
僕は思わず彼女の本名を呼ぶ。
「ヒカル…」
「昔の私は、自分の周りがフェアであるために、精一杯になってたの。そうは見えなかったかもしれないけれど、それなりに必死だったの。それが今はできない」
そしてカルはもう一度、謝罪を口にする。
「ごめんね」
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