黒い服の魔女

早雲

第0話 金木犀

「カル」


 僕の声に反応したのは、男の子とも女の子とも判断がつかないような見た目をした、ティーンエイジャー。


「なに?」

「なに、じゃないよ。いつもひとりですたすた歩くから見失っちゃう」

「歩くの遅いから」

「人混み、苦手なんだ」

「軟弱すぎでしょ……」


 僕の不平に、軽口を叩くカル。飾り気のないシャツにズボン。別に制服でもないのに、男子の制服みたいな服装。


 僕らが来ていたのは、隣町の繁華街だった。僕らは高校の部活で行うイベントのために必要な備品を買いに来ていた。つまり、用紙やプリンターのためのインクやら、そんなもの。僕らは高校の新聞部だった。


「普段運動とかしないからだよ。運動部入ればよかったのに」

「いや、現状否定しすぎでしょ。僕は運動苦手なんだよ。それにカルだって同じ部活じゃんか」

「私、小学生の頃から空手してるよ」


 確かに、カルの親戚が空手道場の師範をしているし、カルが通っていてもおかしくない。だけれど。


「初めて聞いた」

「そうだね、初めて言った」

「本当にカルってそういうところあるよね」

「なにそれ」

「凄い重要なことでも、訊かれなかったから教えなかったとか、平気で言いそう。実は帰国子女、とか」

「ああ、確かにね。そういえば私アメリカ生まれだよ」


 さすがに一瞬思考がとまる。本当に?


「それって」


 僕の顔をみて、カルはくすくす笑う。


「さすがに冗談。でも、なるほどね。今の君の反応を見る限り、私ってそういうところあるのかもね」

「びっくりした……。でもそういう事」


 僕らは繁華街を歩いて目的の文具屋にたどり着いた。このあたりはそうでもないが、ここから五分も歩けば夜の殿方が行くようなお店が立ち並ぶ。補導されかねないという意味でも、あまり高校生にとって安全な場所ではないだろう。


 ともあれ僕らは件の店に入った。


「さてさて、さっさと買い物を済ませてしまおう」

「ああ、哀れな雑用係の私達……。その魂が救済される日は来るのでしょうか」

「隔週でお使いだから、来週は救われて、再来週はまた見放されるね」

「ずいぶん神様ってラディカルなんだね」


 カルは実にあっさりしたしゃべり方をする。


 この時の僕は、カルが数年後に全然違うしゃべり方をして、全然違う衣服に身を纏うことになるだなんて想像できなかった。でも、そんなことを想像すらせずに、僕はカルに軽口を返した。


「ラディカルじゃなかったら七日間で世界を作ろうとは思わないだろうね」


 別にクリスチャンでもユダヤ教でもムスリムでもないのだけれど、なんとなくカルの言い方が一神教を想定してそうだったのでそう返した。神様の話題で軽口はあまり良くないけれど、寛大な心で見逃してくれるだろう。


 僕が益のないことを考えていると、カルが話題を変えた。


「そういえば、アキとは最近話してる?」


 カルの言葉を少し不思議に思って返した。


「最近って、同じ部活だから毎日のように顔を合わせてるでしょ」


 カルは珍しく、少し困った顔をしながら言う。


「そうなんだけど、まあ、ね」

「どうかしたの」

「最近、君が冷たいって、アキが言ってたから」

「うそ?そんなことないと思うけど」


 僕が言うと、さらに困った顔をしてカルは続けた。


「君は少し、ごめんね、少しカッコつけな部分があるから。なんていうか、寄る辺がなくても平気だっていう感じがさ。だからそういうところが冷たいって思われるのかも」

「……優しく言ってくれてありがたいんだけど、それを補って有り余るほどのダメージなんだけれど」


 思春期真っ盛りの高校生に向かってカッコつけてるというのはあまりに暴力的だろう。


 カルは僕の様子を見て、微妙な気持ちを知ってか知らずか、気軽に笑って言った。


「ごめんごめん。でもね、君は自分が人に与える影響を軽視しすぎ。可愛い後輩なんだから、もう少しアキのこと、構ってあげたらどう?」


 僕はため息をついた。カルは人をよく見ているし、賢いけれど、自分のこととなると、どうにも視野が狭い。


「カルだって、自分が他人にどう映るを気にしてないでしょ。君も多分、見る人によっては冷たく見えるよ」

「まあ、そうかも」

「君もアキに構ってあげたら?」

「ふふ、重要なところ見逃してない?わたし、アキに相談されてるから」

「ふむ……」

「君は、アキのことも、私のこともよく見てるくせに、時々見ないふりをするから」

「今のは単純に見落としただけだけれど」

「そうかな?普段から君は人間関係の洞察とか、そういうの鋭いよ。でも、時々見ないふりをする。多分、見ないふりをしているのって、その人が君から与えられてる影響の部分なんだ」


 僕は黙ってしまう。なるほど、そんな風に自分を考えたことはなかった。けれど、そういうことであれば、やはりカルだって、という気がするのだけれど。


 そんな考えを知ってか知らずか、カルは気軽に言う。


「とりあえず、自販機でコーヒーでもおごってあげればいいよ」

「分かったよ」


 僕らは買い物を済ませて、店を出た。カルが領収証を貰い忘れて、あわや自腹で部の備品を買うところだった以外は無事に任務を遂行できたといえる。


店から一歩踏み出すと、カルは少し立ち止まり、目を閉じた。


「ふふ」

「どうしたの?」


 僕が尋ねるとカルはどことなく嬉しそうに、静かな声に陽気を混ぜてこう言った。


「金木犀の香りだね」

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