失い物屋

@iamno

1 逃避

男は一種のパニックに近い状態で何も考えられないままずっと歩いていた。身体中から滴る汗と渇く喉、行く宛てもなくただ歩く。

夕暮れだった空が真っ黒に染まって、冷たい風でやっと男は思考することができたが、マイナスな方に流れていく。

自分は仕事で疲れていて、きっとこれは悪い夢なんだ。酒で全部リセットしてしまおうと、また歩き続けた。いや、逃げ続けた。


ここは東京。

ビルも人もびっしりと存在し、日本の首都とされる場所。

そのビルの間の狭い路地裏から凸凹と頭を出すダクト口の奥に見えるもう一本の道には、居酒屋の淡い街頭の光が見えた。

男は路地裏に吸い込まれるようにして足を進ませた。

一歩踏み出す度にゴミ臭い匂いが鼻を突き刺し、ダクトから吹き出す料理の匂いと混ざった風が髪を大きく揺らした。


「明美、凛、何処だ?」


ただそうぽつりと呟いた。彼にとってこの世界で代わり様の無い光である二人。

光を探して歩き続け、目の前には最近まで見たことがなかった木造の建物。新しくできた居酒屋だろうか。

この東京の街並みに合わない存在感だが、営業中と表示された電灯の看板が置かれている。

入口の屋根の横長の看板には失い物屋と彫られ、今にも腐食でダメになりそうな扉の張り紙には『あなたが失った物、お返しします。』とだけ書いてある。

そんな事も気に留めないで男は店内へ足を踏み入れた。

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