クラスの聖母に恋したけど子供扱いしかされなくてつらかった。

燈外町 猶

第1話

「はぁい美奈みなちゃん、お手々出して」

 嬉々としてハンドクリームのキャップを取り外しながら、倉瀬くらせさんは私にそう言った。

「……ん」

 おずおずと右手を差し出せば、彼女の暖かく柔らかい手のひらに恭しく包まれて、優しく、マッサージでもするように塗り込まれていく同じ香り。

「次は左手だね」

「…………ん」

 倉瀬さんは、こういう人だ。

 柔和なオーラ、温厚な口調、見るもの全てを癒す波動を全身からみなぎらせている。

 そしてここに、そんな波動であっさりやられてしまった女が一人。……私だけど。

「…………ありがと」

「どういたしまして。美奈ちゃんが甘えてくれると嬉しいなぁ」

「別に甘えたわけじゃ……」

「よしよし。良い子だねぇ」

 小さく拍手をしながら何故か称賛してくれる彼女に、照れと、嬉しさが同時に込み上がり顔が熱くなる。

 人付き合いがとにかく苦手で、周囲もそんな私とどう接すればわからない。という空気に慣れかけていた高校生活二年目、偶然隣の席に座った倉瀬さんは甲斐甲斐しく私とのコミュニケーションを試みてくれて、ここ最近、日常会話くらいならなんとかできるようになってきた。

「おそろいだね、美奈ちゃん」

「……まぁ、そうだね」

 別に彼女について逐一観測しているとかそういうわけじゃないけれど、この日は香りの違いに気づいた。「いい香りがするね」と勇気を振り絞って伝えてみると、ハンドクリームを新しくしたこと、そして私がそういった類のものを付けていないこと、更に「私の、使ってみる?」と話が進んでいき……今に至る。

「ちょっと……トイレ行ってくる」

 倉瀬さんと一緒にいると常に心拍数がアゲアゲのアゲになってしまうので一旦落ち着こうとそんな嘘をついてみれば――

「はぁい。……あっじゃあ戻ってきたらまた塗ってあげるねっ」

 ――そう返されて気づく、あまりに失礼な行動。

「あっ……ごめん」

「いいのいいのっ。行ってらっしゃい」

「…………」

 こういうところ! 本当にこういうところ!! はぁ~本当に嫌になる……。もっとこう……なんでいろんなことがスマートにできないんだろう……。


×


「お願い倉瀬さん!」

 トイレには行かず校舎をぐるっと一周して教室に戻ってくると、倉瀬さんがクラスメイトから何かを懇願されている最中だった。

 そう、彼女は別段私にだけ優しいというわけではなく、クラス中、もはや先生含め学校中から聖母と崇められているお方。こういうシーンは珍しくない。

 けれど。

「……どうしよう……かなぁ……」

 明らかな困り顔はとても珍しい。その珍しさが連鎖して、私の体は勝手に動き二人の間に割り込んだ。

「なに? どしたの?」

 バクバクとうるさい心臓を見てみないフリでさも何気なく声をかけてみる。

「あっ、灯里塚あかりづかさん」

 手を合わせて倉瀬さんに拝んでいた前橋まえばしさんはこちらを振り向くと、若干驚きつつも状況の説明を始めてくれた。

「いやね、日曜日ね、西高の人達と遊びに行くんだけど、篠山しのやまちゃんがバイト入っちゃったから人数欠けちゃってさぁ、向こう五人で来るからこっちもあと一人来てほしくてね。倉瀬さんと会いたいって人もいたからちょうどいいかなと思って」

 西校って思いっきり男子校じゃん!? ダメダメ、そんなの絶対ダメ。絶対行ってほしくない……という私の心情は差し置いても! 倉瀬さん困ってるし!!

「あー、日曜なら空いてるよ。私いこっか?」

「っ」

「えっ? マジ!? 良いの!? 灯里塚さんこういうの嫌いだと思ってた! 」

 いや全然嫌いだけど。本来だったら絶対あり得ないけど。……でも……倉瀬さんを行かせる方がありえない。それに今倉瀬さんちょっと反応してたし、ちょっとは格好つけられたなら一石二鳥ということで良し良し。

「……美奈ちゃん……行っちゃうの?」

「あっうん。どうせ暇だし」

 なんですかその見たことない表情は!! えっ、なんでちょっとしょんぼりしてるの? 『美奈ちゃんありがとぉ。助かっちゃったぁ』って言ってくれると思ったんだけどなぁ。

「……心配。」

「え?」

「美奈ちゃんが行くなら、やっぱり私が行く」

「だ、大丈夫だって。私に任せて」

 な、なんで『やっぱり』になっちゃったの!? 私ってそんなに頼りない!? 確かにいろんなことで助けてもらってるけど……こういう時くらい頼ってほしいなぁ!

「違うの。私が……」

「倉瀬、さんが……?」

 えっ、もしかしてこれ私、超おせっかいだった? 倉瀬さん普通に行きたかったとか!? ありがた迷惑に思ってる!? でもあれぇ? 困った顔してなかった? でもでも今だって相当困った顔してるし……。

「美奈ちゃんには……行ってほしくないから」

「そんなの私だって」

「あ、あの~」

 私と倉瀬さんのやり取りに意地と熱が生まれ出した時、きっかけである前橋さんが所在なさげに手を挙げた。

「やっぱ、大丈夫」

「「え?」」

 突然の撤回に思わず重なる素っ頓狂な声。

「いやはや、仲良いと思ってたけどお二人がそういう関係だったとは……ごめんねホント。忘れてもらって大丈夫だから」

 若干頬を染めてそう言うと走り去っていく前橋さん。えっ、なに、どういうこと? そんなあっさり引いちゃって大丈夫な案件なら最初から頼まないで??

「……ふぅ……」

 倉瀬さんは心から安堵したように深く息を吐いて言った。可哀想に……。きっと怖かったに違いない。だのに私をかばって行こうとするなんて……優しいにも程がある。

「こういうの……迷惑じゃ、ないかな?」

 私が席に着くと、倉瀬さんは鞄からハンドクリームを出して前言実行を示唆した。改めておずおずと手のひらを差し出すと、彼女と同じ香りが更に強まっていく。

「迷惑なわけないでしょ。嬉しいよ、すごく」

「……良かったぁ……」

 なんだかさっきよりも丁寧に塗り込まれている気がする……。変な意味じゃないけど変な気持ちになってくるからやめてほしい……。いや……やめてほしくはない……。

「ねぇ美奈ちゃん。日曜日空いてるなら、良かったらなんだけど……」

「うん」

 なんだろ、さっきの前橋さんもだけどなんで倉瀬さんもそんなにほっぺを紅くしてるの??

 さっきから聖母らしからぬ……なんというか普通の女子っぽい、余裕のない感じはなんなのさぁ!

「私とね、一緒に……」

 こっちまで熱くなってきた……。

 子供扱い……されてるんだよね? 恋愛対象になんかされてないんだよね? 期待しない方がいいよね!?

「二人で、遊びに行きたいな」

 ……こんなん……期待するなって言う方が……無理じゃん……。

「いいよ。じゃあこのハンドクリームが売ってるところ連れてって」

 大丈夫かなこれ、感情が爆発しないように抑えてるんだけど、冷たい感じになってないかな!?

「それは……ダメ」

「! ごめん」

 調子乗りすぎまし「……明日からも私が、塗ってあげたいから」

「っ…………じゃあその……よろしく」

 どっち……どっちなの? 聖母的慈善活動なのかそれ以外なのか……期待して良いのかダメなのか……誰か……誰か教えて……。

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