幕間の2 アルバート商会の日常

 あの男がこの街に姿を現したのは、今から3ヶ月前のことだった。

 そう呟いてるのは、サムソン辺境都市にある『アルバート商会』の跡取りである『カレン・アルバート』。

 今年成人を迎え、アルバート商会の経営の一部を父親であるフィリップ・アルバートに任された彼女にとっては、最近になってこの地にやってきた『東洋の鍛冶師』の存在が気に入らないのである。

 

「今日から成人となった以上、カレンもアルバート家の一員として、淑女としての礼節を身に着けなければならない。今までのようなおてんばでは困るのだからな」

 先日行われたカレンの誕生会。アルバート家には、このサムソン辺境都市に住まう大勢の貴族や大商会に分類される商人達が集まっていた。


 このアルバート家もまた、貴族である。

 ラグナ・マリア帝国の先王であるリチャード・ラグナ・マリア皇帝がこの地を訪れた時、フィリップ・アルバートの父が王に献上した一振りの剣。

 それを皇帝がえらくお気に召したことが、アルバート家の出世街道の始まりであった。


 帝国鍛冶工房でも1,2位を争うほどの腕前を持っていた先代アルバート。

 皇帝はアルバート家に皇帝親衛隊の甲冑の注文を行い、それの出来が良かったためにアルバート家は『准男爵』の爵位を賜ったそうだ。

 その准男爵の階級を一つ上の男爵まで押し上げたのが現当主であるフィリップである。

 フィリップは先代のような武具を始め、様々な物品を交易することで財を成した。その財でサムソン辺境都市の治水や街道の整備などに尽力したのである。

 その功績が認められ、男爵としての地位を得ることが出来たらしい。


 そのフィリップの懸念していることが一つ。

 現在のアルバート家は女系の血筋しか残っておらず、跡取りはカレン・アルバートのみである。

 男爵の爵位は一代限りだが、次代の者、つまり跡取りが男爵にふさわしいと帝国の貴族院が認めれば、カレン・アルバートもまた爵位を受けることが出来る。

 だが、認められなければアルバート家はそれまで。

 爵位もなにもない、ただの大商会へと戻ってしまうのである。

 それだけはなんとかしなくてはと、まずフィリップはカレンに自分の持つ商会の一つ、先代が財を成し得たという武具屋の権利を譲ったのである。

「カレンに告げる。まずは武具屋を経営することで何かを見つけなさい。アルバート家がこの先も繁栄を続けられるかどうかは、カレン次第なのだから」

 誕生日の夜、父の執務室でカレンはそう告げられた。

 そしてアルバート武具店の権利書一式と商人ギルドへの手続きを終えた譲渡書を手渡すと、先程までのキツイ表情から一変してにこやかに告げた。


「気負うことはない。まずは10年、勉強するということで続けてみなさい」


 それが娘に対しての精一杯の優しさであった。 

 その日から、カレンは勉強した。

 鍛冶ギルドに自らも登録を行い、商人ギルドで経営のなんたるかを教わった。

 一ヶ月もすれば、アルバート武具店はサムソン辺境都市のなかでも有数の武具屋になっていたのだが。


 突然、その均衡が崩れたのである。

 それまでは、貴族や上位冒険者たちの武具はアルバート商会が独占していたようなものである。

 高額の給料で獲得した豊富な人材による高品質大量生産。

 武具の修理代金も冒険者のレベルに因って割引をしたりと、様々なサービスも行っていた。

 そんな最中、遠方のアーノルド伯爵が、近々行われる王都での武道会に参加するために必要な武具を探していると聞いて、さっそく売り込みに行ったのである。


「貴方がアルバート武具店の責任者ですか? これはご苦労様です」


 とテーブルに座っているアーノルド伯爵が静かに告げる。


「伯爵様にはご機嫌麗しく。本日は伯爵様が新たな武具を求めていると伺いましたので、見本をお持ちしました‥‥」


 傍らで控えているカレンの侍女が、伯爵の側近に見本として用意したロングソードを手渡した。

 それを受け取ると、アーノルド伯爵は静かに刀身を見つめる。

「ミスリルか。それに彫金も綺麗に施してある‥‥」

 その言葉に笑みを浮かべたカレン。

 だが。

「しかし、これでは甲冑を着た者と戦った場合、刀身が折れてしまうかもしれぬな」

 と努めて冷静に告げるアーノルド伯爵。

「ご安心を。納品する際には、そのご心配など杞憂に終わるものをご用意します」

 と告げる。

「そうか‥‥。という事は、アルバート武具店は、最近サムソンで噂になっている『東洋の鍛冶師』を囲うことが出来たのだな」

 その鍛冶師の話は噂では聞いていたカレン。

 だが、いまのアルバート武具店にとっての脅威ではないと聞き流してしまっていたのである。

「いえ、そのような怪しげな鍛冶師よりも最高のものをご用意します。ではこれで失礼します」

 と告げると、カレンは伯爵に頭を下げて退室した。

――カツカツカツカツ

 急ぎ足で建物の外へと向かうカレン。

 そこに用意してある馬車に乗ると、急ぎサムソンへと戻っていく。

「パーカー、サムソンに戻ったら東洋の鍛冶師を調べてみて」

 御者台に座って手綱を持っていたパーカーと呼ばれた男は、静かに頭を下げると馬車を走らせた。


 ○ ○ ○ ○ ○ 

 

 パーカーからの報告を受けて、カレンはまず自分の目で『東洋の鍛冶師』を見にいった。

 正体がバレないように白いローブに身を包み、護身用のレイピアも下げている。

 街道を挟んで反対側の建物の影にはいると、カレンはじっと男が姿を表すのを待っていた。

――ギイッ

 と目的の鍛冶師が、家から出てくる。

「あの男ですわね‥‥それにしても貧相な小屋ですこと」

 自宅から姿を現したその男は、何やら奇妙なポーズを取った後に井戸で水を浴びていた。

「東洋の鍛冶の儀式かしら? それにしても‥‥」

――ゴクッ

 息を呑むほどに端整の取れた筋肉美。

 神聖教会の『武神セルジオ』が降臨したのかと見紛うほどに美しい肉体美であった。

 さらにカレンは信じられないものを見た。

 男の敷地に設置されている火炉。

 外見的には普通の火炉であるが、男が石炭らしきものをくべた後、手をかざして火をおこしたのである!!

「あれはドワーフの魔力炉!! なんでそんなアーティファクトが???」

 驚いたのはそこまでではない。

 男は大袋を取り出すと、そこから次々と鉱石を取り出し、火炉の坩堝に放り込む。

「‥‥あの大袋も魔法の物品かしら‥‥いずれにしても」

 早くなんとかしないと。

 そう呟いた時、カレンはふと考えた。

 外の国から来たものは、この国で商売をする時は商人ギルドに登録しなくてはならないという事を。

「では公的に排除して頂きましょう‥‥」

 ということで商人ギルドに向かうと、カレンは『違法に商売を行っている東洋の鍛冶師がいる』と通報したのである。

 商人ギルドとしてもそれは見捨てておけないと、都市内を警備している巡回騎士にその事を告げた。

 ここまではカレンの思惑通りに話は進んだのである。

 そうなると、もう鍛冶師を見張っている必要はないと、カレンは自分の店へと戻っていった。


 ○ ○ ○ ○ ○ 


 翌日早朝。

 商人ギルドに向かったカレンは、先日の顛末をギルド職員から聞いた。

「ああ。あの鍛冶師なら鍛冶ギルドのシルバークラスだったよ。なので個人宅で何してても文句はいえないよ」

「商人ギルドにまだ登録はしていないのでしょう?」

「過去の通例として、鍛冶ギルドのシルバークラスなら営業許可扱いにはなる。巡回騎士からの報告だと、近いうちには登録にくるのでは?」

「では、アルバート家の名で、その申請を受け付けないで欲しいのですが」

 男爵家という権力をここで使うカレン。

「それは無理ですよ、カレンさん」

 ふぅ、とため息を就きつつそう告げる職員

「何故ですの?」

「貴方は男爵ではない、判りますね。それにそのような強権を使えるのは伯爵より上の方です。各ギルドに対しては、男爵位では発言権はありません」

 その直後に、顔を真赤にしたカレンがギルドの外に出る。

 そのまま怒りが治まらなかったのか、『東洋の鍛冶師』の元へと向かった。

(どうしても納得いきませんわ‥‥)

 歩きながら、だんだんと冷静になっていく。

 そして東洋の鍛冶師の近くに到着すると、先日のように建物の影に隠れて観察している。

「まあ、鍛冶道具がいくら良くても‥‥」  

 腕はそれほどではないと。

 そう信じてカレンは東洋の鍛冶師が作業を始めるのをじっと待っていた。

 彼がその姿を現したのは午後。

 いつものように水浴びを行った後、今日は早速剣の鍛造を開始した。

 それは、カレンの知らない技巧である。

 熱した金属を叩いて折り返し、また熱して叩く。

 それをひたすら続けていたのである。

 カレンからすれば、実に効率の悪い技法であったが、彼はただひたすら打ち続けた。

 途中でなにか芯材を組み込んで、またひたすら叩くを繰り返す。

 気がつくとすでに日は暮れており、周囲は暗くなってくる。

 魔法による街灯のおかげで、このサムソンの治安は良い。

 だが、そんなに遅くなっても彼はひたすら打ち続けた。

 やがて月が天空に登り、やや傾いた時に男はようやく鍛冶の手を止めたのである。 

(なんて効率の悪い。これだけの時間があったら、うちの工房では4本はロングソードを打ち終わっていますわ。所詮は異国の鍛冶師、この程度だったのですわね)

 と勝利を確信したカレンはそのまま帰宅した。


 ○ ○ ○ ○ ○ 


 そして翌日もカレンは、この男の元を訪ねていた。

 先日よりも観客が少しだけ増えている。

 今日の東洋の鍛冶師は、カレンの工房の打ち方と同じ技巧でロングソードを打っていた。

 朝から火炉にインゴットを放り込み、そして打ち始める。

 そのロングソードが形となって完成したのは、じつに夕方である。

「昨日のは一体何だったのかしら? それに今日はこの国の鍛冶の技法。伯爵様の話とは違うような‥‥」

 とカレンは考える。

 明らかに時間がかかりすぎている。

 こんな時間では、安定した商品にすらならない。

 と、そこに『鋼の煉瓦亭』の店主が訪れていった。

「ああ、パーカーの報告では、あの方がここの大家さんでしたわね。一体何を?」

 と考えていた時、酒場の店主は鍛冶師に二振りのナイフを渡した。

 それを受け取ると、男は井戸の近くへと向かい、ナイフを研ぎ始める。

――シャァァァッ、シャァァァァッ

 ゆっくりとリズミカルにナイフを研いでいる。

 それも一本につき1時間。

「なんてゆっくりとした‥‥時間の無駄ですわ」

 2本のナイフを研ぎ終わるのを見て、カレンはようやく帰り支度を始めようとした。

 緊張して汗を掻いてしまったらしく、手にしたハンカチで汗を軽く拭う。


『ほら、これぐらい切れますよ‥‥』


 と言う鍛冶師の声が聞こえたため、カレンは視線をそちらに向けた。

 すると鍛冶師は、手にしたインゴットの角に研ぎ上がったナイフの刃を立てて、横にスッと引いたのである。

(折角砥ぎ上がった刃が欠けてしまいますわ。所詮は‥‥)


――キン‥‥


 と音を立てて、角が落ちた。

(そ、そんな‥‥嘘でしょう?)

信じられない光景である。

 ロングソードをどれだけ研いだとしても、あんなに簡単に金属を切断できるはずがない。

 そのまましばし鍛冶師たちが話をしていたのち、二人は何処かへと立ち去ってしまった。 

「あ、あの鍛冶師は私の店の脅威になるわ。なんとしても排除しないといけませんわ」

 とハンカチを握りしめつつ、急いで自分の武具店の工房へと向かっていった。

 今見たことについて、工房の責任者から意見をもらうために。


 ○ ○ ○ ○ ○ 


 先日。

 東洋の鍛冶師の元で見た事実を、工房長であるアリオンに伝えた。

「随分と非効率な作り方ですね。ですが、その斬れ味には興味があります」

「研ぐだけで、あのような武具を作り出すことが出来るのですか?」

「まさか。そんなことが出来たら、我々鍛冶師は食べていけなくなりますよ。まあお嬢の言うことを疑っているのではありませんから、明日は私もついていきましょう」

 アリオンがそう告げてくれたので、その日は自宅へと戻ったカレン。

 そして今日。

 東洋の鍛冶師の元には、大勢の鍛冶師や冒険者たちが集まっている。

「では、私は前の方で見てきますね。お嬢はここに隠れているのですか?」

「ええ。近くで見て、もし吸収できる技術があったら盗んできなさい」

 と告げられて、アリオンは群衆に溶け込んでいった。

 そしてその日、カレンやアリオン、そしてその場にいたものたちは信じられない鍛造を見た。

 東洋の鍛冶師が、真っ赤に熱されているインゴットを篭手を付けたまま『練り始めた』のである!!

「何だと!!」

「あいつは何をやっているんだ!!」

「死ぬ気か!!」

 近くの者達の叫び声が聞こえてくる。

 だが、鍛冶師はそんなことを気にすることもなく、一心不乱にミスリルとアイアンのインゴットを練り始めた。

「馬鹿な。魔法金属と通常の金属の合金化など‥‥」

 アリオンの中の常識が碎ける。

 いや、アリオンだけではない。

 その場にいた者達の全ての常識が、音を立てて崩れたのである。

 やがて鍛冶師は練り込みを終えた。

 作業台には花に似た形に形成された金属の塊がある。

「ミスリルとアイアンの合金だと? それにあの花の形は‥‥マーガレットか? い、いや、マーガレットよりは花弁がある。あんなものは初めてだ」

 驚愕するアリオン。

 鍛冶師はそれを火炉にくべると、別の場所に置いてあるミスリルの棒を取り出す。

 それを柔らかくなった合金で包み込むと、再びハンマーを手に取り、鍛造を続けたのである。

「その芯材の意味が判らない‥‥彼は何をしているんだ?」 

 周囲には言葉なく、ただ東洋の鍛冶師の作業をじっと見ているだけであった。

 やがて目の前の金属が一振りの細い剣に整形されていく。

 

 そして最後に焼入れを終えると、男はその剣を仕上げ台に置き、一休みした。

 井戸から水を組み上げ、頭から被る。

 そして井戸の横に置いてあった仕上げ台で、今度は丁寧に研ぎを始めた。

  

 全てが終わった。 

 研ぎ終わった剣に柄をこしらえ、それは完成した。

 細身の長い剣、サーベルにも見えるが彼方此方が違う。

「ふう。これでお終いですが。なにかご注文があれば後日承りますので」

 鍛冶師は此方に向いて、静かにそう告げた。

 と、止まっていた時間が動き出したかのように、商人たちは次々と質問を開始したのである。

「その不可思議な形の剣は一体なんですか?」

「それにあの工程、どうして火傷しないんだ」

「金属なんて人の手で練り上げるなんて不可能だ。一体どんな仕掛けがあるんだ」

「今仕上げられた剣は売り物なのか?」

「うちの店にその武器を卸してくれ」

 と、次々と質問が殺到する。

 だが、鍛冶師は静かに一言。

「技術や工程についてのご質問については、申し訳ありませんが企業秘密なのでお答えできません。この刀は売り物ではありませんが、これの廉価版でしたら販売する予定です。あと‥‥」

 そう呟いて、鍛冶師はチラッとカレンの方を見た。

(お嬢、この鍛冶師には全て筒抜けです‥‥)

 とアリオンは思い、お嬢の方へと移動する。

 後ろから鍛冶師が何かを告げていたようだが、アリオンはそんなことは気にしていない。

 いまはお嬢を連れて、ひとまずここから離れなくてはならないと。


 ○ ○ ○ ○ ○ 


 アルバート武具店に戻ってきたカレンとアリオンは一息ついて、静かに口を開いた。

「アリオン、あの鍛造出来るかしら?」

「お嬢は俺に死ねと? 腕が焼け落ちます」

 そう呟くアリオンの元に、別の店員が姿を表した。

「お嬢、緊急事態です」

 その慌てっぷりに何があったのか問いかけるカレン。

「まず落ち着いて。一体どうしたの?」

「アーノルド伯爵の使いの者が、あの東洋の鍛冶師の元を訪れまして‥‥見本を見せてほしいと」

 絶望という感情がカレンの脳裏に浮かび上がる。

 伯爵は恐らくはあの男に武具の発注をするだろう。

 そうなると、鍛冶で財を成してきたアルバート家の地位は、音を立てて崩れていくだろう。

 伯爵の元に届けられるであろう武具の噂は、瞬く間に貴族のもとに広がる。

 そうなると、いままで懇意にしていただいた貴族たちも離れていってしまう。

 早く、なんとか対処しなくては‥‥。

 

 


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