異世界帰りの学園無双~異世界にて邪神を屠りし英雄は現実世界で無能を演じる
さんぱち はじめ
100万PV記念 エピソード・ゼロ
ヴァレタス・ガストレット五歳
第1話 森の狩人デリック
シュビ────ッッ!!!!
風を切る音が青年の耳に届いた。
森の狩人である彼にとっては耳慣れた弓矢の音である。
その鋭い音は、放った者の練度を物語っていた。
程なくして、木々の奥から何かが倒れ込む重たい音も聞こえてくる。
命中したようだな。この音、かなりの大物だ……。
音から、そう判断できた。
青年は音のした方へと急いだ。
手負いの獣は、恐ろしい。
彼一人ではきっと難儀することだろう。
トドメを刺す瞬間が、一番危険なのだ。
不用意に近寄ったら大怪我どころか殺されかねない。
木々を縫うように、彼は駆けた。
そして茂みを抜けた先で立ち止まる。
崖下に、大きな鹿が横たわっていた。
ビルヨークと呼ばれる巨鹿だ。この季節は特に脂がのって美味い。
そんな巨鹿の前に、一人の少年が跪いていた。
艶やかな黒髪の、深い青色の瞳の少年だった。
その手には少年の手には似つかわしくない大振りのナイフが握られている。先端が鋭く尖った
その少年はしかし、一切の躊躇なく、ビルヨークの喉にナイフを突き刺した。
一気に、深々と。
喉を掻き切り、鹿の息の根を、止める。
「早かったね、デリック」
そう言うと、ビルヨークの喉元からナイフを引き抜いた。
急いで駆けつけたデリックだったが、その一連の様子を見て、心配は無用だったのだと悟る。
「暴れなかったか?」
「うん」
優しい手つきで、少年はそっと鹿の眼を閉じた。
「君の実力は俺たち狩人なら皆知っているが、君はまだ五歳だ……」
そう言うと、ビルヨークを眺めた。
察しは付いていたが、ひときわ大物である。
「トドメを刺すのは待った方が良い」
「トドメを刺す時が一番危険、だね? わかってる」
五歳の少年は頷くと、崖の上を見上げた。
「けれど矢が命中した時に、あそこから落ちて首の骨を折ったみたいなんだ。苦しそうにしていたからね、早く楽にしてあげたかったんだ」
「そうか」
その冷静さに、デリックは思わず呆れて溜息を漏らした。
仮にこの少年が狩人の息子であっても、五歳で狩りをするなど無謀であり、そんなことは村でも絶対にさせない。
けれどこの少年は別格、否、異質であった。
森を駆け抜けるあの体力や脚力は五歳の少年のそれではない。
そのずば抜けた身体能力の高さは【身体強化】のスキルのお陰らしいが……。
だが、デリックにはそれだけではないように思われた。
物事に取り組む姿勢、考え方、思考……、そのすべてが幼い子どもとは思えないのだ。
「デリック。見てないで、血抜きを手伝ってよ」
「……ああ、ヴァレタス」
この少年──ヴァレタスとデリックは約半年ほど前に森で出会った。
今では狩りに熟達しているヴァレタスだが、最初はナイフの使い方さえも知らなかった。
それでも少年は森の事や狩りの事をしつこく聞いてきた。そのうち、少しばかり弓を教えたところ、たちまち上達してしまったのだ。
今では弓矢でも投擲でも、鳥や獣を仕留められるようになっている。
だがデリックたちが一番驚いたのは、この少年がこの森を所有しているガストレット公爵家の三男だと知った時であった。
平民の中には貴族嫌いの者もおり、ヴァレタスのことを良く思わない連中もいた。まあ、少し前までは、だが。
村に戻ると、デリックはヴァレタスと一緒に、獲物を天井に吊るした。
村の狩人が共同で使っている倉庫である。
獲物の解体をしたり、道具もここに保管している。
「けれど、いつも不思議に思うんだ」
デリックはビルヨークを解体しつつヴァレタスに問うた。
「ん? なにが?」
「公爵家の息子がどうして、狩人や木こりが行き交うこんな森の奥にまで来てるのかってさ。お屋敷の周りには、もっときれいな森もあるだろ?」
「屋敷の森は綺麗すぎるからね、もう飽きた」
皮を剥ぎながら、困ったようにヴァレタスは笑った。
「人のために整備された森なんだ、あれは。乗馬を楽しんだり、あと鷹狩りなんかをするためにね。だから平らだし、見晴らしも良い」
「落ち葉や岩だらけの、暗くてじめっとした山奥とは大違いだな」
デリックが思わず鼻で笑うと、ヴァレタスは笑って頷いた。
本当の森は、獲物になる獣だけでなく、人を襲う魔物も出没する危険な場所である。
「僕は人の手が入っていない本当の自然に、身を置いてみたかったんだよ」
「ほう。そりゃまた、どうして?」
「自然の中に身を置くことで、いろいろな感覚が研ぎ澄まされる。安全な屋敷や街中にいたのでは、決して身につかない感覚がね」
「そうか……」
「それに、君たちから森のことを聞くのも楽しいんだ」
そう言って、デリックを見て瞳を輝かせた。
確かに、ヴァレタスからは森に入るたびに様々な質問をされた。
薬草や毒草、毒キノコの知識をはじめ、森の中で迷ったときや怪我をしたときの対処法、森の天候を見極める術など──彼の興味は万物へと向かっているようだった。それを教えたら教えただけ、どんどんと吸収していくのだ。
貴族である彼に、本来必要のない知識や技術であるのに。
目を輝かせて狩人たちの話に真剣に耳を傾け、それを自分のものにしていく彼の姿は、貴族と言う理由で頑なにヴァレタスを毛嫌いしていた森の連中の心を、いつの間にか溶かしていた。
そして今では皆、ヴァレタスのことを仲間の一人と認めている。
「それじゃあ、僕は帰るよ」
ナイフの手入れを終えると、ヴァレタスは椅子から立ち上がった。
「今日は早いな。俺んちでメシでも食って行けよ?」
「いや、今日は父さんが帰って来る日なんだ」
綺麗に磨かれたナイフを鞘に納めると、腰ベルトから外し、壁に掛ける。
彼のナイフはこの倉庫に、いつも保管されていた。屋敷までは持って帰っていないようだ。
「それじゃあね」
「おう、お疲れ」
ヴァレタスが倉庫から出ていく。
「ゼオルタス様は、あんな息子を持って幸せ者だな」
少年の姿が見えなくなると、デリックは独り言ちた。
遠くから村人とヴァレタスが気さくに喋っている声が聞こえる。
ヴァレタス・ガストレット──不思議な少年である。
公爵の息子と言う高い身分でありながら決して傲慢ではない。かと言って、貴族たちが時折平民に見せる過度にへりくだったような、何の理由かは不明だがこちらを尊敬しているような
デリックは倉庫から出て、ヴァレタスの姿を目で追った。
「もしも俺が仕える王を選べるのなら、ヴァレタス、俺はお前を選ぶぜ」
小さくなっていく背中を見て、デリックはそう思った。
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