第35話 無双ツボ

 体育の授業を抜け、俺は信吾を連れ出した。


「服を捲ってみろ」


 信吾に迫る。


「えっ!? いや……」

「いいから、脱いで見せるのだ」

「……」


 俯いたまま、信吾が体操着を捲る。


 服で隠れた部分にたくさんの痣があった。


「南たちだな」

「それは……」


 信吾が言葉を濁す。


 表向き、南たちは大人しくなった。


 例の人間サンドバッグ大会とやらを開催しようとして、一年生のところまで出向き、強引に参加料を払わせていたとか。

 それをトールに見つかり、瞬殺されたらしい。


 ほんのこの前まで、クラスの中心で大見得を切っていた四人は、今は隅っこで空気と化していた。


 あくまで、表向きは。


 そう、陰湿なイジメは続けていたのだ。


 恐らくだが、自分の不遇に対するぶつけ様のない怒りを増幅させ、その捌け口を求めて、弱き者へと触手を伸ばしているようだった。


 そしてそれは、俺に変わり信吾を標的にしたのだ。


「これは、僕のせいだよ」


 弱々しく、信吾が言った。


「お前のせい? 何故だ」

「僕の罰さ。君が虐められていたのを、見て見ぬ振りしてた僕の……」

「……!」


 俺はここへ来て、信吾の死の真相に確信を持つに至った。


 信吾が死ぬ原因と、そして前の人生で信吾がどうして死んだのかも……。


 ──彼は、俺が消えたことで次のイジメの標的にされたのだ。


 イジメをする人間の大半が、特定の個人を攻撃するそれなりの理由を持っている。それがどれだけ言い訳がましく、不条理で、不当であろうが。


 ならば、その個人が消えたらイジメはなくなるのだろうか?


 それがそうとは限らない。


 そう言う性質の者たちは、また新しい理由を捏造し、次の標的を探すのだ。


 俺を虐めにくくなった現状で、南らはその矛先を信吾へと向けた。


 そして今後も、南たちによる信吾への加害はエスカレートしていくだろう。


 ……それに、信吾は耐え続ける。


 耐え続ける理由は──俺への罪悪感。


 俺への罪悪感が、信吾にイジメを甘受させる心理へと導いてしまった。


 そしてこの構造は当然、前回の人生でも同じだったのだ。


 前の人生で、俺はイジメに耐えかねて二年の一学期で不登校になった。


 その後、あのクラスで何が起こったのか……。


 俺がいなくなって、クラスメイトや二年の連中はもうイジメをしなくなったのだろうか?


 否──信吾を標的にした。


 そしてそこには、今はいないオーガもいる。


 今よりもそのイジメは苛烈だっただろう。


 逃げて良かったのだ。戦う必要など、無い。


 けれど、信吾は耐え続けた。


 これは自分の罪なのだと、当然の報いなのだと。


 俺がもう二度と学校へ来なくなったことは、彼が罪悪感を強くする材料にもなってしまっただろう。


 とんでもないことをしてしまったと……。


 そして、とうとう耐えることが出来なくなった彼は、最悪の選択をさせられた。


 俺は信吾を真剣に見つめる。


 やや語気を強めて、言う。


「信吾、俺はそのことに対して何とも思っちゃいない。この前も言っただろう?」

「僕、弱いから……」


 ぽつりとそう言った切り、黙ってしまった。


 俺は鼻から溜息を漏らす。


「まあよい。俺に任せておけ」

「ま、任せるって、どうする気?」

「信吾が気に病むことではないさ」

「けど……」


 信吾を見て、にやりと笑う。


「夏休み、俺といろんな場所に遊びに行くのだろ?」

「え?」

「あと数日で夏休みだ。どうせならば、夏前に全部終わらせて、スッキリしよう」


 俺は、校庭に並んだハードルを見やった。




「あ、そうだ。体育の剛谷ごうや先生から伝言があった」


 下校前のホームルームで、知内が面倒くさそうに言った。


「今月の体育用具の片付け係」


 知内がクラスメイトを見やる。


 俺はすぐに手を上げた。


 係は何名かいるが、俺が手を上げると他の者は手を上げなかった。


 俺を見やると、知内は目尻をピクピク痙攣させた。


「ハードルが出しっ放しになってて剛谷先生、怒ってたぞ」

「失念していたようだ。これからすぐに片付けよう」

「さっさと片付けて、先生に謝っとけよ~」

「よかろう」

「……ま、俺の仕事増やしたことも謝れって話だけど」


 いつものようにぼそりと付け加えた。


 放課後、一人で向かう。


 ザザッ……。


 ハードルを片付けていると、背後から複数の足音がした。


 来たか。


 見ると、ニヤニヤした南たちが立っていた。


 いや、ニヤニヤと言うより、生き生きとしていた。


 教室では暗い表情でじっとしているだけだからな。


「何か用か?」

「いやぁ~別にぃ」と、南が勿体ぶったように笑う。


「ここんとこ、俺たちストレスが溜まっててなぁ」

「僕ら、何かでストレス発散したいんだよね~」

「そうそう、サンドバッグを殴ったりとか、ね?」


 兎井と佐根川も口を歪めて笑う。


「お前のことは、どんだけ殴っても良いんだったよなぁ、凡野」


 加賀が首の骨を鳴らす。


 四人とも目を妖しく光らせて近づいてきた。


「その通りだ。ちゃんと憶えていて、偉いじゃないか」


 俺は頷いた。


「ならば、こう言ったことも当然憶えているな? お前たちが加害してよいのは、この俺だけだと、そう警告したことを」


 四人を見据える。


「これはなんだ?」


 ポケットに入れていた紙切れを突き付けた。


 四人はそれを見て立ち止まった。表情が固まる。


 【一分100円 凡人とチンゴの殴り放題ツアー~人間サンドバック大会開催!!】


 四人が販売していたチケットである。


「何故、俺だけでなく信吾の名を書き込んでいる。それも、馬鹿にしたような名で」

「サンドバッグは二個の方が儲かんだろ、頭悪ぃのかボケ!」


 南が吐き捨てる。


「だいたい、奴隷のお前に何で指図されなきゃならねぇんだよ、あぁ!?」

「そうか……」

「なになにぃ、凡ちゃん怖~い」


 兎井が馬鹿にしたように身をくねらせた。


 俺はそれを無視し、ちらと通路を見やった。


 誰もここに来る気配はない。


 南たちは俺が人気のないこの場所で一人になるのを好機だと判断し行動に移したのだろうが、それは違う。


 俺が、


 ハードルを倉庫の外へと忘れたのも、それをホームルームで知内にお前らの耳に入る形で喋らせたのも、すべてはお前たちをここへ誘導するためだ。


「私の友、信吾への加虐、許しはすまい」


 彼らを見据えて、そう告げる。


 奴らの笑顔が凍り付いた。


 死の寸前まで追い詰めてやろう。


 そして、息絶える直前に【エリクサー】で回復させて、また追い詰める。


 【エリクサー】は、180個ある。


 それを使い切るまで、雷で感電させ、炎で焼き、猛毒のナイフで切り刻み……あらゆる魔法、スキル、戦技で苦しんでもらおう。


 私はそれとなく円を描くように歩いた。


 四人もそれに呼応するように一定の距離を保って移動する。


 通路側に立っていた四人が壁を背にした。


 これで退路も、断った。逃げられては困るからな。


「一生消えることの無い恐怖を、与えてくれようぞ」


 四人が唾を飲み込む。


 首筋から汗が流れていた。


 まずは【致命の一撃】で苦しんでもらおうか。


 そう思い、身構えた時だった。


 かなり遠いが、ある意思を持ってこちらへと接近してくる人物がいた。


 転げるようにこちらに向かっている。


 途中で本当に、階段を転げ落ちたり、転んだりしながら、切迫した様子で走って来ていた。


 恐らく彼はホームルームの後も、ずっと一人で悩み、教室に残っていたのだ。


 どうにかしたい、でも怖い。


 そんな恐怖に打ち勝ち、意を決してここへと駆けつける。


「蓮人く──あう!」


 ズザ──ッ!


 信吾がスライディングするように通路から飛び出してきた。


 何度も転んで、既に制服は砂だらけで汚れていた。


「信吾……なぜ来た」

「だ、だって……! 南くんたちが君を殴りに行くって……」


 呼吸を乱しながらそう言った。


 ゆっくりと立ち上がる。


 そして南たちに向き直ると、私を護るように立ちはだかった。 


「ぼ、僕は蓮人くんと、これからも友達でいたいんだ、ずっと」


 恐怖で膝を震わせながら、信吾がそう言った。


「けど、このままじゃあダメなんだ」


 声を震わせる。


 こちらを見やった顔は、泣いていた。


「ごめん、蓮人くん。僕……、ずっと言えなかったことがあるんだ」


 苦し気に顔を歪ませる。


「僕はずっと、君が虐められてることで、どこか安心してたんだ。だって、君の次は僕だから。だから僕……君が虐められている限り、僕は虐められずに済むって、そう思ってた」


 そして絞り出すように言葉を吐き出す。


「ごめん、蓮人くん! 僕は、心のどこかで、君がこのままずっと虐められていて欲しいって、そう願ってたんだ! 怖かったんだ!」


 そう言うと、もう一度、南たちに向き合った。


「けど、そんなの友達じゃない! 僕は、本当の意味で蓮人くんと友達になりたいんだ」


 震えながら手を広げた。


「も、もう逃げないぞ。れれ、蓮人くんに手出し、さ、させないぞ……!」

「信吾」


 これは、劇薬かもしれない。


 だが、信吾がこの先、私への罪悪感を抱えたまま生きなくて済むためには……。


 私は計画を変更した。


 信吾の未来にとって最善の一手のために。


 それが信吾のとっての最善の未来を引き寄せるのならば、私の殺意や復讐心など容易に手放してやろうぞ。


 そのために、私は戻って来たのだから。


「すまんが、ちょっとタイムだ!」


 俺は皆に向かって手を上げた。


 緊迫したこの場の空気が、切り替わる。


 俺の間の抜けた声で、南たちだけでなく信吾もポカンとした。


「信吾。俺を護ってくれるのか?」

「う、うん……!」

「それじゃあ、俺のとっておきの方法を教えてやろう」

「えっ? な、なに?」


 戸惑ったように信吾が眉を寄せる。


「俺が強くなったのには、実は秘密があるんだよ」


 小声でそう耳打ちした。


「そ、そうなの?」

「ああ、旅に出ていた時に、その……」


 ちょっと考えて、続ける。


「とある武術の達人と出会ってな。そこでとっておきの経穴ツボを教えてもらったのだ」

「ツボって肩こりに効いたりする、アレ?」


 聞かれて頷く。


「このツボは秘伝中の秘伝だ。人体の気の流れを高めて一瞬で強化する。その名も──無双ツボだ!」

「む、無双ツボ!?」


 驚く信吾の前に回ると、彼の腹部に手を当てた。


「まずは臍の下にある丹田」

「お、おふ……♡」

「変な声を出すな」

「ご、ごめん」


 次は背後に回って、背中に手を置いた。


「最後は、肩甲骨のツボ。肩甲骨も、人間がパワーを発揮するのに重要な部分だからな」


 そして前に押し出すように、ポーンと信吾の背を押した。


「さ、これで大丈夫だ!」


 信吾を見て力強く笑ってみせた。


 当然ながら、無双ツボなどない。


 この間に俺は【魔法】で信吾にバフをかけた。


 グラン・ヴァルデンで広く使用される防御力上昇の魔法に【上衣ドレス】と言うものがある。最も基本的なバフ系の魔法だ。


 魔力が戻った今、信吾や松本さんを護るために、ここのところバフ系の魔法の新しい術式を組んでいた。


 どれだけ【索敵】の範囲が広がろうが、二人に降りかかる災難のすべてを取り除くことも、二十四時間、常にそばにいることも困難だからな。


 今回、俺が気づかぬところで信吾が暴力を受けていたように……。


 だから創った。


 【上衣】の術式を根底から組み直し、更なる強化を施した魔法──【魔鎧マガイ


 現実世界こっちで得た知識を使い、ちょっとしたも組み込んでいる。


「それとな、お前に言っておきたいことがあるんだ、信吾」

「え、なに?」


 真剣な表情で、伝える。


「お前はサンドバッグなどでは、無い」


 信吾が小さく口を開けた。


「サンドバッグでは誰も護れないぞ? 俺を護ってくれるのだろう?」


 信吾が口を結び、小さく頷く。


「や、や、やるぞ!」


 南たちに向き直った。


「お~お~、痛い友情ごっこですこと」

「キモイんだよ、お前ら。ホモかよ」


 南がバシリと拳を叩く。


「サンドバッグ大会は出来なくなったが、今日はたっぷりと楽しませてもらうからな?」

「お前たちは今後も俺たち専用のサンドバッグだ」

「違う!」


 南たちの言葉に、信吾が言い返す。


「蓮人くんも僕もサンドバッグじゃない」


 一歩前に出た。


「こ、こ、来い! 今日は僕が相手だ!」

「ヒュ~」


 小馬鹿にしたように兎井が口笛を吹いた。


 手首をクルクルと回す。


「この前のラビットパンチは、お前を壊さないように配慮して打ってあげてたのになぁ~」


 助走をつけるように、軽くジャンプしながら信吾に近付いた。


「けど~今日は、本気で──!!」

「ひぃ……っ!」


 ボッ!


 ぐき……!


「……あれ? 痛く、ない??」


 戸惑う信吾の一方で──


「──っ!?」


 信吾の腹を殴りつけた兎井が、手首を押さえて後退りする。


「痛ぇー!!」

「ど、どうしたんだよ?」

「分かんねぇけど、手がっ!」


 顔をしかめる兎井を見て、加賀が笑った。


「ハハハ! ガチ殴りは気ぃ付けねぇと手首痛めるんだぜ?」


 加賀が拳の骨をボキボキと鳴らす。


「パンチの仕方、教えてやるよ」

「ひぃぃ!」


 信吾の前に、圧迫するように立った。


「今度は俺だ。容赦しねぇぞ」

「はわわ……!」


 加賀が問答無用で信吾の服を掴む。


「ぅおらっ!!」

「ひぃ!?」


 強烈なフックを腹へぶち込んだ。


 ゴチ……!!


 だが、顔を大きく歪めたのは、加賀だった。


「ぐ、ぐあぁぁっ!?」

「えっ?」

「お、俺の、俺の拳がぁっ!?」


 悶える加賀を前に、信吾は目をパチクリさせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る