神社の杜の猫だまり
千賀まさきち
神社の杜の猫だまり
あたしには秘密がある。
誰にも言えない、ちょっとした秘密だ。
家族や友だちに言っても信じてもらえないだろうし、自分でも実は夢なんじゃないかと思ってる。
SFのことを「少し不思議」と言ったのは誰だったっけ。
よく少年漫画を貸してくれていた、近所のお姉ちゃんが言っていたように思う。
小学校最後の夏休み。
そんな「ちょっと不思議」なことが、あたしに起こった。
※
『おい。シッポに触るんじゃない。』
目の前の猫は、面倒くさそうに私のことをにらみ上げ、そう言った。
午前中の開放プールから家に帰る途中のことだった。
ユキちゃんと分かれ、近道しようと神社の境内を歩いていたら、木陰に猫だまりを見つけたのだ。
あたしは猫が好きだ。
犬でもウサギでも鳥でもネズミでも好きなので、おそらく『動物』が好きなのだと思う。
キジにトラに黒い子ブチの子サビの子、色んな猫たちが思うがままに手足を伸ばし、ひんやりとした地面に散らばっていた。
「これは行くしかない」
あたしは、その猫だまりへとゆっくり近づいていく。驚かさないように、腰を落としてゆっくり、ゆっくり。
猫たちは、耳をひくりと動かしたり頭をあげたりしたけれど、すぐに逃げだす様子はない。
人に慣れてる。もしかすると神社の人が飼っているのかも。
そう思って座って待つと、何匹かが近づいてきてくれた。それどころか、すり寄ってきて触らせてくれる。
気持ちよさそうなところをみると、撫でられるのが好きな子たちなんだろう。
様子を見ていた他の猫も集まってきた。
あたしのまわりに猫だまり。なんていい気持ち!
「モフモフだねぇ……いいシッポ」
とりわけ大きな、なぜかシッポだけがぼわぼわ広がるキジ猫を撫でたとき、その声は聞こえてきた。
『おい。シッポに触るんじゃない』
面倒くさそうに光るアーモンド色と目があった。
最初は空耳かと思った。
しかし、
『お前だお前。シッポに触るなと言っている』
猫はそう繰り返し、するりとそのシッポを逃がしたのだ。
「あたしに、言ってる?」
『そうだ。さっきから言っているだろう』
思わずこぼれた言葉に、猫は返事をした。
なんてことだろう。猫が話しかけてくるなんて。
いやいや、落ち着けあたし。どこかに人が居ていたずらしてるだけかもしれない。
でも、本当に猫がしゃべっているのなら……
「ねえ。あなたの名前は?」
『……』
返事はない。
「ここの神社で飼われてるの?」
『……』
返事はない。
「シッポが大きいね。」
『……』
返事はなかった。
あたしの空耳だったのかしらん。だとしたら恥ずかしい。
そう思ってあたしは、その猫の頭を撫でようと手を伸ばした。
『お前、変人か』
「え?」
猫はついと頭そらして私の手をかわし、ちょん、と座りなおした。
だんまりはどこへやら、ペラペラと話しかけてくる。
『だいたいの人間は、俺が話すと逃げるだすぞ。しかしたまに興味をしめす奴もいる。そういう人間のことを”変人”と呼ぶのだろう?』
「いや、そんなことは、ないと、思うけど……。本当にしゃべるんだ」
自分でも不思議に思うほど、あたしは自然に”猫と話して”いた。
頭は混乱していたと思うけど、それよりも”猫がしゃべった”好奇心が勝ったのだ。
「ねえ、なんで人の言葉を話せるの? もしかして……猫又とか?」
猫又だったら人の言葉を話せるのかもしれない。いつか漫画で読んだ猫又は、主人公の男の人と親しげに話していた。
でもこの猫のは二つに分かれていないな、とシッポを見つめる。
『むむぅ、ふむ。なるほど。お前は”猫又”という言葉を知っている人間か。こいつは好都合だ』
猫はボサボサのシッポを一振りすると、勝手に納得した様子でうなずいた。
「好都合?」
あたしがそう尋ねると、とんでもないことを言ってきたのだ。
『お前の願いを叶えてやろう。さあ、言ってみろ!』
なんだそりゃ。
どこかのRPGゲームの悪役のセリフみたい。
それにゲームでも漫画でも昔話でも、物語でその手の願いに応えると、たいていロクなことにはならない。
猫は、いかにも得意げな調子で”ふんすっ”と鼻を鳴らした。
まるであたしが喜んで、願いごとを言うのを待ってるみたい。
いやいや。あやしすぎるって。
あたしは一歩、猫から距離をとった。
猫は意外そうにあたしを見上げると、首をかしげる。
『どうした。願いごとを言え。こんな機会はないぞ』
「そんなの、あやしすぎるでしょ。いきなり”願いごとを言え”なんて」
『なんだ、オレがしゃべるのには寛容なくせに。願いごとだと納得できんのか』
「それは……」
確かに。本来、猫がしゃべる時点で大事件だ。
『まあ、警戒心が働くのは良いことだ。いいか。べつにオレはお前のことを、騙してやろうと考えているわけではない。どちらかと言うと、協力を頼んでいるんだ』
「協力?」
『そうだ。オレは……』
と、その調子で彼は事情を説明してきた。
それはなかなかに長い話だったので、かいつまむと……
ひとつ。
彼の名前はホウキ。普通の猫だが猫又に成りたいと思っていて、そのための”試験”のようなものの最中だということ。
ひとつ。
その”試験”というのが、人から”信”を集める、というもので、猫が『人に話しかけて驚かせる』とか『人の願いを叶えて感謝される』などの不思議現象を積み重ねることでたまるらしい。
彼のことを人が『猫又かもしれない』と信じることで、ようやく猫又にクレスチェンジできるそうだ。
なんでも妖怪や神様みたいな存在は、人間が信じていないと消えてしまうんだって。
『そのために、お前の願いを叶えたいのだ。……わかってもらえたか?』
「それなら、もうあたしはアナタと話しているし、猫又って言われても信じるよ? それじゃダメなの?」
『それは矜持の問題だ。”ただ信じられる”というのはどうも落ち着かん。尻にくっつき虫が絡まった時のようだ』
その時のことを思い出したのか、お尻をモゾモゾさせて顔をしかめている。
少しだけあたしの警戒心は働いたが、好奇心には勝てなかった。
「わかった。でも願いごとなんて、すぐには思いつかないよ」
ホウキの目があたしを見つめ、にやりと光る。
『そうかい。まあ、俺にまかせておけ』
「どういうこと?」
『ま、俺はだいたいこの辺りに居るから、何かあれば来るといい』
ぶっきらぼうにホウキはそう言うと、ゆらりと杜の奥に消えていった。
※
開放プールはしばらく続く。
あたしは、今日もユキちゃんと待ちあわせ、学校への道を歩いていた。
最近、ユキちゃんの話はもっぱら”スギモト”のことだ。
「スギモトは50メートル泳げる」
「スギモトは理科が好き」
「スギモトが昨日、ノリちゃんと話してた。付き合ってなんかないよね?」
ユキちゃんの口からは、ぽんぽん『スギモト情報』が出てくる。
スギモトというのはクラスメイトの男子のことだ。
背が高くてバスケが上手、何気に本を読んでいてちょっと暗い感じもするけれど、誰とでも話すことができる。……そんな男子だ。
このスギモトに、ユキちゃんはお熱だった。
「夏休み中に、告白しようと思う」と息巻いている。
ユキちゃん情報によると、スギモトに彼女はいないらしい。
あたしは…… 応援、しているよ? そう思う。
そんな抜群のタイミングで、スギモトの姿が見えた。
ユキちゃんが飛び跳ねる。
(ねえねえ。声かけてもいいかな?)
(行ってきなよ。ひとりみたいだよ)
(恥ずかしいから一緒に居てよ……)
「おはよう」
こそこそ話していたら、なんとスギモトから声をかけてきた。
ユキちゃんの顔が真っ赤に染まったのは、暑さのせいだけじゃないだろう。
「「おはよう」」
あいさつを返したが、どうにも会話が続かない。
「今日もプール?」
何気ない調子でスギモトが聞いてきた。
もじもじと恥ずかしがるユキちゃんに代わり、あたしは答える。
「うん。暑いし。しばらく通おうかと思ってて……ねえ、ユキちゃん」
「う、うん。……スギモト君も? よかったら一緒に行かない?」
ユキちゃんは頑張る。もじもじしながらでも、あたしを盾にしながらでも、自分の気持ちを相手に伝えようとする。
そんなところがすごいと思うし、うらやましいと思った。
なのにスギモトときたら、あたしに向かってとんでもないことを言ってきたのだ。
「いや、ちょっと君に話があって。あとで、時間をくれないかな?」
あたしの背中で、ユキちゃんが固まった。
とぼけた顔をして。空気が読めないのかこの男子は!
「あげるわけないでしょ! 馬鹿っ! 行こ、ユキちゃん」
あたしはユキちゃんの手を引いて、その場を離れることしかできなかった。
※
そのあとのユキちゃんは、なかなか面倒くさかった。
「なんでスギモトに誘われるの?」
「あたしの知らないところで、仲良くなったの?」
「あたしのスギモトへの気持ち、知ってるのにひどいよ!」
ばんばん問いつめられる。
とつぜん誘われた理由は、本当にわからなかった。
スギモトと最後に話したのは夏休み前だ。
だから不思議だった。昨日のホウキとのことみたい。
……まさか、ホウキが何かしたんじゃないよね。
そう思って、帰りに神社に来てみたら、
「やあ」
なんとそこには、猫に囲まれる”スギモト”がいた。
「な、なんで……(ここにいるの!)」
あたしは金魚のように、口をパクパクさせる。
こんなのユキちゃんに知られたら”友情”は終わりだ。
「ここ、よく来るんだ」
スギモトはさらっとそう言うと、足元の茶トラをなでた。
なでながら、いきなり聞いてくる。
「昨日さ、ここで猫としゃべってなかった?」
「!!」
昨日のホウキとのやりとりを見られてたんだ!
どうしたものか悩んで周囲を見まわす。ホウキはいないようだ。
肝心な時にいやしない。
「えっと……猫に話しかけるのは、おかしい?」
あたり障りのない言葉を選んでみる。飼い猫に赤ちゃん言葉で話しかける大人だっているはず!
「そんなことないよ。でも、昨日は猫の方が話しているように見えた」
スギモトは目線を猫からあたしに移すと、そう言った。
どうしよう。
「それは……えっと……」
あたしは口ごもる。ひぃ、ホウキ出てこい!
「あの……頼みがあるんだ! しゃべる猫がいるなら、俺にも会わせてくれ!」
「……はい?」
スギモトの要求は「ホウキに会わせてほしい」というものだったのだ。
「なんでスギモトは、その猫に会いたいの?」
「……変か?」
「ううん? ちょっと、不思議に思っただけ」
ここに通っていたのなら、すでにホウキは声をかけている気がしたのだ。
「だって、猫と話せたら楽しそうだろ。普段、こいつらがどんなこと考えてるか知ることができたら、面白い」
スギモトは、ちょっと照れた様子でつぶやいた。
「えっと、あたしも半信半疑なんだ。ホウキっていうキジ猫なんだけど、……なんでも猫又になりたいんだって」
「猫又? すげえ!」
スギモトは”猫又”という言葉に反応した。
「……もしかして、スギモトって妖怪とか、好きな人?」
「あー……昔話とか物語とか読むの好きなんだ。拡散するなよ。ユウタ達には馬鹿にされるから。遠野物語とか、エンデとかさ」
クラスメイトの名前をあげて、スギモトは口ごもった。
その微妙な気持ちは、なんとなくわかる。
なのであたしは、自分でも不思議なほど素直に答えていた。
「あたし、”なくならないおにぎり”は食べてみたいと思ったし、”フッフール”には乗ってみたいと思った」
「……わかるの?」
「うん。あたしもその本、読んだことあるから」
「そうなんだ。へへ、よかったら面白かったやつ教えてよ。情報交換しようぜ」
「……いいよ」
「やった。約束だぞ」
はにかむスギモトを見て、あたしは思った。
ごめん、ユキちゃん。
やっぱりあたしも、スギモトのこと……
結局その日、ホウキは現れなかった。
スギモトは肩を落としたが、ホウキの特徴を聞いて、会ったら話しかけてみようと息巻いたのだった。
※
週が明けて月曜日、ユキちゃんはプールに来なかった。
どうやらスギモトとあたしが二人きりのところを、目撃した同級生がいたらしいのだ。
玄関から顔だけ出したユキちゃんは、あたしのことを”裏切者”と言った。
『どうだ。上手くいったか?』
帰り道、塀の上に鎮座するホウキと会った。
「なにが?」
ぶっきらぼうに応えたあたしに、ホウキは爆弾を落とす。
『あのスギモトとかいう男子のこと、好いとるのだろう?』
「あたし、そんなこと言ってない」
『口にしていないだけで、考えていただろうが。あの男子と仲良くなりたい、とな。だから、二人きりになれるように計らってやったのだ』
ホウキは得意そうに鼻を鳴らした。
「もしかして……”願いごと”?」
『もちろん。俺は、言われないと動けないような”鈍感”ではないからな。お前の考えを汲み取って、善きように働いたのだ。どうだ。感謝したか?』
何てことを。
じゃあ、ユキちゃんのこともスギモトとのことも、ホウキの差し金だったんだ。
「するわけないでしょ! このバカ猫!」
あたしはお腹の底から叫んで、それから走った。
確かに、あたしはスギモトが好きだ。
スギモトと話すのは楽しかったし、仲良くなれればうれしいと思う。
でも、ユキちゃんも大事だ。幼稚園から一緒の、大事な友だち。
スギモトのことが好きなユキちゃんに、実はあたしも同じ人が好きなことを伝えられなかった。
よくばりで、弱虫で、憶病なあたしは、ユキちゃんとスギモトと、どちらか一つを選ぶ勇気もない。
どちらからも嫌われたくない。中途半端の仲良しのままでいたい。
走って、走って、
気がつくと、あたしは神社の杜の猫だまりにいた。
猫だまりの中心には、ホウキが座っていた。
「ホウキ……」
『その、なんというか、……すまなかった』
あたしがホウキを見つめると、彼はシッポをぺしゃりと垂らして謝った。
『うまくいったと思ったんだ』
「いいよ。あたしも怒鳴ってごめんなさい。それに……」
『……なんだ?』
「それに卑怯だったのはあたしのほう。ユキちゃんの気持ちを知ってたくせに、あたしもスギモトのこと好きなこと黙ってたんだもん。傷つきたくなかったから」
『……』
「それどころか、スギモトと二人きりで話せて、うれしいとさえ思っちゃった。最悪だよ」
『人間とは、なかなか複雑で面倒くさいものなんだな』
ホウキは身も蓋もないことを言う。
そして、あたしに”ある提案”をもちかけたのだった。
それは……
※
「ユキちゃん、おはよう」
「おはよう。ねえ聞いてよ! 昨日さぁ……」
新学期、あたしはユキちゃんと学校に向かって歩いていた。ユキちゃんはお母さんの文句を言いながらも、笑顔だ。
ホウキが持ちかけてきた提案は、『全部なかったことにする』というなんとも大雑把なものだった。
なんでも『”あたしとホウキの願いごと”に関わる全ての記憶を、周囲の人は忘れてしまった』らしい。
あたしと、ユキちゃんの恋のいざこざも。
猫又について、スギモトと話したことも。
本を紹介するという約束も。
全部『なかったこと』になる。
ホウキの猫又修行がどうなったのか、それはわからない。
何度か神社にも行ってみたが、ホウキが姿をみせることはなかった。
それでもあたしはホウキに感謝している。
あたしの感謝分が、猫又修行の足しになっていればいいけれど。
やりなおすチャンスをくれたこと。
勇気を出す、そのきっかけをくれたこと。
あたしはユキちゃんを呼び止めた。
「ユキちゃんあのね、あたし、ユキちゃんに伝えたいことがあるの」
神社の杜の猫だまり 千賀まさきち @sengamasakichi
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