ホラー的なショート集

北見崇史

二人トンネル

「今日さあ、会社の連中と昼めし食ってる時に、おもしろい話を聞いたんだよ」

 夕食時、武史は出来合いの餃子を食べながら言った。

「おもしろいって、どんなの」

「京香は怖い話がダメだから、これは話さないほうがいいかなあ。どうしようかなあ」

 もったいぶった態度だった。

「うん。ホラーのたぐいだったら、いらない。だって、怖くて夜眠れなくなるもん」

 怪談話が大好きな女子は世の中に多いが、嫌うものは徹底して受け付けない。だが、話したくて仕方がない武史は、同棲相手の気持ちを考えずに続ける。

「犬九トンネルって、あるだろう」

「え、いぬく?」

「そう、いぬく」

「なにかを、射抜くって意味なの」

「犬が九匹いるから、犬九トンネルだよ。なんだ、あのトンネルを知らないのか」

「だから、私が怖い話を大っ嫌いなのは武史がよく知ってるじゃないの。そういうのは、耳をふさぐようにしてるのよ」

 武史は苦笑いしていた。連れ合いの小心さに、ややあきれていた。

「雄里まで鉄道があっただろう。いまは廃線になったけれども、雄里駅からちょっと行ったところにトンネルがあるんだ」

「雄里線のこと?私は乗ったことないし」

「まあ、雄里は山の中の限界集落だからな。いまは雄里駅も廃墟になったし。とにかく、その雄里駅から少し行ったところにトンネルがあるんだ。廃線になってもトンネルは残っているわけよ。そしてな、そこに出るらしいんだ」

「でるって、幽霊とかなの」

「そうそう、幽霊よ」

 そこまで話して、武史はいったん話を切った。冷蔵庫まで行って缶酎ハイを取り出すと、再び食卓まで戻ってきた。プシューっと小気味よい音がした。アルコール度数がキツいそれを半分ほど飲み干して 前に乗り出してさらに幽霊話を続けた。

「なあ、明日の夜中に行ってみないか。雄里駅まで車で一時間ぐらいだから、それほど遠くないよ。暇つぶしにいいだろう」

「イヤよ。それにどうして夜中にいくの」

「肝試しは昼間に行っても盛り上がらないだろう。明日はふつうに仕事だから夜じゃないとあいてないし。明後日は休みだから、多少ハメを外しても大丈夫さ」

「やめた方がいいよ。そういうところにおもしろ半分に行くと、呪われちゃうっていうよ。夜中のトンネルに行って、万が一にでも汽車がきたら危ないし」

「京香は臆病だなあ。それに廃線になっているんだから、汽車なんてくるわけないじゃんか」

「はいはい、私は行きませんから、お一人でどうぞ」

 恋人は乗り気でないと感じた。武史は自分一人で行くことにした。


 市内から車で一時間と少しで雄里の集落に到着した。

 山奥の寂れた集落なので、民家は少なく、あちこちにポツンポツンと点在しているぐらいだ。もちろん道路に街灯など一つもなく、真っ暗である。結局、同棲相手を連れてくることができず、武史は一人でやってきた。時刻は夜中の一時を過ぎていた。

 無人の駅から線路に降りて、武史は犬九トンネルへと歩きだした。懐中電灯の光を頼りに、真っ暗闇を進む。

 廃線となって、その鉄路に列車が走らなくなって久しい。雑草が生い茂り、線路の両側から樹木が覆いかぶさっている。十分ほどでトンネルの入り口に着いた。

「たしかに不気味なトンネルだな。それにしても狭そうだ」

 鉄道のトンネルとしては、小さく思えた。高さはあるが、列車が通過するには幅がギリギリである。

「さあ、中に入ったぞ。どんな幽霊が出るかな」

 トンネルの内部に足を踏み入れた武史は、とりあえずブラブラとしていた。

 そこは息詰まるほど狭く、真冬のように冷えていた。懐中電灯しかないので存分に不気味であったが、彼が期待していたような超自然的なものは現れなかった。

 一時間ほど滞在したが、とくに何事も起こらない。身体の芯まで冷え切ってしまい、武史は震えながらトンネルを後にした。



 家に帰ってから、武史は犬九トンネルに関する事情をネットで調べ尽くした。目ぼしい発見はたいしてなかったが、一人ではなく二人で行くと幽霊が現れるとの記述を見つけた。

「京香、京香」と叫んで、大急ぎで居間へと向かった。

「なんなの、そんなに血相変えちゃって」

 武史は自分の見つけ突破口を、さっそく伝える。

「ネットで検索したら、犬九トンネルは二人で行かなくちゃならないんだよ。一人じゃダメなんだ。だから今晩一緒に行こう」

「イヤだって言ってるでしょう。お化けがでたらどうするの。どうしてそんなに執着してるの。絶対にヘンだって」

「いや、べつに、なんでだろう。そういえば、わけわからんわ」

 説明のつかない感情を正直に吐露した。とにかく、そこに行かなければならないとの衝動が湧き上がってくるのだ。

「な、な、ちょっと行って帰ってくるだけだよ。すぐに帰るから」

 武史は強引だった。女性に対して押しが強いのが、彼の性格上の特徴なのだ。

「ほんとにちょっとだけだよ。すぐに帰るからね」

 了解を得て、武史の意気込みが上がった。生臭い息を車中に吐き出しながら、彼は目的地を目指した、



 月明り一つない真闇の森の中に、細長く拓かれた回廊が続いていた。その鉄路を歩き続けて、トンネルの前までやってきた。

「やっぱりやめようよ。なんか出そうだよ」

「ここまで来て帰れるかよ。とにかく中に入るぞ。京香は俺の後ろについて来いよ」

 懐中電灯の力が弱弱しかった。しっかりと充電してきたはずなのに、この薄っぺらな明かりはなぜなのだと、武史は憤慨していた。これではまるで、周囲の闇が圧力となって光を押しとどめているようだと感じた。

「あれは何だ」

 そのか細い明かりが届くギリギリのところに、なにかが落ちていた。

「京香、あそこになにか落ちてるよ」

 懐中電灯をそこに向けるが、なにがしかの道具であることしかわからない。

「ちくしょう、なんでこんなに寒いんだ」

 前に来た時よりも、トンネル内は余ほど冷え込んでいた。

「ねえ武史、知らないでしょう」

「え、なにがだよ」

「犬が九匹いるトンネルっていうのは、間違いなの」

「ちょっと待って、いまそれどころじゃない」

 武史は線路に落ちているものに駆け寄ると、その場にしゃがみこんだ。枕木に置かれたそれを拾い上げ、明かりを当てて吟味した。

「ナイフだ。ナイフが落ちてたよ」

 そのナイフには、朱色の液体が滴っていた。使用済みであることが一目でわかる。

「この血、まだ新しいよ。たったいま使ったみたいだ」

 武史は、左手の親指と人差し指で刃をつまみ、そのまま滑らせた。そして、指についた血をそっと舐めた。

「まだ生温かい、温かいよ。きっと、いま切ったんだよ」

 血の温もりと鉄臭さを感じて、彼の精神は興奮する。

「野良犬を殺したら、苦しそうに啼くでしょう。痛くて痛くて、啼くでしょう。ここはね、犬が苦しむところなの」

「京香、ちょっと黙ってろよ」

 ナイフに続いて、ノコギリを見つけた。大工が材木を切るときに使う引きノコと、金属パイプ等を切断する金切ノコだ。それらも、やはり赤黒い血液で汚れていた。彼の手の平がヌルヌルと滑っていた。

「武史、武史」

 その声はトンネルの奥から聞こえていた。武史が導かれるように進むと冷凍庫が横たわっていた。彼は、そこに入れられているものを知っていた。ずいぶんと前に一人の女を殺したことがあった。好いて好いて、たまらなく愛し続けていた女だった。



 京香は俺を手ひどく無視した。そして、これ見よがしに別の男と付き合い始めた。だから、月明りもない夜に彼女をさらった。愛していたから、どうしようもなく愛しているから、苦痛を与えたいと思った。俺がどれほど京香を愛しているかを、想像もできないような苦痛で教えてあげたかったのだ。 

 廃線になったトンネルで、京香を切り刻んでやった。京香の悲鳴が湾曲したトンネルの内壁で反響し、その感触が心地よかった。すぐに死んでしまわないように、一晩かけてゆっくりと処理した。やり遂げた直後は放心状態だったが、それからの毎日は達成感に満たされた。なぜなら、京香は俺のものになり、俺のくびきから逃れることはできないからだ。 



 武史は両手にナイフとノコギリを手にしている。道具からは血が滴り、生臭い靄が立ち昇っていた。

「野良犬が痛めつけられて惨殺されるように、私は殺された。私は犬のように悲鳴をあげた。痛くて痛くて、この胸が何度も張り裂けた。あの痛さを、あなたに知ってもらいたいの」

 白い冷凍庫のいたるところが赤黒く汚れていた。武史がその取っ手に触れようとすると扉が数ミリ浮かんで、そこから大量の血液が洪水のようにあふれ出した。京香がよく使用していた香水の匂いが鼻をついた。

「ありがとう武史、ここまで来てくれてありがとう」

 トンネルの冷気の中に、その声は消えていった。


 武史は、ハッとして前方を見た。トンネルのはるか向こうから光がやってくる。それは見る間に強くなっていた。真闇に、真っ白な光源がまぶしくて仕方がない。叩きつけるような轟音が、彼の足元をガタガタと揺らしていた。

 夜汽車が迫っていた。今すぐに、その狭小なトンネルから脱しなければならないが、武史は動けないでした。彼の足首に、ヘビのように長いものが巻き付いていたのだ。

「なんだこれ、うわあ」

 それは人の内臓であった。生きたまま引きずり出された京香の腸が、ぬめぬめと這い回りながら絡みついているのだ。

 汽笛が何度もなった。それらは狭苦しいトンネル内で反響し、まるで犬の啼き声のようであり、女の金切り声のようでもあった。

 夜汽車は目前まで迫っていた。武史は、恐ろしく長い肉色のロープに絡みつかれたまま、線路の上で身動きできないでいた。

 鋼鉄の夜汽車は、ひどくゆっくりと這い進みながら、武史の身体にのしかかった。彼の命が尽きるまでには一晩を要するだろう。金切り声は止むことがなかった。


                                 おわり


 


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