第3話 彩音の気持ち

 二回目の飲み会が私の家で行われた。

 そこで頻度や場所のことについて話が出た。

「毎週やりたい。何なら毎日でも!」

 彩音が早々に酔っ払いと化す。そしてまたも私は膝枕をする羽目になってしまった。

「毎日はちょっと……」

 私が呆れると、彩音は悲しそうな表情をした。

「那奈美が冷たい」

「二週間に一回くらいのペースでやろうよ。私たまに土曜日出勤するし」

「分かったあ」

 彩音が立ち上がり、嬉しそうに頬ずりしてきた。お酒で血流がよくなっているのかわずかに熱を帯びている。こうなるともう手が付けられない。私の話をちゃんと聞いているのかさえ怪しい。話した内容など明日には忘れていそうだ。

 飲み会は土曜日にしようと提案した。残業ばかりで金曜に飲み会をやる時間は無い。大概定時で上がれる彩音は信じられないものを見るような目で私を見てきたが。

「那奈美と私の時間を奪う会社が憎いよ」

 それに関しては同意する。仕事ばかりで嫌になる。それでも彩音との時間があるからこれからもなんとかやっていけそうな気がしていた。

「たまには外で飲んだりしない?」

 私がそう言うと彩音は断固反対した。

「駄目だよ。私が安心して酔えないでしょ! 酔っ払った私を誰が世話するのさ!」

 彩音がビールを豪快に飲む。開始から三十分、既に500ml缶三本が空いていた。

 外で飲んでこの状態の彩音を無事家に送り届けることが出来る気がしない。家で飲むのが安心安全か。

 急に静かになった、と思ったら彩音が私の足で寝ていた。いくら何でも自由過ぎる。

「彩音、起きて」

 体を揺さぶっても反応が無い。

「彩音の大好きな私が暇してますよ。起きて下さい」

 彩音に起きる様子は無いので、彩音を膝にのせたまま一人で飲み食いをしていた。しばらくして彩音が起きると私に抱き着いてきて、眠いから一緒に寝よ、と言ってきた。

 狭いベッドの中、彩音と密着して寝る。彩音の息がくすぐったい。

 眠りの世界に落ちる寸前、那奈美、ずっと好き、と彩音の声が聞こえた。眠気が消え、心臓がうるさい。お酒の所為だ、私はそう言い聞かせて眠りについた。


 二回目の飲み会の後、彩音のSNSアカウントを久し振りに覗いてみた。プライベートを覗き込む罪悪感があるから、彩音とSNSの話は特にしていない。彩音にアカウントを聞かれたら当然教えるが。

 彩音の彼女とのツーショットやデートの写真は全て消えていた。その変わり私との飲み会の写真がアップされていた。コメント文には、「親友と六年ぶりに再会」「超楽しかった」「一緒に寝ちゃった」などなど本当に楽しかったことが伺えることが書いてあった。

 私は嬉しくなったが、その反面後ろめたい気持ちもあった。彩音は彼女と別れてしまったのだろう。でなければ写真を消す必要はない。彩音は飲むと陽気になってしまい、そこから彼女と別れたのか推し量ることは出来ない。もし私との時間を優先してしまいそれで彩音の彼女が怒ってしまったのであれば、責任を感じてしまう。

 彩音が本当にショックなら、飲み会の時にでも愚痴を言うかもしれないがそんなそぶりはない。最初に彩音のアカウントを見た時、最新の投稿が一か月以上前で止まっていた。その時から上手くいっていなかったのかもしれない。だとしたら私という存在が二人の別れを後押ししてしまったのではないだろうか。やはり罪悪感を感じてしまう。

 彩音が悲しんでいるところは見たくない。無理して明るく振る舞う様子を見たくはない。彩音のSNSアカウントを覗き見ていることを白状するものだから、そんなことは聞けないのだが。

 彩音との飲み会の前日金曜日、私はどうやら浮かれていたらしい。

 休憩がてら会社の自販機で飲み物を買った時、後ろから声を掛けられた。

「和木さん、何か楽しそうですね」

 振り返ると新入社員の女の子だった。部署が違うから名前が思い出せない。向こうは覚えているというのに。

「え、そうかな」

「普段は死んだような顔なのに、今日だけ楽しそうですよ」

 普段の私の顔ってそんななのか。それよりも思い切り言ってくれる後輩だこと。

 それだけ言うと、自販機で何も買わずに踵を返し自席に戻り出した。少し歩いたところで振り向いた。

「和木さん、私の名前覚えてますか」

「えっと」

 言い淀んでしまう。

「手賀真穂です。お見知りおき下さい」


 彩音との飲み会は楽しみだ。でもそれが表情というか、表に現れているとは思わなかった。手賀さんはそのことを言いたくてわざわざ話しかけてきたのだろうか。変な人だ。

 彩音の家で三回目の飲み会が開かれた。

 今日も彩音は開始三十分でお酒にのまれている。彩音と飲むとついつい私もペースを乱され、弱いにも関わらず500ml缶を飲み干していた。冷静な判断力を失っていると頭では分かっていてもなんだかぼーっとする。

 そしてちょっとだけ彩音の様子がおかしかった。

「彩音?」

 私は彩音に押し倒されていた。いつものように彩音がにじり寄ってきたかと思うと、背中から抱き着かれ、横に倒された。そこに彩音が馬乗りになった。さらにお互いの両手は指と指を絡め握られている。

「彩音?」

 もう一回呼びかけたが反応が無い。しばらく固まってしまう。

 私のお腹の上に彩音がしっかりと乗っている。どれだけ時間が経ったか分からない。世界から音という音が消え、私と彩音の息遣いだけが残った。ようやく彩音が口を開いた。

「那奈美」

「どうしたの」

「好き」

 彩音はそれだけ言うとキスをしてきた。唇と唇が軽く触れ合う。わずかにお酒臭いが、それでも彩音の匂いが口の中に流れ込んできた。

 彩音はすぐに唇とつないでいた両手を離し、立ち上がろうとした。私は慌てて彩音の背中に手を回し引き寄せた。彩音の今にも泣きそうな顔を見てしまったら愛おしさが込み上げてきた。お互いの顔を見つめ合った。私の視界は彩音の可愛い顔だけになった。

「私の好きってこういうこと」

「うん」

「いい?」

「うん」

 彩音がまたキスをした。優しく唇が啄まれる。熱く湿った吐息が口の中に入ってくる。頬に水滴のようなものが落ちるのを感じ、目を開けた。彩音はキスをしながら両目から大粒の涙を流していた。

「どうしたの」

 私は彩音を少しだけ押しのけ、聞いた。

「嬉しくて」

 彩音が私の胸に顔を押し付けながら言った。

「ずっと好きだった。だから夢みたいで、嬉しくて」

 彩音は何も言わず、もう一度キスをしてきた。柔らかさや優しさ、余裕がない、どちらかといえば荒かった。上唇を挟み、下唇を挟み、熱いものが口内に入って来た。それが舌だと気が付くのに時間がかかった。彩音の舌が私の舌と絡む。意識が飛ばないように、彩音の背中に回している手で服を強く握る。力が入り彩音との距離がさらに無くなり、舌が深く入ってくる。

 窒息死の文字が浮かんだ時、彩音が口を離した。私達は呼吸を乱し、無言で見つめ合った。今度は荒い息遣いが世界を支配していた。彩音が再びキスをしてきた。舌を入れられ、服の上から胸をまさぐられた。私は無理矢理唇を離し手首を掴んだ。

 彩音が驚いたように手を引っ込めようとしたが、私は掴んだまま離さない。

「ベッド行こ。床だと体痛い」

 自分で言っていて恥ずかしく、顔が赤くなるのが分かった。彩音は嬉しそうに笑った。深くキスをしながらよたよたとベッドまで移動した。彩音に勢いよく押し倒される。

 彩音が私から離れ、電気を消した。暗闇の中服を脱いでいるのか衣擦れの音が大きく響く。私も服を脱ぐ。部屋は真っ暗だから彩音には見えないはずなのに、何だか恥ずかしい。

 彩音が近寄ってくる気配がした。かと思うと既にキスをしていた。私は彩音の背中を、腰を、お尻を、丁寧に撫でた。その度に彩音の呼吸が乱れる。全身どこを触っても滑らかだ。

「彩音」

 唇が離れたタイミングで声を掛けた。

「私初めてで、どうしたらいいか分からない」

「那奈美は何もしなくても大丈夫。私に任せて」

 彩音の自信に満ちた表情が見える気がした。

 彩音が私の舌を吸う。彩音の手が私の胸を優しく揉みしだく。彩音の柔らかい手が私の肌を直接触る。たったそれだけのことで私は心が満たされていくのが分かる。

 もっと欲しい。彩音の手でもっと触って欲しい。手が次第に胸からお腹へと移行し、秘部に触れた。思わず声を上げ、彩音の背中に爪を立ててしまった。

 彩音は気にすることなく、優しく指を動かしていく。目の前の暗闇が徐々に白くなっていく。何も考えられない。彩音だけで満たされていく。無意識に彩音の名前を呼んでいた。

 彩音はそれに応えるように那奈美、と呼ぶ。お互いの名前を呼ぶ声と、湿った音だけが鳴り響く。彩音。彩音……。彩音……!

 ――彩音、私もう……。

 全身から力が抜けた。彩音の背中に回していた腕にも力が入らずベッドに投げ出された。酔いと興奮と疲れと、今までにない快感で眠りにつく寸前、彩音の声がはっきり聞こえた。

「那奈美、好きだよ」


 彩音との交流は続いている。

 隔週土曜日、どちらかの家で飲み会をし、セックスをする。

 最初の内は余裕が無くされるがままで、一度果てては気を失うように眠るばかりだった。少しずつ慣れてくるころには彩音の激しさが増し、二度三度と達するようになっていた。

 私は愛されるだけだった。

「那奈美、どう?」

 私が一回果ててから、彩音が指を引き抜き、しばし休憩となった。

 私は仰向けに寝転がり脱力し、彩音は私に覆いかぶさるように倒れ込んできた。胸と胸が触れ合う。甘い刺激が走る。

「気持ちいいよ」

 私は快感で震える手で彩音の頭を撫でた。力が入らない。彩音はどんどん上手くなっていく。そのうち私の体は快感で壊れるかもしれない。

「那奈美、可愛い。好きだよ」

 私は彩音の頭を撫で続ける。そのうち彩音が身をくねらせ、息が乱れる。

「那奈美の事がずっと好きだった。高校生の時から」

 彩音の息がどんどん乱れていく。

「私と仲良くしてくれる那奈美が好きだった。友情の意味で。そう思っていた」

 私は左手で頭を撫で続け、右手で背中や腰を優しく撫で始めた。

 彩音は自分の指を自分の秘部に入れ、動かす。

「今でも覚えてる。初めて那奈美に触られたこと。腕を撫でられた」

 彩音の空いている手が私の左手首を掴んだ。私は意に介さず、撫で続ける。

「気持ちよかった。感じた。周りで私達が付き合ってるんじゃないかって噂が流れてたけど、それはそれで嬉しかった。そして自分の気持ちに気づいちゃった。那奈美が好き。那奈美の恋人になりたい。那奈美を触りたい。那奈美に触られたい。那奈美とキスしたい。那奈美とえっちしたい」

 私の手首を掴む手に力が入った。少し痛いが彩音の反応が可愛く、構っていられなかった。

 彩音の呼吸と動きが一瞬止まった。すぐに肩を上下させ苦しそうに呻き、脱力し私に体重を預けてきた。私は彩音がイッた後も撫で続けた。

「全部叶った。ずっと想い続けてきた。今私、幸せ」

 彩音が軽くキスをした。

「大好きだよ、那奈美」

 私は無言で彩音を撫で続ける。やがて彩音の寝息が聞こえてきた。私も目を閉じ彩音を抱き締めて眠りについた。

 半年程このサイクルは繰り返された。お酒を少し飲み、会話もそこそこにお互い裸になる。家に入ってからセックスするまでの間隔はどんどん短くなっていった。私は彩音に愛され続けた。何度も何度も彩音の腕の中で絶頂を迎えた。彩音は何度も私の名前を呼び、何度も好きだと呟いた。私は彩音に愛されくたくたになり、彩音を愛する体力が残らない。彩音はそのことに不満はないのだろうか、と時折私が不安になる。今日こそは私が、と思うも気が付けばいつの間にか彩音に愛されている。

 十一月末の寒い日のこと。この日は私の部屋でお互いの肌でお互いを温めていた。

「那奈美、寒くない?」

 私が二度イッてから彩音が私の首元に顔を埋めるように抱き着いてきた。

「大丈夫だよ。彩音は?」

 暖房は付けているが、隙間風の所為かあまり温まらない。

「大丈夫。那奈美がいるから」

 彩音はしばらく私の腰のあたりを撫でていた。彩音が何か言いたそうな雰囲気を醸し出していた。彩音の微妙な雰囲気の変化に敏感だ。

「どうしたの。何か言いたそうにしてるけど」

「うん、まあ」

 彩音の態度は煮え切らない。暗闇の中、表情を窺い知ることが出来ない。私は彩音が話し出すのを辛抱強く待った。

「那奈美、好きだよ」

 彩音はそう言うと私の秘部に指を差し込んだ。それだけで私はまた果てそうになる。指の動きが大きくなる。いつもより激しい。少し乱暴だが愛のある激しさは気持ちいい。ものの数分で私はイッた。限界だ。これ以上は変になる。

「那奈美、気持ちよかった?」

 彩音は再び私の首元に顔を埋めるように抱き着いてきた。

「うん」

 私は息も絶え絶えに応えた。

「普段も気持ちいい?」

「うん」

「よかった。那奈美を満足させられて嬉しい。色々頑張って覚えたんだよ、昔」

 彩音の言葉に一瞬だけ棘を感じた。少し、苛ついている?

「女の子同士のあれこれを調べたり、教わったりした」

 教わった、と言うのは昔の恋人にだろうか。彩音のSNSアカウントに彼女の文字があったし別に驚きはしない。過去に何人かと付き合っていたとしても不思議ではないし、怒りはしない。ただピロートークとしてはあまりに相応しくない。少しだけ胸のあたりにザラつく感覚が広がった。

「結構上手でしょ」

「上手だよ。いつも気持ちいい。でも昔の恋人の話は聞きたくない」

「何で?」

 彩音が間髪入れず、それでいて大きな声で言った。私は唐突な声の大きさに怯んで固まった。

「……何でって、恋人の昔の恋愛なんて聞きたいわけないじゃん。彩音に昔彼女がいたって別に何とも思わないけど、彩音の口からは聞きたくない」

 私もつい大きな声を出してしまった。さっきまでの幸福感が嘘のように引いていく。彩音に苛立つなんて初めての事で戸惑ってしまう。

「那奈美の前に三人と付き合った。当然全員と別れてるよ。何でだと思う?」

「彩音、聞きたくないって言ってるでしょ」

 だが彩音は止まらない。私の存在なんか無視するかのように独り言のように喋り続ける。

「セックスすると必ず名前を間違えたの。どうも毎回那奈美の名前を呼んでたみたい。無意識だけど」

 彩音が深呼吸した。今度は打って変わって優しい声だった。

「那奈美、好きだよ。何度も好きだって言ったと思う。私は那奈美が好きで好きでたまらない。でも那奈美は?」

 何で今更そんなことを聞くのか不思議だった。こうして何度も飲み会をし、体を重ねている。だが次の彩音の言葉で冷水を浴びたように体が冷たくなった。

「半年以上、那奈美は私のこと好きだって一度も言ったことないよね」

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