完璧なカノジョ

世楽 八九郎

完璧なカノジョ

「俺のカノジョは完璧なんだ」


 また村田の自慢が始まった。そう思い八坂やさかは辟易とした。

 学生時代からの付き合いで社会人になっても友人の村田に恋人ができたらしい。

 らしい、というのは村田の話がいまいち要領を得ないからだ。曰く『料理上手で気が利く娘』だそうだ。しかし、交際のきっかけやデート先、容姿について尋ねると彼はのらりくらりとはぐらかすのだ。そのくせこうして思い出したかのようにカノジョ自慢を始めるのだった。

 

「そーかい」


 初めこそ面白がって色々と聞き出そうとした八坂だったが、いまでは流し気味に応じる話題となってしまった。推しのアニメキャラをカノジョと呼ぶオタクネタなのではと考えたこともあったが、そういうわけではないようだ。


「料理が上手なんだよなぁ」

「へいへい……」


 ずらりと並んだコミックの表紙を眺めてから八坂は友人を見やる。村田は笑みを浮かべ宙を見つめていた。噂のカノジョの手料理にでも想いを馳せているのか、幸せそうな表情である。

 いままでは女っ気がない者同士でこうやって買い物を楽しんでいたが、最近の彼はどこか上の空に見える。そのことを寂しいと認められる程度に八坂は大人であったが、やはりモヤモヤとしてしまう。

 表紙とタイトルを追う眼が止まることなく素通りしてしまう。村田の件とは別に彼の琴線に触れる出会いはなかったようだ。さてどうしたものかと八坂は思案顔になる。たまには人気のラーメン屋の行列にでも並んでみようかなどと考えているうちにその口から思い付きがこぼれ出た。

 

「……俺も、食ってみたいな」

「うん?」

「お前のカノジョの料理」

「…………」

 

 八坂の思い付きに対して村田は特別驚いた様子もなく、彼をじっと見つめ返した。


「……やっ、もしよければー、なんて……さ?」

「う~ん……いいよ~」


 思いもよらぬ快諾に八坂は眼を見開く。村田はスマホを操作してから『オッケーだって』と彼に告げた。



 § §



「マジかよ……」 


 八坂は絶句した。村田が部屋の鍵を開けると玄関にスリッパが二足用意されていた。以前尋ねたときにはこんな気の利いたものはなかった。借家住まいの独身男性の暮らしなんてそんなものだ。八坂の家にだってスリッパなんてありはしない。客人用ともなればなおさらだ。しかもそれをわざわざ出しておいてくれるだなんて信じがたい光景だった。


「コッチ使ってね。あと、うがい手洗いよろ~」


 いつものようにといった調子で村田はスリッパを履き、廊下を左手に折れて洗面所から水音を響かせた。その様子に現実味を感じないまま八坂は村田に倣った。新品と思しき客人用のスリッパの感触に友人の少ない村田らしさを感じ、八坂は妙な安心感を覚える。

 言われた通りに手洗いうがいを済ませた客人はジーンズで拭おうとした手を止め、洗面台横のタオルで水気を拭った。そのタオルは清潔でふわふわしている。


「…………」


 村田の『料理上手で気が利く娘』という言葉が彼の頭のなかをグルグルと巡る。柔らかなタオルを撫でる指先が強張っていた。


「……マジかぁ」


 八坂は大きなため息をついた。



 § §


 

「お邪魔しまーす」

「……ん? どしたの?」


 緊張した面持ちで入室した八坂を出迎えたのは怪訝そうな村田だけだった。


「いや、ちゃんと挨拶しようと思ってさ」

「ああ、そういうのいいからいいから」


 村田は気にするなと手を振ってみせてから客人に座るよう促す。

 八坂は勧められるまま座布団に腰掛ける。こんなものも以前はなかったはずだ。


「今日はカレーとスープか~」


 キッチンの方から家主の上機嫌な声が聞こえる。カノジョの得意料理なのだろうか。そんなことを八坂が思っているうちに村田はお盆に料理を乗せて帰って来た。

 やはり以前は使っていなかったお盆の登場と手際の良さに八坂は舌を巻いた。自分が気付いていなかっただけで村田はいい意味でカノジョに影響されていたようだ。


「じゃ、食べよっか?」

「……えっ?」


 配膳されたのはカレーとスープのセットが二組だけだ。カノジョの分はどうしたのかと八坂が尋ねる前に村田は辛抱堪らんといった感じで合唱した。


「さぁさぁ、温かいうちに、どーぞっ!」

「あ、ああ……」


 家主につられるように八坂が手を合わせると、彼は食事を開始した。その勢いに初めは引いた八坂だったが、すぐに彼も料理に夢中になった。



 § §



「あー、旨かった」

「だろ~?」


 しばし無言で食事に没頭していた二人だったがほぼ同時に完食すると、ほっと息を漏らした。


「あっ、酒もいっちゃう?」

「いいね~!」


 家主の提案に八坂は上機嫌で応える。村田は食器をさげにキッチンに引っ込むと、またもすぐにビールの乗ったお盆を持って帰って来た。

 

「……早くね?」

「そーお?」


 彼の反応を見て八坂は閃いた。きっと村田のカノジョはキッチンに隠れているのだ。ちょうど自分がいるところからはよく見えない。間仕切りにカーテンまで用意されているからなおさらだ。

 おそらく酔ってきた頃合いにでもカノジョは現われるのだろう。どういう流れでそうなったのか不明だが、そうに違いないと八坂は確信した。考えてみれば、自分が提案してから二人はまっすぐに家までやって来たのだ。カレーもスープもそんなにすぐに用意できないはずだ。きっと昨日の残りものか今晩の料理だったのだろう。

 それにしてもこういうものはカノジョがいることを知らせていない段階で仕掛けるものではないかと八坂は思ったが、どこかズレた趣向が友人らしいと思った。

 

「……まあいいや、飲もうぜ?」

「おけ」


 八坂はそれ以上は追及せずに缶ビールを村田から受け取る。それからプルタブに手をかけ、。村田のビールだけがカシュッと音を鳴らした。


「およ?」

「わりぃ、先に水飲ませて。昨日も飲んでてさ……」


 家主の返事を待たずに八坂は立ち上がると、キッチンの間仕切りを開いてそこへ押し入った。


「あれ?」


 しかし、そこにいるであろうカノジョの姿はなく洗い終わった皿が水切りかごに並んでいた。


「どしたん?」

「あっ、ああ……なんでもない」


 とにかく水を飲んで気を落ち着かせようと八坂が勝手知ったる食器棚からグラスを取り出そうとすると、どこかから物音がした。はっとした彼はそちらを見る。洗面所だ。そう確信した八坂はそこへ向かう。

 扉を開け放つとまたしても無人であった。こうなるとなにもかも自分の勘違いかと八坂がのぼせた頭を振るとその視界の端に訪問時にはなかったものが映る。


「…………」


 そこには折りたたまれたバスタオル二つが鎮座していた。 


「……どうやって?」


 この部屋はそこまで広くない。自分の視界に入ることなく移動できるものだろうか。不可解な状況に焦りを覚えた八坂はリビングに戻る。


「お~い、どうした~?」


 そんな彼を村田は呑気にビールを煽りながら迎えた。そのいつも通りの様子に八坂は耐えきれなくなった。


「あのさ、お前のカノジョってさ……」


 村田を問い詰めようと顔を上げた瞬間、八坂の正面のベランダに人影があった。カーテン越しだが帽子とワンピース姿の女の後ろ姿であった。


「くっ……!」


 必死の形相で八坂は駆けだし、カーテンを乱暴に引いた。

 そこには誰もいなかった。


「八坂ぁ、お前、どうした?」

「カノジョ! お前のカノジョ‼ いたろっ⁉ いま、ベランダに!」

「え……?」


 八坂の言葉に村田の表情が消えた。

 村田はすっくと立ちあがり八坂のそばにやって来てその肩を掴んだ。


「見たの⁉ ⁉」


 そしてその肩を乱暴に揺さぶり始めた。

 眼鏡の奥の村田の瞳は焦点が定まっておらず、油膜が張っているかのようにギラついていた。


「いいなぁ! 見えるんだ⁉ お前には俺のカノジョが!」


 村田に揺さぶられた八坂の視界に畳まれ重ねられた洗濯物が出現していた。間違いなくそれは先程まで影も形もなかった。

 この状況は尋常じゃない。ただそれだけを八坂は確信した。 



 § §  

 


「そう……料理が、うまくて……気が利くんだ。カノジョ、カノジョは……」

「…………」

「気が利いて、家事……家事が得意……なんだよ」

「…………」


 八坂がカノジョの姿を目撃してから数時間後。

 村田はうわごとのようにカノジョを褒め続けていた。しかし、どれだけ続けてもカノジョの容姿に触れることない。

 八坂はこの状況を誤魔化すように酒を煽り続けていた。杯が空になると村田はキッチンに向かい、回れ右で酒とつまみをお盆に載せて帰って来た。つまみはテーブルに乗りきらず床を埋め始めていた。始めはサラダや切り分けたチーズやサラミだったレパートリーはやがて揚げ物や煮物といった時間のかかるものまで平然と出てくるようになっていた。


「なんでもやってくれて……でも、でも……なんでなんでっ……!」


 村田のうわごとに泣き言が混ざり始めた。

 そのたびに彼は背中を丸めて己の肩を抱いている。

 もう何度目になるだろうかとその様子を眺める八坂だったが、気付いてしまった。

 村田が背を丸めると、シャツの襟口が独りでに凹むのだった。すると村田は肩を抱く。いやそうではない。その手は肩を掴めていない。

 まるで背後から自分を抱きとめる誰かと手を繋いでいるかのように。

 それに気づくと同時、八坂はそこから逃げ出した。



 § §


 

「はぁはぁ……」


 八坂は息を切らせて自宅の扉にもたれかかっていた。

 バッグをひったくって出てきたおかげでタクシーを拾い帰宅を果せたのだった。

 息を整え八坂は鍵を取り出し扉を開いた。


「…………」


 勝手知ったる我が家の玄関。そこには真新しいスリッパが並んでいた。

 八坂は靴を脱ぐとスリッパに履き替えて廊下を進む。


「……手洗い、うがい」


 そう呟くと彼は廊下を引き返して、洗面所で手洗いとうがいを始めた。

 手を拭うタオルはふわふわですぐに水気を取り払ってくれた。

 八坂がリビングに入ると電子レンジが動き出した。音に引き寄せられるように台所に向かい、レンジを覗くとタッパー詰めされたご飯が温められている。

 今度はこぽこぽと水音がリビングの方からする。そちらへ向かうとリビング中央のテーブルに急須とどんぶりが並んでいた。最近は使っておらず食器棚の奥で眠っていたものだ。見るとどんぶりは緑茶で半分ほど満たされている。

 レンジが鳴る。八坂は温められたご飯を片手にリビングに戻ってくると着席した。テーブルには先程まではなかった箸とお茶漬けのもとが置かれていた。


「確かに、飲んだ後のお茶漬けって旨いよな……」


 独り言を確かめるように八坂はご飯をどんぶりに放り、紙袋を切り開けた。さっとお茶漬けのもとが解けると緑茶の香りに独特のうま味と香ばしさが乗る。

 合掌すると八坂はお茶漬けをかっこみ始めた。勢いよくすすり、味わうように噛みしめる。八坂がその手を止めるとテーブルにはチューブのわさびが置かれていた。


「これこれ……!」


 彼はチューブを絞ると最後の二口ほどを堪能した。

 八坂は腹を撫でた手をおもむろに肩に乗せると天を仰いで満足げに呟いた。


「俺のカノジョは完璧だな」


 その手にすっと何かが重ねられた。

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