第47話 奪衣婆二人

 到底我が家とは思えない騒音で目が覚めた。騒音と言っても料理をしている際に発生する雑音だ。フライパンで何かを炒める音、包丁がリズムよく何かを切っていく音。


 普段なら気にすることもない音だが、今日だけはとにかく気になって仕方がない。何故ならいつもならその音を出すのは俺だけだから。その俺は未だにベッドで横になっている。ということは……


「もう来たのかよ……。早く来なくて言って言ったのに」


 待ち人来る。俺にとっての待ち人ではないが。これで少しストレスが減ると思うと気が楽になるが、その前に片付けなければならないことがある。


「おばばになんて説明すりゃあいいんだ……」


 ナベに理由を説明できるわけが無い。バレた際に何を要求されるかたまったもんじゃない。海外旅行なんて言われた暁にはまたバイト漬けの日々が待っている。青春とはいったいどこに行ったのか。最近は灰色の日々が続いている気がする。


 かといって俺が何も行動しなければおばばから新しく増えた居候について言及される。ただでさえ金城の時も胃が破裂するかと思ったのだ。聞かれるよりは先に説明してしまえば金城のときほど言及されることは……多分ない。


「起きるか」


 かつてこんなに暗い朝があっただろうか。史上最悪とは言わないでも下から三番目くらいには気が重い。

 しっかりと体の方も気分に引っ張られているようで足取りが重く感じる。重く感じる足を無理矢理動かし、キッチンの方へ向かう。


 キッチンの方からは案の定、昆布出汁の香りと炊飯器からふっくらと炊けてそうな白米の匂いがする。


「朝から気合い入れすぎだっての」


 のそのそとキッチンの方へ向かっていると包丁で野菜を切る音が二つ聞こえてきた。二つ?


「……おいおい、まさかだろ!?」


 嫌な予感に駆り立てられ重い体を無理矢理は止めるとそこには出来ることであれば見たくなかった光景が広がっていた。


「油揚げの処理終わってますわ。短冊切りでよろしくて?」

「ええ。あと茹で上がったほうれん草も切っといてくれるかい?」

「勿論ですの」


 眼前に広がる光景はおばばと堀が二人仲良く料理をしている場面だった。普通であれば微笑ましい光景だろう。だが、俺にはこれが地獄の入り口で仲良く追いはぎをしている奪衣婆二人にしか見えなかった。


「……おはよう」

「あら、おはようございます。坊ちゃん」

「おはようございます」

「頼むから坊ちゃんは止めてくれ。今は村澤の方で呼んでくれ」


 何故ナベといい、おばばといい俺を坊ちゃんと呼びたがるのか。大富豪なわけでも、どこかの金持ちの息子でもないんだが。


「それで? 何してんの?」

「見て分かるでしょう。村澤様。朝食の準備ですよ」

「様はいらないっての。いや、分かるけど、何で堀と一緒に作ってるのかって話だよ」

「その説明は私から。居候の身ですもの。ご飯の準備くらいさせてください。……金城さんに任せるのが怖かったというのもありますけど」

「それは確かにそう。いや、そうじゃなくて……」

「久しぶりに村澤様から呼ばれたんですもの。気合いを入れて朝食を作ろうとしたらこの子がいましてね、別に追い払っても良かったんですが手際を見ると手慣れた様子だったので。だからこうして手伝ってもらっているという訳です」

「あっそ」


 この地獄の光景が形成された背景は理解した。もう少し早く起きればよかったと今更ながら後悔し始めた自分が馬鹿らしい。しかし、料理上手のおばばが手際が良かったと褒めるくらいだ。相当出来るのだろう。……どこかの奴とは大違いだ。


「それで? 説明はしてくれるのでしょうね? 金城さんを居候させると言った時も私には一切説明がありませんでした。まさか、数日も立たないうちにこんなことが起きるとは夢にも、現実にも思っていませんでしたよ」

「……きちんと説明するから怒らないでくれ。堀、金城を起こしに行ってくれ。その間に事情を説明しておくから」

「分かりましたわ」


 俺の言葉を素直に聞いてくれ堀は金城を起こしに行った。あとは目の前の奪衣婆だ。朝からこんな緊張するんだったら昨日電話越しでも軽く説明しておくんだったな。


「あの子は一週間うちに居候する堀 祈だ。訳アリらしいからあんまり事情は突っ込まないでくれるとありがたい」

「ふむ。それで?」

「……それでとは?」

「あの子のことは簡単な説明ではありましたがなんとなく察してあげますが、肝心の貴方の事情を聞いていませんが」

「説明しなきゃダメか?」

「坊ちゃんが私から料理を習いたいと仰るからこうして久方ぶりに家に参上したのです。私、本当にうれしかったんですよ? こうして嘘だと分かるまでは。説明する義務は充分にあると思います」

「……料理を習いたいってのは確かに嘘だ。それはゴメン。けど、おばばの料理が食べたいのは本音だよ。……その本音にプラスであの子の世話を見てくれないかなーってのもあるけど」

「そちらが貴方の本音でしょう。全く。最初からそのようにおっしゃってください。こちらも心の準備というものがあります」

「ハイ。ゴメンなさい」


 おばばには敵わなないと改めて思い知らされる。年齢の違いもあるのだろうが、おばばは特有の圧みたいなものがある。それにいつも圧されてしまう。プレッシャーには色々なことがあったから慣れているが、おばばのだけはいつまでたっても慣れることが無い。


「それで世話と言うのは文字通りですか? それとも……」

「どっちも。さっきの訳アリと被るんだが、堀の後ろになんかきな臭さを感じる。ただの勘だけど」

「面倒事がまた起こりそうですね。まだ先の一件も片付いていないというのに」

「全くだ。起こるならせめて間隔をあけてくれないかね?」

「貴方が言えるセリフではありませんよ。分かりました。期間は一週間だけで?」

「堀曰くそうらしい。だからとりあえず一週間おばばも家にいてくれ」

「とりあえず、ですね」

「部屋は適当なのをどうぞ。――ああ、それと堀、下着が無いらしいから一緒に買いに行ってくれると嬉しい。俺はそう言うのは御免だ」

「分かりました。費用は?」

「自由に使ってどうぞ。まっ、そう言う事。何か質問は?」

「では一つだけ」

「どうぞ」


 おばばの様子を見る限り事情はほとんど理解してくれたみたいだ。お小言も金城の時よりは少ない。上手くいったと言って良いだろう。


「あの子を拾ったのはどちらの理由で? 人道的、それともまさか、恋に落ちたからと仰るわけではありませんよね?」

「それこそまさか。長い付き合いだから俺がどっちの理由からかは分かってるだろ。分かりきったことを聞くなよ」

「安心しました」

「……何にだよ?」

「全てに。ではそろそろ寝坊助さんも起きてきそうですので朝食の準備をしてしまいますね。まだもう少し準備に時間がかかるので顔でも洗ってらっしゃい。酷い顔ですよ」

「……」


 お互い長い付き合いだ。踏み込んでほしくないラインは二人とも弁えている。しかし、さっきのは少しラインを超えた質問だった。

 少し怒っているという事なんだろう。それと、次に怒らせたらそのラインを超えるという宣言。


 全く敵わない。もしも次があったら嘘はつかずに正直に伝えよう。そんなもしもない方が身のためだがな。


「あっ‼ そうだ。ナベにはこのこと内緒にしといてくれ。表向きの理由は料理を習うってことにしてるんだ」

「何故渡辺に秘密にするのですか? する理由がないと思いますが」

「おばばには無くても俺にはあるの。じゃ、顔洗ってくる」


 くるりとおばばに背を向け洗面台に向かう。なにせ酷い顔らしいからな。念入りに洗ってやる。




「だそうですけど? 坊ちゃん秘密に出来ると思っているみたいですが、知らないふりで通すのですか?」


 村澤様が洗面台に消えたことを確認してから微かに聞き取れるような声量で何もない空間に話しかける。当然反応はない。


「全く、貴方の趣味には困らされますわ。くれぐれも女性の部屋には仕掛けないように。分かりましたか?」


 返事はない。


「返事は?」


 少々語気を強めると、ポケットに入れた携帯が代わりに返事をした。

 何度注意しても直らなかったのだ。今更矯正しようとするのも阿保らしい。今はまだバレていないがが、バレた際になんと言い訳をするのか。理由を聞かれた際になんと答えるのか今から楽しみだ。


「……最初からそのようになさい」

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