第63話 混乱の音楽祭 さらわれた皇女

「ヴィローラ様、アデライア様。見ないでください」


「ディアノーラ……何が起こっているの……?」


 皇族たちも一階の異常に際し、その場を離れようとはしていた。だが二階席の中でも一番奥まった場所にあり、思う様に身動きがとれない。


 流石に皇帝であるウィックリンはディザイアを伴ってどこかに移動したようだが、ディアノーラたちは二階席の入り口に視線を向けながら、まだその場を動けずにいた。


「一階から二階までは高さも十分あります。獣もさすがに上がってこれないでしょう。それより、この混乱に乗じて良からぬ事を企んでいる者もいるやもしれません」


 ジークリットとディアノーラは、ヴィローラとアデライア、それにフェリシアを壁際まで移動させると周囲を警戒し始める。


 そして一階の様子を見た時、にわかに信じられない光景が飛び込んできた。


「……え」


 そこでは一人の若い男が、獣に剣を振るっていた。剣の一撃は確実に獣に深手を負わせ、完全に食い止めている。


 そしてその男はあまりに動きが速く、ディアノーラの目を以てしても追いきれなかった。


「なんて……速さだ……」


 速さだけではない。その一振りは思わず目を惹くほど綺麗な太刀筋だった。男の持つ剣にも独特な反りが確認できる。


「ほぉんと。なぁに、アレ。ちょっと異常よね」


「!?」


 5人の女性しかいない場に、不意に男の声が響く。


 いつの間にか自分たちの側には一人の男性が立っていた。ジークリットとディアノーラは剣を抜く。


「何者だ!?」


「んふふ。みんな美人ねぇ。私、美人も可愛い子もだぁい好き! アデライアちゃんも想像していたよりも美少女で良かったわぁ!」


 奇妙な男だった。姿は見えているのに、あまり気配みたいなものを感じない。


 そして目。気のせいか、その右目の奥が僅かに光っている様に見える。だがアデライアの名を出した以上、気は抜けない。


「二度は問わん! 何者だ!」


「あらぁ。あなたも凛々しくていいわねぇ! ……ふぅん。ディアノーラ・アルフォースちゃんっていうのね」


「貴様!」


 ディアノーラは長剣を大きく振るう。だが大ぶりな一撃だったため、男は余裕で後ろに跳んで躱す。


 しかしそこを素早く側面に回っていたジークリットが突いた。初めからこの連携を狙っていたのだ。しかし。


「ざぁ~んねん!」

 

 男は身体をぐにゃりと捻る。不気味なほど細くなった身体は、ジークリットの剣では捉える事ができなかった。


「え!?」


「そぉ~れっ!」


 そして身体を元に戻す時の反動を利用し、ジークリットの喉元に手刀を食い込ませる。


「がはっ!?」


「もうひとつっと!」


 極至近距離まで身体を密着させ、両腕の手の平をジークリットの身体に添わせる。


 男が足の踏み込みと同時に両手を突き出すと、ジークリットは遠く離れた壁まで吹き飛ばされた。


「ジークリット!」


 ヴィローラの悲鳴が響く。だがジークリットは起き上がる気配がなかった。


「ジークリット・ヴィクマールちゃんね。安心して。私、あいつと違って可愛い子は殺さない主義だから」


 男は楽しそうに口を歪める。


「残りはぁ。ヴィローラちゃんにフェリシアちゃん、そしてディアノーラちゃんね! いい、いいわぁ! 滾ってきちゃう! で、も。用があるのはアデライアちゃんだけなのよねぇ」


 ディアノーラは静かに剣を構える。そして全身に力を集中させた。


 まだ自分の力の扱いに完全に慣れている訳ではない。だが今は自分の全身全霊を賭して立ち向かう時だと理解していた。


「んふ。覚悟を決めたって感じね。ディアノーラちゃんが覚悟を決める相手になれて、私嬉しいわぁ! だ・か・らぁ。特別に私の名を教えてアゲル」


「なに……」


「私の名はリアデイン。閃刺鉄鷲の七殺星が一人。要するにぃ」


 一階席から大きな音が轟く。ディアノーラは一瞬、その音に気が取られる。そしてその一瞬でリアデインは目の前におり、ディアノーラの腹部に手のひらをあてていた。


「世界最強の暗殺者よん」


 次の瞬間。腹部に大きな力が襲い掛かり、ジークリット同様に遠くまで吹き飛ばされる。完全に油断した体勢で攻撃を受けてしまい、剣も手放してしまった。


「がはぁ!?」


 ディアノーラはいろいろ信じられなかった。


 1秒にも満たない隙で間合いへの侵入を許した事。自分をここまで簡単に吹き飛ばした事。そして、身体能力を向上させていたのにも関わらず、相応のダメージを与えてきた事だ。


(なんだ……あいつは……! 強すぎる……!)


 地面に激突し、ゴロゴロと転がり続けてしまう。ようやく身体が止まったところで、倒れながらもアデライアたちの方に視線を向ける。すると丁度リアデインが、アデライアを肩に担いでいるところだった。


 しかもディアノーラに対し、ウィンクしながら軽く指を振ってくる。そして一階へと跳んだ。


「アデ……! ぐぅ……!」


 叫ぼうとして腹部に激痛が走る。だが再び全身に力を集中すると、自分の剣を拾うために全力で駆けだす。


 元の場所に戻った時、そこには倒れるヴィローラとフェリシアがいた。


「く……!」


 幸い二人とも気絶させられているだけで、命に別状はない。可愛い子は殺さないとかいう、リアデインの主義とやらだろうとディアノーラは考えた。


「ヴィローラ様、お許しを……! 今は、あの男を追います……!」


 ディアノーラは自分の剣を拾うと、自身も一階へ向けて二階から身を放り投げる。


 幸い身体能力が上手く強化されており、地に降り立つ衝撃にも問題なく対処できた。


「あの男、舞台裏の方に駆けて行った……!」


 急いで追いかけなければ。だが一階は獣たちの宴会場。新たに舞い降りた餌に対し、獣は反応を示した。


「く……! どくがいい! 急いでいるのだ!」


 強い焦りがディアノーラの中に生まれる。獣も見た目相応の体力と力を持っている事は見ていて分かっている。まともに相手するとなると、時間を取られるだろう。そう考えていた時だった。


「っらぁ!!」


 先ほどから獣相手に剣を振るっている男とは違う男が現れ、獣の顔面を殴りつける。


 どれほどの力で殴られたのか、獣は骨が砕かれた音を響かせながら、吹き飛んでいった。


「え……」





 じいさんが一階で暴れ始めた頃。俺は敵の狙いが何かを見極めるべく、周囲に気を配っていた。


 いつの間にか冥狼と名乗った奴らも姿を消しているのだ。警戒は怠れない。そして俺の目は、かなり離れた二階席に異常を捉えた。


「あれは……!?」


 男と騎士が戦っている。そして女の子を担ぐと、その男は一階へと飛び降り、そのまま舞台裏に去って行った。


「く……」


 どうするか。明らかにこの騒動の核心に近い出来事が起こった。だがうかつにこの場を離れていいものかの判断が難しい。


 そう思っていたところだった。エルヴァールが自派閥の貴族たちを振り切り、こちらに向かってくる。


「ヴェルト殿!」


 エルヴァールの表情には焦りの色が見て取れた。エルヴァールは舞台裏の方に向けて指をさす。


「今、舞台裏に去って行った男だが……!」


「ええ。誰かをさらった様に見えましたが……」


「あれは皇女の一人、アデライア様だ! ヴェルト殿、頼む! 彼女を助けてくれ!」


 俺は構わないと頷きを返す。


「しかし良いのですか? 私がここから離れると、一時的にせよあなたを守る者がいなくなります」


「構わない! 私は皇族に忠誠を誓ったゼルダンシア貴族だ! 自分の命の優先順位はよく考えてある!」


 ……つくづく大貴族っぽくない人だな。人が良いというかなんと言うか。だが好感が持てる。


「……分かりました。必ずお救いしてみせましょう」


 そう言うと俺は一階へと飛び降りる。見るといつぞやの女剣士も、皇女を追って舞台裏へと向かっていた。


 だが獣に行く手を阻まれている。俺は腕部に黒曜腕駆を発動させると、獣を強く殴りつけた。そのまま離れた場所で獣と戦うじいさんに向かって声を飛ばす。


「じいさん! 俺はさらわれた皇女様を追う! エルヴァールの護衛も頼む!」


「なんだとぉ!? ったく、しゃあねぇな! ここはまるっと俺に任せろ!」


 じいさんの返事を確認し、俺は舞台裏へと駆けだす。すぐ後ろには女剣士もついてきていた。


「お前は……確かディアノーラと言ったか」


「ヴェルト殿! 私は何が何でもアデライア様をお救いせねばならんのだ……! 足手まといにはならん、一緒させてくれ……!」


 こちらも相当焦っているな。さすがローガの血筋。今もそれなりに忠誠を捧げられているらしい。


「とんでもない。こちらこそ頼りにさせてもらう」


「…………!」


 しばらく走っていたが、俺はある床の上で足を止める。


「ヴェルト殿……!?」


「落ち着け。こういうのは追いかけ方ってもんがあるんだ」


 相手は人を担いだ状態で走っていた。地面を蹴る時、地には相当な重力がかかっていただろう。


 俺は床に残る僅かな痕跡を頼りに走ってきたが、ここで急にその痕跡が途絶えていた。軽く足で床を小突きながら、周囲の観察を行う。そして。


「ふんっ!」


 床を強く踏み砕く。すると地下へと続く空洞が姿を見せた。


「これは……!?」


「さてな。だが皇女さらいの下手人はこの先だ。明かりもついている。まず間違いないだろう」


 使われていない地下道であれば、明かりなどともしているはずがないからな。明かりは短い感覚でしっかりと灯されていた。


「これは追うのも楽そうだな。先を急ごう」


「ああ……!」

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