第57話 ヴェルトを訪ねる者 帝都に迫る影

「ヴェルトさん。面会を求めている方がおられるのですが……」


 ミュリアが部屋を訪ねてきたのは、ある晴れた日の事だった。俺は読んでいた書物「帝国近代戦史 英雄五選」を閉じると顔を上げる。


「俺に……? どこかの商会か貴族か?」


「いえ、それが。少女と2人の男性の3人組です」


「なんだそりゃ……」


 黒狼会と関係を持ちたがる者は増えたが、そのほとんどは事前にアポを取り付けてきていた。こうして飛び入りで訪ねてこられたのは久しぶりだ。


「何でも堕ちた騎士アルフリードの件で話があるとか。それとこれを見せて欲しいと言われました」


 そう言ってミュリアが取り出したのは、一つの仮面だった。見覚えがある。というか、暗殺者どもが身に付けていた仮面だ。


「……分かった。応接室に通してくれ。それと念のため、人払いを頼む」


「分かりました」


 閃刺鉄鷲の暗殺者のものと思わしき仮面に、アルフリードの名を出してくる3人組か。いくつか思い当たる節はあるが、果たしてその中に正解はあるのか。


「しかしこれを見せれば、アポなしでも俺が会う事を確信していたな。面白い話が聞けそうだが」


 俺は席を立つと簡単に服装を整え、応接室へと向かう。部屋の中には既に3人が座って待っていた。


「お待たせしました。俺が黒狼会の代表、ヴェルトです」


「あなたが……」


 真ん中に座る少女は俺を値踏みするかの様に全身に視線を這わせていた。2人の男はそこまであからさまではなかったが、同様に俺を試す様な目で見ている。


 奇妙な3人組だった。少女は10代半ば……リリアーナと同じくらいだろうか。2人の男は30代前半くらいに見える。


 だが真っ当な手合いではないな。匂いが俺たちと同じく、外道に身をやつす者だ。これまでも人を殺してきているだろう。


「私はフィアナ。こっちの二人はズルドとベイよ」


「ご丁寧にどうも。それで、どんなご用件で? あんなものを見せられた以上、こちらとしてもどっちなのか早く見極めたいんだが」


 今度は俺が試す様に視線を向ける。2人の男は僅かに姿勢が動いたが、フィアナは堂々としたものだった。


「へぇ? 念のため、どっちという意味を聞いてもいいかしら?」


「敵か味方かに決まってんだろ。見たところ、別に閃刺鉄鷲の暗殺者という訳でもなさそうだが」


「ええ。それは違うわ。ところでアルフリードを倒したのは最高幹部のロイだって話だけど。あなたもアルフリードを降せるだけの実力があるの?」


「さぁな。俺はアルフリードとは戦っていないからなぁ」


「なら聞き方を変えるわ。あなたはロイよりも強いの?」


 いまいち何が目的なのか探りづらいな。だがこちらの実力は把握しておきたい様だ。


「それも分からん。ロイとは別に本気で殺し合いをした事がある訳でもないからな。まぁ環境が嵌まればロイの方が強いし、俺の方が強い場合もあるんじゃないか」


 ロイの実力は魔法有りの場合、最高クラスだろう。対集団戦でもその実力を発揮できるし、1対1でも対応できる。


 だが魔法の存在を公にしていない以上、行動は著しく制限される。仮にそういうのを抜きにしても、俺の黒曜腕駆は対魔法戦でも十分な防御力を持っているのだが。


「……ズルド、ベイ。どう?」


 フィアナに問われた二人はゆっくりと口を開く。


「お嬢。正直に言います。こいつはやべぇです」


「はい。俺もさっきから背中の汗が止まりません。さすがアルフリードに加え、閃刺鉄鷲の刺客を皆殺しにしたロイが仕えている男だけはあります」


「……そ、そう」


 それほど殺気を滲ませた訳でもないのだが。どうやら2人は俺のおおよその実力を測っていたらしい。


 だがこうして対面しただけでそこまで測れるという事は、それだけ多くの修羅場をくぐってきたのだろう。


「まぁ良いわ。ズルドとベイがそう言うのなら確かなんでしょうし。……それじゃいいわね?」


「へい」


 3人の表情と身にまとう空気が変わり始める。ここからが本題なのだろう。


「改めて名乗らせてもらうわ。私はフィアナ。影狼の先代ボスの娘よ」


「俺はズルド。かつて影狼の実行部隊隊長を務めていた者だ」


「ベイだ。同じく、影狼において実行部隊の隊長を務めていた」


 ……そっちだったか。3人の正体について、いくつか予測は立てていた。その中の一つに影狼が接触してきたケースというものもあったが、可能性はやや低いくらいかと思っていた。


 それも下部組織を使うのではなく、直接この屋敷に乗り込んでくるとはな。


 だが納得いく部分もあった。2人の男は二大闇組織の一つに属する実行部隊の隊長だったという。確かに相応の実力が見て取れる。


 そしてそんな男を2人も従えて、直接俺を訪ねてきたのだ。要件は向こうからすれば、緊急性かつ重要性が高いものだろう。


「正直、今さらかという気分なんだが。俺に接触してくるのなら、もっと早いタイミングがあっただろう?」


「あなたが言いたい事は分かるわ。水迅断を乗っ取り、雷真弓を冥狼から奪い取った。そして明確に冥狼と敵対する立場を取ったのに、これまでどのタイミングでも影狼関連の組織は誰も接触してこなかった」


 そうだ。以前エルヴァールにも言ったが、今なら影狼からすれば、黒狼会と目的を共有する事ができる。


 例え一時的なものであったとしても、そして直接手を組まないにしても。互いにタイミングを計りながら冥狼の勢力を削ることは可能なのだ。


 上手くいけば二大闇派閥の均衡を崩す事もできる。そんな絶好の機会にも関わらず、影狼は今日まで接触してこなかった。


「そうだ。わざわざこんなタイミングで来られても、お前たちが本当に影狼なのか怪しいと考えるのが普通だ。そして本物だったとして、明らかに厄介ごとの匂いしかしねぇ」


「ぐ……。ふん、まぁ良いわ。確かにあなたの言う通りだもの。でも私は、あなたが欲しいものを与える事ができる」


「……欲しいもの?」


「冥狼の拠点。特定できていないんでしょう?」


 ……そうきたか。確かにそれは今欲しい情報だ。そして確かに、本物の影狼なら知っている可能性もある。


「知っているのか?」


「正確に言うと、以前の拠点ならね。冥狼も影狼も、拠点は点々と変えるのよ。でもその以前の拠点は、今も趣味の悪い地下闘技場として活用されている。幹部も出入りしているだろうし、聞いて損のない情報のはずよ」


 地下闘技場。ガーラッドが話していた情報だな。確かにそこもお目当ての場所の一つになる。理由はフィアナが話した通り、冥狼の幹部が出入りしている可能性があるからだ。


 それに商人や貴族もいくらか関係しているはず。上手くいけば、エルヴァールからの依頼……ハイラント家と冥狼の繋がりを示した証拠が掴めるかもしれない。


「そいつは魅力的だな。で、見返りに何を求めているんだ? 天下の影狼が、黒狼会という新参組織によ」


 厄介ごとの匂いは強いが、相応の見返りは期待できる。話を聞くまでは問題ないだろう。


「もうすぐ帝都にある男がやってくるの。アルフリードを倒せる実力を持つあなた達に、そいつを殺して欲しいのよ」


 妙な事を言う。だがもしかしたら影狼がこれまで積極的に動いていなかった理由と繋がっているのかもしれない。


「お前ら、影狼だろ? 殺してほしい奴がいるから他人に頼むってのはどういう訳だ? 自分たちでやりゃ済む話だろうが」


 どうしても他人に殺させたいのなら、そう仕向ける事もできるはずだ。なのにこうして直接俺に頼みにくるという手段を取った。


 その理由はなにか。直接頼むという選択肢以外が選べない状況なのか。


「あなたには全て話すわ。でも今から言う事は他言しないで」


「それは約束できない。少なくとも黒狼会は俺を含めて6人が中心の組織だ。俺1人だけでよそ様の事情を背負い込む事はない」


「……いいでしょう。なら6人の中だけで留めておいて」


 そこも内容次第だ。だが俺は声には出さず、軽く頷くにとどめた。


「影狼はね。もう存在していないのよ」


「……なんだと」


「今は何とか存在している風に見せかけられているけど。でも傘下の組織もいつまでも誤魔化せるものじゃない。いつかは気づかれるでしょうね。自分たちが所属していた影狼が、既に滅んでいるなんて」


 まさか二大闇組織の一角が、既に存在していなかったとは。


 しかし言われてみれば、今日までその姿を見せていなかった理由にも納得できる。フィアナは影狼の事情について話してくれた。


「影狼と冥狼は長く帝都の闇に巣くってきたわ。奇妙な話だけれど、互いに利益を守るため、変な共存関係にもあったの」


 基本的には敵同士のため、慣れ合う事はないだろうがな。互いに潰せるチャンスを窺いつつ、その影響力を利用してきたといったところだろうか。


「でもある日。影狼と冥狼にとある組織が接触してきたのよ」


「とある組織……?」


 俺が聞くと、3人はどこかよそよそしい様子で周囲に視線を移す。そして改めて誰もいない事を確認すると、フィアナは俺に顔を近づけ、小声でつぶやいた。


「秘密結社エル=グナーデ。いい? この名はうかつに外では出さないで」


 3人はかなり緊張していた。それだけ簡単に出せる名ではなかったのだろう。


 エルなんたらという名には覚えがあったため、気になる点はある。だが俺は黙ってフィアナに先を促した。


「謎の多い組織よ。幻魔歴からずっと存在するとも言われているわ。その組織は帝都で活動するにあたって、私たちに無条件に従う様に言ってきたの」


「二大組織を捕まえて顎で使おうってか。随分な奴らじゃねぇか」


「ええ。でも見返りもあったみたいなの」


 そう言うとフィアナは視線でズルドとベイに先を譲った。


「お嬢は当時、そこまで組織の仕事にどっぷり浸かっていた訳じゃねぇからな。ここは俺たちから話そう」


「結社は冥狼と影狼に謎の石を渡してきた。その石は、動物に食わせるとたちまち化け物に成長させるというイカれた石だった」


「……化け物?」


「ああ。原型がなくなるくらいのな。もっとも、ほとんどの動物は化け物になる前に死ぬし、化け物になった後も直ぐに死ぬんだがな」


 以前路地裏で戦った怪物の存在を思い出す。無関係とは思えない。


「だがその凶暴性と戦闘力は確かだった。ボスはこれがあれば、冥狼をぶっ潰せると考えたのさ」


「結社とボスの間で、どういう約定が交わされていたのかは分からん。しかしおそらくボスはその約定に触れる事をした」


「結果。影狼は結社より送り込まれた一人の男によって、潰されちまったのさ」


 話が飛躍し過ぎで途中から理解ができなくなった。俺は確認のために質問をする。


「まて、意味が分からん。約定の中身については分からないにせよ、何でたった一人の男に組織が潰される?」


「信じられねぇだろうがな。本当にたった一人の男を前に、俺たちは何もできなかったんだ。そいつは素手で影狼の戦闘員たちを全員叩き潰したんだ」


 2人は何とかフィアナを連れ出し、逃げ出したらしい。ボスから直接お守りを頼まれていたそうだ。


 だが息を殺しながら、その一部始終を見ていたとの事だった。


「男は笑いながら事を終えたよ。そしていきなり一人の少女が、その男の後ろから現れたんだ」


「少女は何か腕を振る様な動作を見せた。その瞬間、ボスのも含めた死体がいきなり燃えだしたんだ」


「俺たちはこれ以上はまずいと思ってな。火事のどさくさに紛れて、何とかお嬢を連れて拠点を脱出する事ができたんだ」


「だがここで影狼は戦闘員とボスが、死体すら残さず消える事となっちまった。拠点を知る者は少ないし、死体も残っていないから、誰も一夜にして影狼が滅んだなんて思わなかったんだ」


 なるほどな。もしかしたら冥狼は、その結社とやらから影狼が滅んだ事を聞いている可能性もあるが。


「おおよそは理解できたが。そうなると現在、冥狼はその結社とやらと組んでいる訳だ」


「ああ。結社がこの帝都で何をしようとしていたのか、詳しい事はボスしか知らない。だが分かっている事もある」


「結社は当時、2年の月日をかけて帝都で実験を行うと言っていた。2年後にもう一度帝都を訪ねるとも。そしてもう間もなく、その2年を迎える」


 それでもうすぐ帝都にある男が現れるって分かっていたのか。結社……おそらくは冥狼や影狼とは違い、大陸規模で活動する闇組織の類だろう。


 だが話に出て来た男と少女は気になる。結社の名前といい、どうしても魔法の存在と結びつけてしまいそうになる。


「で、結社が訪ねてきたら俺たちに影狼の仇を取って欲しいって訳か。まぁ冥狼と事を構えるのは決まっているからな。その背後にいる結社とぶつかる可能性はない訳でもないだろうが。しかし結社からすれば、冥狼よりも黒狼会の方が有用と判断すれば、今度はこちらに接触してくる可能性もある。そうなる前に話をつけたかったといったところか?」


「……そうよ。悔しいけど、私たちに結社の刺客を倒せる力はない。でもアルフリードと閃刺鉄鷲の暗殺者たちを1人で倒せる実力者がいる黒狼会なら。あの男にも対抗できると考えたの」


 予想通り、厄介ごとには変わりないな。冥狼との流れ次第では、黒狼会も結社と対峙する可能性はあるが。


 現状、判断できる材料が少ないのも事実。そしてその事実を無視してまで報酬が魅力的かと言えば、微妙なところだろう。


 仇を赤の他人に頼む事については、うるさく言うつもりはない。復讐代行なんて幻魔歴ではよくあった事だし、力のない者の中には代償を支払って自らの復讐を果たす者もいた。


 求める結果さえ手に入るのであれば、過程は気にしない質なんだろう。


 俺の表情をどう汲み取ったのか、フィアナは決意した様に口を開いた。


「もし仇をとってくれるのなら。現在まで保有している影狼の権利を黒狼会に譲るわ」


「……具体的には?」


「関連組織と商売の譲渡。まだ影狼が滅んでいる事は、裏組織の間には広まっていない。そのままそっくり黒狼会が影狼の影響力を引き継ぐ事は可能なはずよ」


 天秤が僅かに傾き始める。だがその条件には懸念もあった。


「結社と冥狼は繋がっているんだろう? 既に冥狼は影狼が存在しない事を把握している可能性がある」


「それなら冥狼はもっとあからさまに影狼の関連組織を取り込みにくるはずよ。今日までそれが無かったんだし、冥狼がその事を把握している可能性は低いわ」


「低いかもしれないが、ゼロではない。それにあえて影狼の影響力を残す事にメリットもある。それが分からない訳でもないだろう?」


 同格の敵対組織を作り上げる事で、自分たちの存在感や影響力をより浸透させようとする事は可能だ。特に商人や貴族には売り込みやすいだろう。


 しかも冥狼からすれば、確実に自分たちが勝つと分かっているのだ。多少無茶してでも、貴族と縁を結ぶ事も可能だろう。


「だが影狼の影響力が手にできるという条件は悪くない。内容次第では、幹部会で前向きに検討してもいい」


「内容……?」


「おそらく黒狼会と冥狼がぶつかる日は近い。勝つのは当然、黒狼会だ。その後、お前はボスの座を親から引き継いだと喧伝するんだ」


「え……」


「そして裏で黒狼会と五分の関係を結んだと関連組織に伝えろ。実際は五分といってもある程度、黒狼会の言い分を聞いてもらうがな」


「つまり……間接的に影狼を操ろうっての? 自分が直接手にするのではなく?」


「ああ。冥狼の影響力が少なくなれば、離反する組織や新たに影狼に組み込まれる奴らも出てくるだろ。中には黒狼会に入りたがる奴らもいるだろうが、生憎うちは真っ当な商会だ。だからといって、どうしようもない奴らを野放しにもできん」


 そういう奴らは影狼に組み込む様にして、そっちで面倒を見てもらう。影狼は従来通り闇組織に、黒狼会はあくまでグレーな商会としてやっていく。


 だが影狼の商売にはいろいろ制限を設けるつもりだ。


「臭いものは全部こっちに擦り付けようという訳ね」


「違うな。新たに作るゴミ箱に、臭いもんを放り込むだけの話だ。だがお前は影狼を復活させられるし、黒狼会は帝都の安寧に寄与できる。互いに悪くない条件だ」


 それに影狼の面倒は最低限見るつもりでもある。なんにせよフィアナの頼みに対し、こちらが特別譲歩する部分は少ない。だが互いに良い話ではある。


「もちろんこれらは冥狼と事を構えてからの話だ。結果如何で付き合いきれんと思ったら、途中で降りるのも有りだとも。その前に地下闘技場の話は聞かせてもらうが」


「……黒狼会のボスは生意気ね。あの群狼武風をルーツに持つ由緒正しい組織、影狼の名をこんな形で利用しようとするなんて。まぁいいわ。あなたの言う通りにするかはともかく、地下闘技場の場所は教えてあげる」


 こっちは本家本元の群狼武風だがな。しかしここで俺とフィアナたち影狼の残党との同盟が成立した。


 今は互いに対等な関係ではないが。新たに生まれる影狼の行動次第では、いろいろ変わってくる部分もあるだろう。

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