06.ずっとずっとあなたの隣で

 モルト伯爵の家に来てからずっと、わたしの前に用意されていた食事はひとりぶん。

 でも今日からは、ふたりで食事ができるんだ。


 いつもより早い時間に勝手に目が覚め、モニカさんを待てなくて急いで自分で身支度を終える。


 廊下を小走りで進んで食堂の扉を開けると、一番奥の席にはハルさんが座っていた。


「あっ、おはようございます」


 読んでいた書類らしきものをテーブルに置いて、ハルさんがわたしに笑顔を向けてくれる。


 屋敷の中では前髪を上げてほしいというお願いは聞いてもらえなかったけれど、今日からはハルさんと一緒に食事ができる。それだけのことがすごく嬉しい。


「あっ、申し訳ありません。遅くなりました」


 配膳に来てくれた使用人さんが、わたしたちを見て慌てたように頭を下げる。


「僕たちが早く来すぎただけなので、大丈夫ですよ」

「はい、いつもありがとうございます」

「とんでもございません。すぐにご用意いたします」


 席に座って食事の配膳を待っていると、ニコニコ顔のモニカさんが食堂にやってきた。


 あれ、今日は自分で身支度して食堂に行くって蝋板ろうばんに伝言を残してきたのに、どうしたんだろう。


 首をかしげてから、モニカさんが蝋板を持っていることに気がついて、あっと声を上げてしまった。


「何かありましたか?」


 何も知らないハルさんはきょとんとしている。でもわたしは、伝言なんか残すんじゃなかったと後悔の真っ最中だ。


「いえね、あまりに可愛らしかったものでつい。リッチェル様、これをハル様にお見せしても構いませんか?」

「いや、それは、その」

「何ですか? もしよければ見せてください」

「うう、どうぞ……」


 どうして持ってきちゃったの、モニカさん。


 いや、もとはといえば浮かれた伝言を残したわたしがいけないんだ。モニカさんが悪いわけじゃない。


 モニカさんが蝋板をハルさんに渡しているのが視界の端に映ったけれど、わたしはハルさんに視線を向けられない。


 ――ハルさんに早く会いたいので、自分で身支度をして先に出ます。


 そんな伝言を、どうして書いてしまったんだろう。

 早起きしたのでとでも書けばよかったのに、わたしのばか。


 熱くなった顔を両手でおおっていたら、とんとんと肩を叩かれた。


 わたしの隣に立っていた使用人さんは、ついと指で部屋の奥を示す。


 つられて視線を動かすと、蝋板に目を落としたまま赤くなっているハルさんが目に入った。


「あの、嬉しい……です」

「はい……」


 モニカさんと使用人さんが笑顔で顔を見合わせて、足早に食堂を出ていく。


 あとに残されたわたしたちは、ぎこちない会話を交わしながらも急いで食事をとった。


「では、ユルくんとソアラちゃんに会いに行きましょうか」

「はい」


 ハルさんの隣に並んで廊下を歩く。

 つい近くに寄りすぎたからか、不意に指先と指先が当たって体温が上がる。


 隣を見上げると、ハルさんは逆にわたしから顔を背けた。


 ハルさんの歩く動きが固くてぎこちない。

 でもわたしも、なぜだか急に自然な歩き方を忘れてしまったみたいだ。


「ハルさん、手を繋いでもいいですか……?」

「……はい」


 ちらっと手に視線を向けたら、わたしから繋ぎにいくより先にハルさんがわたしの手を握った。


 自分からお願いしたはずなのに急に恥ずかしくなって、わたしはぱっと視線をハルさんとは逆側に向ける。


 触れ合った手が熱くて、心臓も破裂しそうだ。


 ただ手の平を合わせて指を絡めるだけの行為に、どうしてこんなにもドキドキして、ふわふわして、幸せな気持ちになるんだろう。


 このままどこにでも行けそうで、でも同時にどこにも行きたくない。


 ずっとずっと、ハルさんの隣で笑っていられたらいい。


 胸の中で何かが跳ねて、踊って、遊んでいる。


 意味もなく好きだと言いたくなって、ちらりとハルさんを見上げると、同時にハルさんもわたしのほうを向いた。


 ちょっと恥ずかしいなと思いながら笑みをひろげると、ハルさんも照れくさそうに笑ってくれた。






(終)





***

 お読みいただきありがとうございました!

 本編はここまでですが、番外編を2本書きましたので、もしよろしければあと2話お付き合いいただけると嬉しいです。

 一本は本編の裏話、一本はハル視点の甘々で終わる後日談です。

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