03.亜人の兄妹(4)
ハルさんが領内で発注したハンモックが届いたのは三日後のことだった。
「ずいぶん早いですね」
「ちょっと無理を言ってしまいました。一つでいいから早くほしいって。作り方も手探りな中、頑張ってもらいました」
気弱なハルさんでも無理を通すことはあるんだなと、ひとつ新しい一面を知った気がする。
きっとわたしにハンモックについて説明してくれたときのように、職人さんたち相手にも熱心に語ったんだろうな。
ユルくんとソアラちゃんは、ハルさんがハンモックのフレームを部屋に運び込んだときはきょとんとしていた。
でもフレームに布を取り付け始めると、ふたりとも体を前に出してハルさんの組み立て作業に釘付けになる。
「ハンモック!」
まだ完成していないのに、ソアラちゃんがベッドから降りてハンモックに近づいていった。
ユルくんもソアラちゃんの隣に寄って、木製のフレームや厚手の布をあちこち眺めたり触ったりしている。
「エテルガーズ! アンエ?」
「ナン。エリガーズファルチ」
完成したハンモックにはユルくんが先に乗った。ユルくんは厚い布の上で膝をたたみ、丸くなる。
へえ。足を伸ばして横になるのかと思っていたのに、そういう寝方をするんだ。
いつも険しい顔をしているユルくんの口や目がへにゃっとゆるんだので、わたしもほっとした。
このハンモックがふたりの故郷の寝具とどのくらい近いのかわからないけれど、ユルくんの表情を見る限り、似たものではあるんだろう。
少しは安心してもらえたかな?
ちらっとハルさんを見上げると、ハルさんの口元も嬉しそうにゆるんでいる。
「ユル、エテルガーズ」
ユルくんに先を越されたせいか少し不服そうだったソアラちゃんも、ハンモックに乗って丸くなり、幸せそうに笑ってくれた。
ハルさんと顔を見合わせてにこにこしていたら、ソアラちゃんが身を起こしてわたしたちを見上げてくる。
「アルイッツ、ハル。エルリヴチェッタ、サグリッタティズ!」
言葉はやっぱりわからない。でもソアラちゃんの声は聞いたことがないくらい弾んでいたから、すごく喜んでくれたことだけは伝わってきた。
ありがとう、って言ってくれたのかな。
「聞きましたっ? 僕、ハルって呼んでもらえたの初めてです!」
ハルさんは両手を握って頬を紅潮させている。
ユルくんも小声で「アルイッツ、ハル」とお礼らしきことを言ったので、ハルさんの口元はゆるみきっていよいよ溶けそうに見えた。
よかった。
わたしは何もしていないけれど、目の前で三人が笑ってくれているのを見ていたら、あたたかな何かが心にじわりと広がった。
「もうひとつ作ってもらうから、そしたら部屋も移動しようね」
ハルさんの言葉に合わせて、わたしは
形が難しくてうまく描けなかったけれど、ユルくんもソアラちゃんも頷いてくれたから、きっと伝わったんだと思いたい。
◇
ハンモックを降ろして軽くなったであろう荷台をハルさんが押してくれて、ふたり並んで本邸に戻る。
にこにこしすぎたせいか、離れを出てもわたしの口の形はまだ通常モードに戻らない。
「ふたりが喜んでくれてよかったですね」
スキップしそうな気持ちを抑えてゆっくり歩きながら、ハルさんを見上げてみる。
でもハルさんは遠くを見ているようで、わたしの声に反応してくれなかった。
「ハルさん?」
「あ、ああ、すみません。安心したら、少しぼうっとしてしまいました」
「……寝不足じゃないですか? 昨日も遅くまでお仕事されてましたよね。何時に寝たんですか?」
「え、うーん」
ハルさんは片腕を上げて頭をかく。
モニカさんに聞いた話が気になって、この三日は毎晩書斎の様子を見に行っている。
といっても仕事の邪魔をしたくないから、書斎の戸を開けて廊下から声をかけるだけだけど。
わたしが書斎を覗きに行くのはいつも寝る少し前の時間なのに、いつもハルさんはまだ仕事をしている。
早く寝てくださいねと声はかけるし、ハルさんもはいと答えてくれるけれど、ハルさんが毎日何時に寝ているのかわたしは知らない。
「お忙しかったら、離れに食事を運ぶのはわたしに任せてくださってもいいんですよ?」
「ええっ、ふたりに会いに行くのが最近の僕の楽しみなんです。いくらリッチェル様のお言いつけでも、これだけは譲れませんよ」
力強く言い切ったハルさんを見たら、つい笑ってしまった。
好きでふたりの世話をしていることくらい知ってたって返しそうになったから。
「リッチェル様のおかげで、ふたりとずいぶん仲良くなれた気がします。ありがとうございます」
「亜人について調べたり、ハンモックを発注したり、頑張ったのはハルさんですよ」
「いいえ。僕なんてユルくんにずっと警戒されていたのに、リッチェル様はすぐ仲良くなられて、本当にすごいです」
真剣にほめてくれているハルさんを見ていたら、否定するのもなんだかなという気がして、わたしはただ「ありがとうございます」とお礼を言った。
「ハルさんは、ソアラちゃんにはあまり話しかけなかったんですか?」
「はい、あまり。小さな騎士さんが守っているお姫様に直接話しかけるのは、同じ男として気が引けるといいますか……」
ハルさんの言う男同士の感覚はよくわからない。
わたしは女同士だから、あまり気にしなかったな。
目を瞬いていたら、ハルさんが正面に顔を向けたまま言った。
「やっぱり、リッチェル様は可愛らしい方だから、ふたりも親しみやすさを感じるのでしょうか」
その言葉に、どきりと心臓が高鳴った。
可愛らしい方。
さらっとそんなふうに言われたことに驚いて。
横を歩くハルさんを見上げるとすごく平然としていて、聞き間違いなんじゃないか、と思う。
わたしの間違いだったら恥ずかしい。でも、もし、本当にそう思っていてくれるんだったら、すごく嬉しい。
「ハルさん、今、可愛いって言ってくださいました……?」
確かめたい衝動に抗えなくて、わたしは声を上げた。
でも顔が熱くてつい視線を下に向けてしまう。
「え?」
立ち止まったハルさんが振り返ったのが、ハルさんの足の動きでわかる。
無言の時間が流れ、その長さに逃げ出したくなった。
うるさいのは心臓だけ。
確かに地面に足をつけているはずなのに、わたしは本当は立ってなんかいないんじゃないかって、そんな気持ちになった。
ばか。
聞かなきゃよかった。
「――あっ。その、えっと……」
ハルさんの足先がピクリと動いたけれど、言葉の続きは聞こえてこない。
向かい合っているのに何も言えない。動くこともできない。そんな時間。どうしたらいいの。なんで確かめようなんて思っちゃったの。
だめだ、聞き間違いにしてごまかそう。
沈黙の長さに耐えかね、へらっと笑みを浮かべて顔を上げたら、真っ赤になった手で口を押さえたハルさんが目に入った。
大きくて細い手がわずかに震えている。
わたしとは入れ違いに顔を背けたハルさんは、また荷台を押して歩き始めた。
「わ、忘れてください……」
聞き逃しそうなほど細い声でそういったハルさんの後ろをついて歩く。
ハルさんは否定はしなかった。
じゃあ、わたしのことを可愛いと言ってくれたのは聞き間違いじゃない。
恥ずかしくて嬉しくて、そんなの忘れられそうにない。
でもできたら、わたしも今の質問は恥ずかしいから忘れてほしい……!
〝はい〟とも〝いいえ〟とも言えなくて、わたしはただハルさんの後ろを黙って歩いた。
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