【完結】実家の借金を返すために黒い噂のある伯爵家に嫁いだのに、優しく溺愛されています ~長い前髪の下はヘタレで可愛い人でした~
夏まつり🎆「私の推しは魔王パパ」3巻発売
01.買われた結婚(1)
結婚したその日に初夜はなかった。
まだ十七歳になったばかりの、まっさらで若い身体を求められたわけではないのなら、わたしはどうして買われたんだろう。
◇
「……はあ」
どんなにふわふわでも、慣れないベッドは寝心地が悪い。
たっぷり寝たはずなのに、体が重く感じる。
カーテンごしに差し込む朝日で目は覚めたけれど、まだ起き上がる気になれなかった。
昨日知ったばかりの見慣れない天井。
なじみのない家具、敷物。
落ちつかなくて、意味もなく何度も寝返りをうってしまう。
ため息をついてから目を閉じ、わたしは想像していたよりゆるやかに過ぎていった昨日に思いを
昨日、朝早くに嫁ぎ先のモルト伯爵家近くの教会で簡単な結婚式をあげてから、わたしの夫となった伯爵には一度も会っていない。
披露パーティーもなく屋敷に来て、メイド長のモニカさんにわたしの部屋やダイニング、バスルームなんかの主要な場所をひととおり案内してもらっただけだ。
あとは、広い屋敷にしては少ない使用人さんたちを紹介してもらったくらい。
モルト伯爵のご両親はもう他界されていて、兄弟もいないらしいから、他に挨拶する先もなし。
昨夜は使用人さんたちに身体を磨いてもらってドキドキしながら待ってみたけれど、夜がふけても誰かがわたしの部屋の戸をノックすることはなかった。
身体を求められなかったことには正直ほっとした。でも何をされても耐えようと覚悟を決めてきただけに、肩すかしをくらった気持ちにもなる。
わたしは子爵である両親がだまされて作った多額の借金をモルト伯爵に肩代わりしてもらうかわりに嫁いできた――つまり、伯爵に買われた身だ。
愛のある結婚をしたわけじゃない。
結婚式でだって、モルト伯爵はわたしと一度も目を合わせなかったし、言葉ひとつ交わさなかった。
誓いのキスも、彼の顔が近づいただけ。
彼の唇がわたしに触れることはなかった。
会ったこともない人から突然愛されることを期待したわけではないけれど――いや、嘘だ。少しだけ期待した。
わたしのことを想ってくれている人が、破産寸前のわたしの家を助けてくれたんじゃないかって。
結婚式で初めて会ったモルト伯爵は、彼の周りだけ静かな世界が切り取られたように思えるど美しい男性だっただけに、落胆がないと言えば嘘になる。
宝石みたいな翠色の目が印象的な人だった。
澄んだ瞳にちょっとドキドキしたのに、現実なんてこんなものだ。
(……わたしはどうして買われたんだろう?)
夜伽を求められているわけではないのなら、この家で女主人としての役割を果たせばいいんだろうか?
それとも――?
〝モルト伯爵は奴隷商人のお得意様〟
〝幼い奴隷を買っては手足を切り刻んでいる〟
モルト伯爵について何度も聞いたうわさを思い出し、ぶるっと体が震えた。
直後に響いたノックの音に、びっくりして肩を跳ね上げる。
「リッチェル様、おはようございます。入ってもよろしいでしょうか?」
「はっ、はい!」
扉を開けたのがモニカさんだということにほっと息を吐いて、ベッドから降りた。
「では、朝のお支度をさせていただきますね」
ふくよかな体をゆったりしたメイド服でおおったモニカさんは、このあたりでは珍しくない青い髪を頭の高い位置でまとめあげている。
年齢を聞いたわけではないけれど、見た感じわたしのお母様より年上だ。
堂々とした立ち振る舞いで、いかにもベテランって感じ。
モニカさんは慣れた手付きでてきぱきとわたしに普段着のドレスを着せてくれた。
わたしの長い金髪も、モニカさんが手早く結ってくれる。わたしの髪は細いせいか紐がすべり落ちやすいのに、すごく速い。
でも実家では節約のために使用人を減らして自分のことは自分でやっていたから、少し落ち着かないな。
でも慣れなくちゃ。伯爵家ではきっとこれが普通なんだ。
「締め付けがきつすぎるところや、逆にゆるすぎるところはございませんか?」
「大丈夫です。ありがとう」
そう返すと、モニカさんは満足そうに笑みを広げる。
「昨日も申し上げましたが、我々使用人に敬称や敬語を使っていただく必要はございませんよ」
「あ、はい……すみません、まだ慣れなくて」
「ああ、もちろんリッチェル様の好きにしていただいて結構ですよ」
コンコンとまた扉を叩く音。
ゆっくり開いた戸から顔をのぞかせたのは、ひとりの男の人だった。
「失礼します……」
鼻頭をおおうほど厚く長い前髪のせいで、顔がわからない。
男の人はひょろっと細長い体を丸めて所在なさげにしている。
昨日紹介してもらった使用人さんたちの中にはいなかったけど、誰だろう?
髪はすとんと下に流れ落ちるサラサラの青銀――モルト伯爵と同じ色だ。
でも使用人さんの半数近くが青髪だし、このあたりでは青と銀が混じる色も珍しくはないのかな?
「あの、モニカさん……彼女にはやっぱりモニカさんから説明を……」
風に溶けてしまいそうなほど細い声。
それを聞いたモニカさんは、眉を釣り上げて両手を自分の腰に当てた。
「何度でも申しあげますが、それはあなた様のお役目ですっ!」
「はいっすみません!」
びくりと肩を跳ね上げた男の人が廊下に引っ込んでいく。
モニカさんに怒られているということは、やっぱり使用人さんだよね?
少し待ってみたけれど男の人が戻ってこないので、扉から顔を出してみる。
廊下にいた男の人はびくっとして一歩後ろに下がった。
身長はわたしよりずっと高いのに、小動物――うさぎやリスをみたいな反応をする人だ。
おびえられないように笑ってお辞儀をしておこう。
「はじめまして、リッチェルです。モルト伯爵のところに嫁いできました。お世話になります」
「えっ、あ……はい、よろしくお願いします」
男の人が頭を下げると、カーテンのような長い前髪がゆらゆらと揺れる。
顔が気になったけれどやっぱり厚い髪の下を見ることはできなかった。
「ええと、あなたは?」
「〝ハル〟とお呼びください。僕は、その……この家で家令を務めています」
家令といえば、会計事務だけじゃなくて使用人たちの長として働く人のことだ。
こんな気弱そうな人が? 大丈夫なの?
浮かんだ疑問をどうにか飲み込んで、「そうですか。改めてよろしくお願いします、ハルさん」とだけ口にした。
「それで、さっきハルさんが仰っていた説明というのは何でしょうか?」
「あ……はい。その前にダイニングへどうぞ。朝食をお召し上がりいただく間にご説明します」
ふうと息を吐いたハルさんからは、さっきまでのおどおどとした空気が少しだけやわらいだ。笑顔の効果かな?
ハルさんが手で廊下の先を示したので、促されるまま歩き始める。
後ろから大きなため息が聞こえて振り返ると、腕組みをしたモニカさんが微妙な顔つきでハルさんを見ていた。
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