6 極北からの訪問者

 海音が公国の言葉を習い始めてから十日が経った。

「じゃあ、今日は帰っていいですよ」

 学校では宵月の言葉も知っている先生が、海音の読み書きと話し言葉両方の練習につきあってくれる。先生は熱心にあれこれと世話を焼いてくれて、経過は順調だ。

(惶牙はいじめられるかもって心配してくれたけど)

 海音はまだ机に向かっている、年上の子どもたちを見やる。

(言葉がわからないから話したこともないんだよね。ほっとしたような、残念なような)

「ありがとうございました」

 海音は一礼して荷物をまとめて肩にかけると、学校を後にする。

 太陽はまだ空高くにあった。いつもより少し早く終わっただろうか。

 地下水路が作られ、区画も整備されている公国は慣れてきたら歩きやすい街だった。区画には番号がふられていて看板も立っているから、数字を学んだ後なら迷うこともない。

(でも惶牙が細い路地には入るなって言ってたし、今日も外で待ってるだろうから。まっすぐ帰らなきゃ)

 いろいろと探検してみたいという思いはある。それでも海音は心配症の聖獣の言いつけを律儀に守って、まだ一度も寄り道をしたことがなかった。

 活気に溢れた噴水広場では、今日も商人たちの声で賑わっている。海音はそれを名残惜しそうにみつめながら横をすり抜け、関所を出た。

「惶牙、来てる?」

 惶牙は身を隠すのがうまく、関所から出てくる人々にみつかったこともないらしい。それでも海音が呼ぶとすぐに現れるのは、どんな所からでもマナトの声を聞きとれる聖獣の力のようだった。

「惶牙……いないの?」

 いつもなら声をかけるなり駆けてくる足音が聞こえるのに、森は静まり返っている。

 海音は首を傾げて街道からそれると、森の中に足を踏み入れた。

 昨日は雨が降っていたので地面は少し柔らかい。海音は木々の間をすり抜けるように歩いて行った。

 箱庭はシルヴェストルの意思によって公国の中に入口をつなぐこともできるらしいが、普段は人が立ち入らないように森の外れにつないである。海音はそこを目指して進んでいた。

 やがて木々の色が少し淡い、箱庭への入り口に近づく。そこで、海音は見慣れない光景を見た。

「離せ。マナトを迎えにいく時間が過ぎちまう」

 大木の下に惶牙がいた。ただそれだけではなかった。

「聞いてくれ、惶牙。今回はまたひどいんだ」

 そこに惶牙と同じほどの巨体を持つ、白い狼がいた。その狼は惶牙の毛皮に甘噛みしていて、若い男性の声で話している。

「だから後で聞くっての。俺は今忙しい……あ」

 惶牙が海音の姿に気づいて、白い狼を振り払って走ってくる。

「一人で来たのか。道わかったか?」

「もう十日も行き来してるんだから大丈夫だよ、惶牙」

「すまねぇ。明日からはちゃんと迎えに行く。ちょっと厄介な奴に捕まってたからな」

 金と緑のまだら模様の瞳で、惶牙は狼を睨みつける。

「お前が邪魔するから海音が危ない目に遭うところだったじゃねぇか」

「惶牙、危ない目なんて……あの、そちらは?」

 惶牙に睨まれてしゅんと首を竦めている狼に目を向けると、彼はきっちりと礼をして言った。

白夜びゃくやという。凍土とうどから来た」

「とうど……?」

 海音は言葉の意味がわからず首を傾げる。それに、惶牙が横から口を挟んだ。

「大陸の北の最果てにある、雪の解けないところ。白夜はそこの聖獣なんだ」

「聖獣の、白夜さん……初めまして、海音です」

「初めまして、公国のマナト」

 海音が頭を下げると、白夜もまた一礼する。ずいぶんと礼儀正しい聖獣だった。

「とりあえず箱庭に行きませんか? ここだと誰か来ることもあるし」

「主がお怒りにならないか?」

「お客様ですから。大丈夫だと思います」

 海音が促すと、白夜は起き上がって海音の後に続いた。

 それにしても見事な毛並みだと、海音は後ろを振り返りながら思う。

 海音は惶牙の柔らかな毛皮が好きだが、白夜の毛はそれより長い。雪深い地域にいるためか、色素も全体的に薄い。

「海音」

 月のような琥珀色の瞳を思わずじっとみつめると、惶牙が二人の間に入ってきて言った。

「好みなのか? 犬に毛が生えたような奴だぞ」

 何だか子どもが拗ねているような口調に、海音はぷっと吹き出す。

「きれいだなって思っただけだよ。身の起こし方も優雅だし」

「ノロいだけじゃねぇか。オスはもっと荒々しい方がいい」

「惶牙」

 海音は惶牙の毛並みを梳いて微笑む。

「惶牙は僕のお兄さんみたいなものだよ。代わりなんていないし、僕は惶牙の毛並みも動き方も大好きだな。かっこいいよ」

「そ、そうだよな」

 惶牙は途端に機嫌を良くして顔を上向ける。それを見て、白夜はぼそりと言った。

「惶牙はもう新しいマナトに骨抜き、と」

「何だと? てめぇに言われたかねぇな」

「惶牙、行こうよ」

 悪友みたいな仲らしいと海音は微笑ましく思いながら見ていた。

 まもなく海音たちは箱庭に入って、神殿の中で適当な部屋を探す。

「どこに案内したらいいと思う?」

 海音はまだこの中のほんの一部の部屋しか把握していない。惶牙に振り返って尋ねると、彼は少し困った様子で言った。

「あんまりここに客が来ることはないからな。言霊使いもめったに立ち入らないし、白夜も入ったのは初めてだ」

「そうなの?」

「まあ、ちょっとな。とにかく、いつもお前やシヴが使う部屋はやめといた方がいいだろう」

 惶牙が先に立って歩き出し、神殿の入り口近くの部屋に入った。

 そこは海音が今まで来た事のない三面が壁になっている部屋で、天井も少し低かった。それでもほこりは積もっておらず、中央には絨毯も敷かれている。

 惶牙が一番にそこに座ると、海音が促して白夜がその横に、海音は白夜の正面に腰を下ろした。

「あ、何かお出しした方がいいですよね。干し肉でよろしければ」

「いや、お構いなく」

 白夜はゆるりと首を横に振る。

「いいんだ、海音。聖獣は時々精霊に力を分けてもらえば体が保てる」

「そうなの? 惶牙は僕と一緒に食べてるけど」

「俺は、まあな」

 惶牙が目を逸らして頷くのを、白夜は横目で捉えて言う。

「ずいぶんと大切にされているようだ。公国のマナトは」

「はい。惶牙もシヴ様も、とてもよくしてくださいます」

「それはよかった」

 白夜は表情を柔和に綻ばせて頷く。

「公国の精霊様はなかなかマナトを持とうとなさらなかった。ようやく心を注げるマナトを見つけなさったのだな」

「そんな……僕」

 海音は穏やかな眼差しを向けてくる白夜から目を逸らす。

「どう恩返しをすればいいのかわからなくて。マナトの役割もまだ理解できてないんです」

「悩まれているのか?」

 はいと答えると惶牙に申し訳ない気がして、海音は沈黙を返す。

「精霊とマナトの関係は千差万別。精霊の数だけその関わり方が違う」

 白夜は立ち上がって海音の横にまで来ると、月の色の瞳でじっとみつめてくる。

「どれが正解でも、間違いでもない。まずはあなたが幸せでいられる関係を築きなさい。マナトが幸せでなければ、精霊は心穏やかでいられないのだから」

「そう……ですか。でも」

「幸せの形がおわかりにならない?」

 心を読むように言葉を続けてくる白夜に、海音はためらいがちに頷く。

「それはさすがに誰にも教えて差し上げることができないな。だが一つ気にかかることがある」

 海音が首を傾げると、白夜はトントン、と海音の肩を顎で叩く。

「不安だという顔をしていらっしゃる。その不安を、まずは口に出して主に話してみてはいかがかな?」

「……そうなのですか」

「えらそうなことを言ってしまったかな。まあ部外者がたまたまそう思っただけだ」

 ふと笑って、白夜は元の場所まで戻った。

 海音はうつむいて考えていたが、やがて顔を上げて白夜を見る。

「よろしければ、凍土のマナトの方の話をしていただけませんか? 僕、他のマナトの方にお会いしたことがなくて」

「げっ」

 惶牙が変な声を出す。海音は怪訝な目を向けた。

「どうしたの、惶牙」

「い、いや……こいつにマナトの話を振ると、その」

「マナトのことを? 喜んでお話しよう」

 白夜の声が突然明るくなったので、海音はぱっと白夜に振り向く。

「アルトは羽毛のように柔らかい金の髪と、月の色よりも優しい瞳を持つ、この世のものとは思えぬほど愛らしい子だ」

 詩でも吟じるように朗々とした声で告げるので、海音はぱちくりと目を瞬かせる。

「年は十三。とても照れ屋さんでな。私や主がアルトの姿を讃える度に我々を罵って飛び出していってしまう。寄るな触るなうっとうしいと。そのくせ私か主が添い寝しないと眠れない。どうしてあんなにかわいらしく育ってしまったのだろう」

 白夜の顔はもう情けないくらいデレデレと崩れている。先ほどまでは物静かな大人の男性に見えていたのに、何だか人……もとい獣が変わったようだ。

「今年の初めは新雪で動物を百個作るのだとはりきって風邪を引いてしまった。止めなかった私を真っ赤な顔で怒鳴って。その時の心温まる感情は今でも胸を熱くしてくれる。あの子はいつも」

「……白夜、その辺にしておけ」

 たまりかねて惶牙が口を挟んだ。じろりと、白夜は彼に不満げな目を向ける。

「まだアルトの紹介すら終わっておらんぞ」

「もうわかったって。つまりだな、海音」

 惶牙は苦笑して片方の口の端を上げる。

「聖獣に自国のマナトのことなんて訊くのはやめとけ。聞いてて恥ずかしくなるような自慢話しかしねぇから」

「……え、えと」

 海音がどう反応していいか困っていると、白夜がまじめくさった顔で言ってくる。

「何を言う、惶牙。お前だって」

「そういえば、何か話したいことがあるんじゃなかったか?」

 露骨に話を逸らした惶牙に白夜は何か言いかけたが、新しい話題の方をよほど話したかったのだろう。コホンと咳をして切り出した。

「主が、今後はアルトと添い寝することは許さないと命じられたのだ……」

 徐々に頭を垂れていきながら、白夜は続ける。

「せめて三日に一度でもと食い下がったのだが、それもならぬと。あの凍えるような地で、どうして独り寝が耐えられようか」

 嘆かわしげに首を振って、白夜は肩を落とす。

「傷心のためこんな暖かい所にまで来てしまった」

「数週間はかかるだろ。よくそんなくだらないことでここまで」

 呆れたように惶牙が言葉を挟む。

「くだらないとは何だ。主は一度言ったことはそう簡単に覆さない。今後一生アルトとの添い寝を独占なさる気だ」

 絨毯に鼻先をめりこませて落ち込む白夜に、惶牙はそっけなく言う。

「寒いならメスとでも寝りゃいいじゃねぇか。あの辺じゃお前より強いオスはいねぇだろ」

「寒さとは心の問題だ。それに、アルトという相手がいながらメスと寝るなど、裏切りも同然。できるわけがなかろう」

「そっか。そりゃ結構なことだ」

 顔をあらぬ方に向けた惶牙に、白夜は意地悪く告げる。

「考えてもみろ。お前が今後一切海音殿と添い寝できないと言われた日を」

 惶牙の耳がぴくりと立って動いた。

「しかも自分以外のオスと寝るからさよならだと告げられたら?」

 惶牙は横目で白夜を見る。

「……やな想像させるんじゃねぇよ」

「いずれ現実になる。海音殿はきっと美しく成長なさるだろう」

 ま、私のアルトが一番美しいが。白夜は悪びれずに付け加える。

「あのう……」

 海音は恐る恐る言葉を挟む。

「何かな」

「白夜さんと凍土の精霊様は、マナトをめぐって喧嘩していらっしゃるのですか?」

「ああ」

 白夜はあっさり肯定して笑う。

「だが私は主を敬愛しているし、主も私に目をかけてくださっているのはわかる」

「そう、なのですか」

「惶牙も同じだ。シルヴェストル様を敬愛し、信頼している。そうだろう?」

「気色悪いことを言うんじゃねぇよ」

 そう言いながらも惶牙は否定することはしなかった。

「そうそう。海音殿がマナトになられたお祝いに、アルトから海音殿に贈り物があるのだ」

「えと、僕にですか?」

「この包みだ。開けてみてくれ」

 見ると、白夜の背中に皮袋がつりさげてあった。海音はそれを外すのを手伝って、慎重に中の物を取り出す。

「きれいな弓……」

 それは木を削って出来た弓だった。この辺りでは見かけない白い木の素材を使っていて、邪魔にならない程度に花の彫り模様が浮かび上がっていた。

「少し小さめですね」

「マナトはまだ幼いという話を聞いたのでな。元々はアルトが使うつもりだったのだが、小さく作り直したのだ」

 持ち手はなめし皮で覆って滑らないようになっているし、けば立った木屑で怪我をしないように表面がきれいに整えられている。

 作り手の心づかいが隅々まで表れている弓に、海音は目が離せなかった。

「「どうせ精霊や聖獣は何もやらせてくれなくて苛立ってるだろう」と言っていたな」

「それは……」

 凍土のマナトも過保護にされていて困っているのだろうか。海音はそれを頭の隅で思ったが、さすがに聖獣二頭の前では口にすることができなかった。

「僕にはもったいないくらい立派な贈り物です。本当に頂いていいのですか?」

「もちろん。気に入ってくださるとアルトも喜ぶ」

「あ、ありがとうございます」

 海音は弓を胸に抱いて深く頭を下げた。

 ふと頭にある考えがよぎって、海音は素早く立ち上がる。

「僕も何かお返しがしたいです。少し市場に行ってきていいですか?」

「アルトに? それはありがたい。あの子にはマナトの友人がいないんだ」

 海音はシルヴェストルにもらった小遣い袋を腰に下げる。

(無駄遣いはしないって決めていたけど。こういう使い方なら許してくださるよね)

「俺も行こう」

「いいよ、惶牙は白夜さんの相手をしてて。友達同士、積る話もあるでしょ?」

 海音の言葉に、惶牙はごにょごにょと言葉を濁す。

「友達って……そんなもんじゃねぇよ」

「じゃあね。すぐ戻ってくるから」

 手を振って海音は箱庭を後にする。

 太陽はもうだいぶ地平線に近くなっていたが、市場はまだ賑わいを失っていなかった。海音は小遣い袋を握りしめて、露店をあちこち見て回る。

 広場の中央近くまで来た時、海音は露店の店頭に出ていたものに目を留める。

「すみません。これ、いくらですか?」

 習いたての公用語で尋ねると、早口で答えが返ってくる。海音はそれが聞き取れなくて困った。

(たぶん……これくらいかな)

「これで足りますか?」

 銅貨を十個ほど手の平に並べて差し出すと、ひげをたくわえた店主は一瞥して海音の顔を見る。

「その年で恋人にでもやるつもりかい?」

 にやりと笑って言われた言葉はやはりわからず、海音は首を傾げた。

「だ、れ、に、やるんだい?」

 店主はそこが訊きたいらしく、言葉を区切ってもう一度尋ねてくる。今度は少し聞き取れたので、海音ははにかんで答えた。

「えと、友達。はじめて、ともだちに」

「そうかぁ。きっとかわいい友達なんだろうなぁ」

 どうしても恋人にやることにしたいらしい。店主はにやけ顔のままで海音の手の平の銅貨をむんずと掴んで回収すると、目的の物にリボンを巻き始める。

「あ、あの。一つでいいんですが」

 店主が二つ目にもリボンを巻き始めたのを見て、海音は指を立てて言葉を挟む。

「いいって、サービスだ。こっちは坊ちゃんの分」

 海音の絹のような黒髪を見ながら、店主は訳知り顔で頷いた。

(弓に比べるとずいぶん安いかもしれないけど、あまりシヴ様のお金を勝手に使うわけにもいかないし)

 海音は袋に目的の品を詰めると、飛ぶように森へと駆け戻る。

 白夜はまだ箱庭の同じ部屋にいた。惶牙も一緒にいる。

「……海音」

 しかし出ていく前と違っていたのは、シルヴェストルがその場に鎮座していたことだ。

「シヴ様、おかえりなさい」

 海音はぺこりと頭を下げて白夜の隣に座る。すると、シルヴェストルは目を細めて鋭く告げた。

「お前はこっちだ」

「え、あ、はい」

 海音は言われるままにシルヴェストルの隣に座る。

(えと。こっちだと、贈り物が渡せないんだけどな)

 シルヴェストルの顔色をうかがったところ、どうやら不機嫌らしいということがわかる。無表情が常であるこの精霊の感情ははかりにくいが、体を取り巻く燐光がぴりぴりしている時は機嫌が悪いのだ。

「何をしていた」

「あの、凍土のアルトさんにお返しのための物を買いに」

 シルヴェストルはそれを聞くと、眉を寄せながら口をつぐむ。

「あの、お小遣いはなるべく無駄遣いしないようにします。今回は頂き物があったので、それにお返しをしなければと思っただけで」

「悪いとは言っておらんだろう。それで、何を買ってきたのだ」

 寝そべっている惶牙がくっくっと喉の奥で笑う。海音は首を傾げながら包みの中身を取り出した。

「髪を梳かすためのくしを……公国の細工物は他国にも評判がいいらしいので」

「おお。それはアルトにぴったりだ」

 白夜が感激したように声を上げる。

「あの子は無精だからあまり自分の容姿に構わないが、あの髪はぜひ手入れをさせたいと前々から思っていたのだ」

「月色の美しい御髪をお持ちだと聞いたので……」

「そうとも。気を遣って頂いて感謝する」

「いえ、こちらこそ立派なものを頂いて」

 ぺこぺこと頭を下げ合う海音と白夜を、シルヴェストルはどこか面白くなさそうに見下ろしている。

「そのうちぜひ凍土にもいらしてくれ。アルトは客が来るとはしゃぐ」

「ありがとうございます。きっと伺います」

「……海音。お前の立場を忘れたか」

 冷やかに言葉を挟んだのはシルヴェストルだった。海音が慌てて振り向くと、精霊は宝石のような碧の双眸で海音を睨むように見る。

「マナトは精霊の許可なく国を出てはならない。一度マナトとなったからには余程のことがない限り一生を国の中で過ごすのだ。わかったか」

「……はい」

 海音が小声で返事をすると、シルヴェストルはますます気に入らなさそうに付け加える。

「それに、男に贈り物をするとは何事だ」

「男……え、男性?」

 海音は思わず白夜を見る。

「アルトさん、男性だったのですか?」

「そうだが。言ってなかったか?」

「美しい方とお聞きしたので、てっきり……」

 白夜の話しぶりからすっかり女性と思い込んでいた海音だった。

「そう当たるな、シヴ。前は自分以外への贈り物くらいでピリピリしなかっただろうが」

「前の話はするなと言っただろう」

 シルヴェストルの目が射るような激しさを帯びたのを見て、惶牙は首を竦める。

(前のマナトの方を、きっと大事になさっていたんだろうな)

 海音は黙ってしまったシルヴェストルを仰ぎ見ながら思った。

(僕がその代わりに、なんて考えるのは……前のマナトの方に失礼だよね)

 羨望と自分では無理だという諦めに、海音は目を逸らす。

「それでは、そろそろお暇しよう」

「え、もうお帰りになるのですか?」

 白夜が体を起こすので、海音は慌てて腰を浮かせる。

「いつまでも傷心旅行を続けるわけにもいかないのでな。添い寝の件は、どの道私も譲る気がないのだからまた交渉してみなければならんし」

「そ、そうですか」

「仕事を片付ける必要もある」

 白夜はちらりと惶牙を見る。惶牙は顔を引き締めて立ち上がった。

「出たのか」

「助力を頼めるか?」

「誰に訊いてる」

 二頭の交わし合う視線は緊張に満ちていた。海音は事情が読めなくてシルヴェストルの横顔を窺う。

「魔獣が街道沿いに出たらしい。魔獣を狩るのは聖獣と御遣いの仕事」

「御遣い……グロリアさんとゼノンさんもそうだった」

「彼らは人間だが、精霊の加護を受けて、魔獣を狩ることができる」

 シルヴェストルは海音の方を見ないままに淡々と言う。

「今この近辺に御遣いはいない。ゆえに討伐を命じる、惶牙」

「了解」

 惶牙は珍しく一礼してみせた。

「俺が留守の間、海音と喧嘩すんなよ、シヴ」

 顔を上げた後の言葉はいつも通りの砕けた調子だったが、海音は不安になって言葉を挟む。

「危ないことなの?」

「大丈夫だ。たいていの魔獣は俺達聖獣よりちっこい」

 惶牙は少し笑って海音の頬をなめる。

「十日もしたら戻る。風邪ひかないように、しっかり肩まで毛布被って寝るんだぞ。……あと、シヴを頼む」

 海音はやっと少しだけ笑った。惶牙はそんな海音の頬をもう一度舐めて、飯もしっかり食うんだぞと付け加えた。

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