第2話 一期一会
千野与四子は悩んでいた。
就職先の内定式で知り合い、今就職前の親睦を深める飲み会で話しただけの同期、
百野利休に、突然お茶に誘われたからだ。
「千野さん、こここ、今度、お茶しに行きませんか?」
「お茶……ですか?」
そう応えつつ頭の中が目まぐるしく動く。
「ちょっとお茶していかない?」
そう言いつつも、なぜか近くのスタバに入ってコーヒーを飲む人は後を絶たない。そのたびに、我ながら細かいとは思いながらも、「お茶……とは」というはてなマークが浮かんでしまう。
気持ちはわかるのだ。「コーヒーを飲む」というよりも「お茶をする」のほうが、よりカジュアルに誘いやすい。敢えて飲みに行くコーヒーは少し特別で、敷居が高く感じる。選びぬかれたこだわりの豆に雰囲気のいいインテリア。そして上品なマスターが丁寧に淹れたこだわりの一杯……。なんだか背伸びをして頑張って感想を言わなくてはいけないような雰囲気すら漂う。
でも「お茶」は違う。一般的には、肩肘張らず、少し気軽にカフェや喫茶店にでも入ってお話しましょうくらいの意味だ。その意味では、「お茶しよう」と言いながらスタバでコーヒーを飲んでお話するのも全く間違いではない。
でも。与四子にとっては「お茶」は特別な意味を持つ。与四子の祖母は吉祥寺で裏千家の茶道師範をしている。子供の頃から茶道に親しみ、お茶は身近で、特別で、だからこそほろ苦い想い出も伴うもの。私だけの些細なこだわりではあるけれど、この言葉を大切に扱いたいのだ。
今声をかけてくれた百野利休さんは、きっと悪い人ではない。飲み会でも優しく話しかけてくれた。普通、茶道を嗜んでいる話をすると、育ちがよく従順な女の子という理想像を重ねられてしまうことが多く、一方的に自分の話を聞かされてしまう。でも百野さんは、私が何に関心があるのか、丁寧に尋ねてくれた。どんな意味で誘ってくれているのか、聞いてみようか。本当のところは、相手に聞いてみないと分からない。
「あの、百野……さん、ですよね?お茶って、どこに行くんでしょう?」
「はっ!はいっ!いい質問ですね。S区の羽根木公園で今梅まつりやってるでしょう。そこで休日にお抹茶の野点をやってるっていうからさ、千野さんにお茶の飲み方を教えてもらいたいな〜って思って。どうかな。」
まさかの、抹茶。それも、野点。
誰に押し付ける訳でもない、自分だけがそっと心に秘めている些細なこだわりを理解してくれる人が現れた時、人は恋に落ちるのかもしれない。
「野点ですか。それなら、ぜひ。梅の花も楽しめて、丁度いい季節ですよね。」
「やったー!やったやったやった。じゃあぜひ行きましょう!」
まるで一期一会。
茶道の創始者、千利休は、茶会の準備の心構えとして
「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏ベシ」
という言葉を残したという。
この「お茶」をするたった一度の機会に、おもてなしの心で私の好きなものを考えてくれたのかな。
そう思うと、なんだか与四子の方もその気持ちに応えてみたい気がするのだった。
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