ロイコクロリディウム 2
星都ハナス
第1話 消えたクリームパン
ここに来たらロイ子に会える。いや、ルイに会わなくちゃいけない。薫風の中、陽の光を感じながら、ルイの事を思い出す。
『ロイコクロリディウム』の本の上に、僕はクリームパンを一つ置いて手を合わせた。今日はルイの命日だから、君に会えるような気がした。
ルイ、ずっと誰にも言えなかった。今、やっと言える。
──僕もルイの事が好きだ。
僕は今まで誰にも言えなかった十年分の思いを吐露し、ルイに告白をしたら、少しだけ笑う事ができた。屋上で感じる風が僕の心に優しく寄り添ってくれる。
僕はルイのおかげで作家になるという夢を果たした。僕とルイの青春時代を綴った小説『ロイコクロリディウム』で新人賞を貰った。
ロイコクロリディウム。鳥が出した糞の中に生息し、それを食べたカタツムリを中間宿主として体内に入る。成長するとカタツムリの角に侵入して脳を操る。カタツムリは昼間、
鳥に見つけられやすいように、角に入ったロイコクロリディウムはそこで派手に動く。鳥に食べられたカタツムリは死ぬが、ロイコクロリディウムは生きて鳥の直腸に棲みつく。鳥を最終宿主として子孫を殖やす。
ルイは世間からロイコクロリディウムのようだとレッテルを貼られ、絶望していたんだと思う。僕はカタツムリのようだと希望を捨てた。でも僕たちは懸命に生きた。その証をこの本に残した。ぼくはそれで満足している。
「マナト君、今日は本当にありがとう」
僕はすぐに涙を拭いて声のする方を振り返る。梅林先生だった。梅林先生は僕の中学校時代の恩師で、ヤングケアラーだった僕とルイの相談にのってくれた。今は母校の校長先生だ。僕は同じヤングケアラーにエールを送るため、講演に呼ばれた。
「先生、こちらこそどうもありがとうございました。ルイにも会いました」
「それは良かったです。ルイ君も喜んでいる事でしょう。忙しいのは分かっていますが、今から校長室に来てくれませんか? 君に話しておきたい事があるんです」
僕はそうですかとだけ答えて、ルイに見せた本を鞄にしまった。何か違和感がある。僕が鞄に入れて持参したのは本だけではなかったような気がする。
「どうかしましたか?」
「パンが、パンがないんです!」
「ほぉ、パンですか?」
「はい、ルイと一緒に食べた事があるクリームパンです。僕は今日、あのパンをルイに供えるために持ってきたんです。さっきまでここに。あれ、何で」
僕の他に誰もいないはずだ。だって僕は鍵を開けてここに来た。ルイがあんな事になってから屋上は生徒出入り禁止になったと聞いている。
「どこかに落ちていませんか? 鳥が持って行った事も考えられます」
「それはありません。そんな音も聞いてません。それにあのパンはクリーム多めで普通のクリームパンより重いんです。鳥だったとしても落とすはずです」
おかしいな? 僕は当たりを見回した。四方を白いフェンスで囲われ、よく見渡せる普通の屋上だ。
「どんなパンですか?」
「え、だから、三つで百九十八円のクリームパンです。昨日、ヒカリスーパーで安売りしていて、普段は一個百二十円ですよ! めちゃくちゃ安かったからもっと欲しかったんですが、お一人さま三つまでで、悔しい思いをしました」
僕は興奮して早口で言った。梅林先生もそれは安いねと頷いてくれたが、僕は納得がいかない。講演後のご褒美に買ったクリームパンだ。楽しみにしていた。
「マナト君、今はお金持ってるでしょう。もっと美味しい物買えるでしょ?」
「ダメです! あの昔ながらのクリームパンが好きなんです。ルイもクリームの多さに驚いて指についたの舐めてました。少しずつちぎって食べるからって言っても聞かなくて。僕のクリームパン、どこだ?」
僕は諦めきれなくて鞄を逆さにして振った。ない、無い。無いじゃないか!
「マナト君、落ち着いて。おっ、お腹が空いてるんですね。よかったら一緒に給食を校長室で……え、わ、私じゃありません。私はあんぱんの方が好きなので」
僕の先生を疑う殺気だった目に梅林先生が怯えている。
「マナト君、いいですか、落ち着いて聞いてください。今日の給食メニューはソフト麺のミートソースです。私も楽しみに学校に来ました。しかも、いいですか! 揚げパンもついてます。最高じゃないですか」
「揚げパン? クリームパン好きの僕にとったら邪道です」
僕は少し正気を取り戻し、声を低くしてゆっくり言った。梅林先生は僕を宥めるように励ますように、僕の肩に手を置く。このスタイルは昔から変わらないんだ。先生の頭はすっかり白いものが混じったが、変わらない優しい笑顔だ。
「さらに揚げパンにきな粉かかってますから、元気を出してください」
きっ、きな粉。まったりクリームを求める僕の脳に、むせるだけのきな粉のワードを平気で言う梅林先生に殺意がわく。もう僕は平常心じゃいられない。
僕の、僕のクリームパンどこ行ったー! 取った奴出てこーい!
「その問題、私が解決致しましょう」
叫び、喚く僕の目に、緑色のジャージを着た小さいオジさんが現れた。
「私はスモールG商事に勤務するサトルと申します。小さいオジさん族の中でも頭がキレる男と言われております。医師免許、弁護士資格も持っています。どうぞお見知りおきを」
サトルと名乗る小さいオジさんは、スモールG探偵事務所と書かれた名刺を差し出した。
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