アルコール度数100度 エチルアルコール(エタノール)C2H5OH。

 だが、世界は私をのがしてはくれなかった。

 警察が来た。

 職場にではなく、今度は家に。

 虫が喋るような奇妙な声がぼしょぼしょ聞こえる。

 翌日の遅い午前、雨は上がっていたが、今にも再び降り出しそうな極悪曇天。

 私は二日酔いと喉の乾きの中でもがくようにして起きた。

 口の中が砂場のようだ。

 焼酎のアルコールが体内の水分を抹殺していた。

 肝臓内のALDHアルデヒドデヒドロゲナーゼは酢酸へ変化中。

 私はリビングのソファで寝てしまったらしい。

 玄関で誰かが喋っている。

 私は耳を疑った、夫の声だ。

 昼行灯ひるあんどんの夫、大牟田淳おおむたあつしが玄関で来訪者を応対している。

 壁越しにゴニョゴニョ聞こえる声に私は驚愕した。

 

 警察だ。


「奥さんの佳苗さんが働かれているスーパーで大量の血痕が見つかりましてね、、、、、」

「はぁ、、、、、血と言いますと喧嘩か暴行ですかね」

「現在のところ、捜査中で一切わかりません、、、」

「はぁ、、、、、」


 私は忍者のように壁に張り付き見えない刑事を想像しつつ必死に会話を聞き取ろうとした。


「奥さんが事件に巻き込まれた可能性もあるんじゃないか、と県警の方ではみてまして、奥様は先日何時頃お帰りになりましたか、、」

「はぁ、いつもの午後6時前ぐらいかな。スーパーの売れ残りの惣菜を持って帰ってくれるんですよ、へ、へへへへ」

「なるほど」


 嘘だ。


 遺体をバラバラに処理し大雨の中スマホを処理し、半狂乱でいろいろやっていたので正確にはわからないが帰宅したのは今日の午前1時過ぎだろう。

 その後のアルコール摂取が事態と記憶を余計にややこしくしていた。


「奥さんの靴を確認させてもらっていいですか?」


 私は凍りついた。

 バケツで死ぬほど洗った記憶がぼんやりあるが、洗った後玄関に放り投げたような気がする。


「それかな、たぶん」


 私は完全に凍りついた。

 人がしゃがみ込むような音。靴が持ち上げられたり置かれたりする音が小さく聞こえる。

 私は耳を壁につけたままズルズルとしゃがみ込んだ。

 終わった。


「血でも着いとるんですかなぁ?」


 と夫にしては珍しく厳しめの押しの強い明瞭な声。


「いやいや、奥さんが昨夜遅番のシフトだったというので確かめさせて貰っただけでして、、他意はありません」

「はぁ」

「それではご協力ありがとうございました。今後なにか奥さんが話されたら警察に御一報ください。では」

「はぁ」


 二人程度の大人が玄関から出ていくような音、続いて扉が閉まる音。

 車のドアの締まる音、そして発進の音。

 急にリビングと玄関の間仕切りの扉が開いた。

 そこにはいつもの冴えない夫の顔。


「もう起きとったのか。そんなところでなにをしとるんじゃ」


 私は只々夫を見つめていた。


「あのピンクのスニーカーだったら、今朝の可燃ゴミで出したから」


 私は憑き物でも落ちたような表情となった。


「夫婦に隠し事は無理だって」


 私の瞳には涙が溢れていた。

 涙のせいで夫が30年前の付き合い出した頃の照れくさそうに前髪を伸ばした大学生に見える。


 あの頃はすべてが良かった。

 夫はかっこよくシルビアで私を迎えに来たし、

 私は十二分に美しく乳首は上を向いていた、

 プラザ合意もなかったし、

 三菱地所はロックフェラー・ビルを買収したし

 アクセル・ローズはシャナナナナーニって歌ってたし、

 マイケル・ジャクソンもまだ整形してなかったし、

 オルタナティブもグランジもなかったし、

 なによりバブルだったし、これが一番大きい。

 

 私は夫に抱きつくとわんわんと泣き崩れた。


「ちゃんと手筈があるんだろ」


 手筈はいつでも変更が効く、あくまでも予定なのだから。

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