キミとボクの偽愛(しあわせ)

蝶 季那琥

本当の気持ち

 本当は気付いていた。でも、それを認めたらこの偽愛しあわせは壊れてしまう。認めずにここまで来たのは、もはや意地。

 ボクもキミも、本当の気持ちを隠して結婚はしたが、仲睦まじい夫婦だった。

 '愛’ではなく'情’の深い家族。ボクはそれで満足だと自分に言い聞かせ続ける。

 本当は満足など出来るはずはなかったが、キミに気付かれる訳にはいかない。

 キミが愛したのはボクの兄さんで、視線の先には兄さんの姿が必ずあった。

 それに気づいたのはいつだったか。キミの恋する相手が兄さんであることが、自然と受け入れられていた、はずなのに。

「タカくん」

 兄さんを呼ぶ声音に絶望して、遅れて気付いたのは、自分の恋心。

「綾香は兄さんが好きなんでしょ?」

 デリカシーのない質問に、自らを傷付ける。

「え、なんで?」

 綾香の驚いた顔に、精一杯の引き攣る笑みを貼り付け、

「見てれば分かるよ。告白とかしないの?」

 自ら更に深い傷を刻む。

「私はね、付き合いたいなんて烏滸がましいこと考えられないんだ。幼馴染特権で近くにいたい」

 ボクから見たら、二人は相思相愛で、悔しいけどお似合いで。ボクの入り込める余地なんて皆無なのに。

 キミが兄さんに告白しないなら、ボクもキミに告白をせず、傍にいる事を選ぶ。

 それは、ただ傷付くだけでも、ボクらはそこを離れる選択が出来なかった。

悠人ゆうとちょっといいか?」

 大学に通い始め、時間が合わなくなった兄さんがボクに声をかける。

「珍しいね、どうしたの?」

 顔をあげれば、お茶のペットボトルを渡され、兄さんはノートを覗き込む。

「うわぁ、懐かしい…」

 数字の羅列に、少しだけ渋い顔をしてから笑う。

「絶対大人になっても使わない数式」

「答えの有無がよく分からない現国より好きだけど」

 たわいのない会話がしばらく続く。

「兄さん、どうしたの?」

 様子に異変を感じ、こちらからきっかけを与える。

「…明日、友達が来るから綾香ちゃんに来ないように伝えてくれ」

「兄さんも綾香の連絡先知ってるのに?それに友達なら別に」

「彼女来るんだ」

 男女の幼馴染は、何故か目の敵にされる。綾香は兄さんの彼女に泣かされる事が度々あり、彼女それと遭遇しないように配慮しているらしい。

「…綾香ちゃん可愛いし、やっかまれるのも可哀想だろ」

「だったら、綾香を彼女にすれば」

 それは絶対嫌なのに、口から出る言葉は、綾香の幸せを願うものだ。

「綾香ちゃんにも選ぶ権利はある」

 あんなに分かりやすく慕われていて、泣いている綾香を抱きしめて慰めていたのに、ボクに気を使っているのか、とぼけたことを言う。

「とにかく、明日は綾香ちゃんの件は頼む」

「分かったよ」

 兄さんはボクの返事に満足してリビングを出ていった。


 そんなやり取りが続き、十年もの歳月が過ぎたある日。一人暮らしをしている兄さんが時期外れにも帰省してきた。

「彼女と結婚したい」

 寝耳に水で、彼女がいたことすら知らない。綾香が兄さんの所に遊びに行った話を聞いていた身にすれば、想像以上の裏切りと感じてしまう。

「はづきとは五年の付き合いで俺は」

 成り染めの話も耳を通り過ぎて頭に全く入って来ない。

「子供…出来たの?」

 無意識に出たデリカシーのない言葉に、ボク自身ショックを受ける。

 お互いに思いあってても、幼馴染の域を越えられないから、お互い彼氏彼女が出来ても結婚はしないと、信じて疑わなかったからだ。

「悠人はたまに、デリカシーが無くなるから、気をつけろよ。五年も待たせたのに、子供が出来たから責任取るなんて展開、最低過ぎるだろ」

 この人は何を言っているのだろう。二十年近く慕っている綾香の気持ちは?本人も報われないと知りつつ慕い続けていたのに。

「俺がそこまで落ちぶれたと思ってたなら、地味に凹むぞ?」

 怒りか絶望かドロドロした感情に震えが始まり、握っていたマグカップを奪われる。

「綾香ちゃんに会ってこい」

「はぁ?なんで綾香に」

 彼は綾香の気持ちどころか、ボクの気持ちも気付いていないらしい。

「感情がコントロール出来てないからだよ。綾香ちゃんなら癒してくれるだろ」

「お邪魔します〜」

 微妙な空気を壊したのは、ここに居て欲しくない綾香だ。

「はーちゃん、一昨日ぶり!」

「あーや!会いたかったよぉ」

 二人の仲良さげな雰囲気に自分から表情が無くなるのが分かる。

 あろう事か兄さんは自分を慕う綾香と、彼女のはづきさんを友達にならせて、傷口に塩を塗るのを、罪悪感も躊躇もなくやってのけたらしい。

「遅れてごめん!やっぱりねぇ、ユウトはブラコン拗らせてるから、たまにデリカシー欠けるし、空気重いよー」

「ブラコン?え、誰が…?」

 綾香から予期せぬ単語に、気の抜けた声が出る。

「タカくんが関わると、ユウト般若みたいに怖い顔してたし、タカくんはスーパーお兄ちゃんだから仕方ないけど。でも、だからってはーちゃん傷つけたら私が怒るんだから!」

崇人たかと、私のあーやが可愛すぎる!あーや私が面倒見るからお嫁においで」

 はづきさんが綾香を抱きしめ、よく分からないことを口走っている。

「綾香ちゃんは、はづきのモノにはならないし、俺はどうなる?」

「私と崇人があーやを養えば万時解決」

 こいつら、バカだ。好きな人の傍で報われない気持ちを抱える辛さを知らないからそんなことが言えるんだ。

「それは嫌!タカくんのそばに居るとやっかみ凄いし、はーちゃんも可愛い自覚持ってね?!さっさと結婚して欲しいもん」

「やっかみ凄かったの?」

 ボクはこの一言で、はづきさんに苦手と言うより嫌悪に近い感情を抱く。

「タカくんの元カノさん達は、ブラコンユウトのガン飛ばしにビビるし、幼馴染とは言えおんながうろつくのを良しとはしなくて。罵られるのはまだマシだったよ。流石に物理的攻撃は怖くなったから、タカくんにユウトの彼女って嘘ついてもらってたの」

「悠人隠れ蓑にしないと、綾香ちゃん切りつけられるだけじゃなくて、刺されそうだったから」

 聞き捨てならない物騒さに、背中が冷える。

「は?兄さん、綾香を切り付けたり、刺そうとするバカと付き合ってたの?それ、ボクは知らない。綾香も全部の被害言って」

「あー…そんなことある訳ないだろー、あはは」

 わざとらしくとぼける兄に舌打ちをして、ふと思い出す。

「だから、兄さん来る時近付けさせなかったのか……ボクらまだ中学生だったはず。それを刺そうって頭おかしい…」

「悠人くんは、あーやが大切なんだね。一方的に知ってるから悠人くんて呼ぶね」

 思考を遮る発言に時間が止まる。

「まぁ…綾香は家族みたいなもんですし」

「じゃあ私も崇人と結婚するから家族だよね?」

「それは同意しかねます」

「あんたの同意なんて関係ないけど」

 本性出すまでが早過ぎて、胸倉掴まれても反応出来ない。

「あんたはいいの?結婚すんのに」

「あんたこそ、猫の皮剥ぐの早いでしょ」

 溜息一つ付いて、はづきを睨む。こいつにさん付けは不要だ。

「これ」

 視線を胸倉に下げ、外せと促す。

「ボクは多分、あんたが嫌いだ」

「あら奇遇ね。あーやの幼馴染ってだけで羨ましいしムカつくわ」

 ニヤリと笑いながら手を外し、

「他人にと」

「綾香」

 言いたいことは分かっていたから、遮りながら声をかける。

「はーちゃんのこと、怒らないでね」

 申し訳なさそうに言う綾香に笑ってしまう。

「兄さんは結婚するらしいし、綾香、残り物のボクと結婚する?」

「は、結婚?」

 含まれる多分の意味を悟られぬように出たそれは、最低なプロポーズ。

「悠人?!」

「だってボクはブラコン拗らせてるみたいだし、綾香だってが結婚するんだよ?お互い傷心だし、おじさん達も安心すると思わない?」

 我ながら吐き気がする程最低最悪な言い分。

「いいよ、結婚」

「は?」

 断られる言い方をしたつもりだった。

「え、バカなの?」

 何をどうしたら、結婚を承諾する決断に至るのか。自分の発言を棚に上げる。

「このままだと、私お嫁に行けなくなっちゃいそうだし、貰ってくれるなら…って思ったけど、嘘だった?」

「…………」

 無言になるボクに、綾香は笑う。

「まぁ、それは後でいいや。タカくんとはーちゃんのお祝いしよ」

 微妙な空気を、サラッと流す。

 その後は、最低過ぎるプロポーズを訂正しなければとの思いが強すぎて、全く話が頭に入ってこなかった。


 あの無茶苦茶な展開で、よく結婚にこぎつけられたと思う。今では笑い話だが、当時はボクも罪悪感で胃が重かったのは言うまでもない。



 ボクは本当に幸せだった。キミがただ傍に居てくれるだけで、笑っていてくれるけで。

 しかし、その幸せを脅かすことが起きた。

「きっとこれは罰だ…」

 その身に染みる言葉は虚しく響く。

 会社の健康診断で異常が見つかり、再検査をする事になった。

 検査日の目覚めは最悪で、病院に行くのを子供のように嫌がり、綾香に心配をかけてしまった。


 検査日に見た夢は、生きる希望を失いそうな位、衝撃的で久々に味わう泣きながらの目覚めに動揺が隠せない。


『最後に聞きたいことがあるんだ』

 病院のベッドに横になっているのは自分なのに、第三者から見たような光景。

 命の灯火が小さくなり、先はないと分かる位やせ細った体。その手を握る綾香に笑いかける。

『キミはボクを愛していた?』

 突拍子もない質問に、目を瞬かせる。

『キミは兄さんが好きなのに、結婚を祝福してたけど、辛くなかった?』

『昔のことだから、忘れたわよ』

 こんな時にする話でもないと、はぐらかす。

『こんな時だからこそ、本当の事を教えて欲しい。ボクはいつ死んでも構わないけど、キミに後悔をさせたままは嫌なんだ』

 ボク達の結婚は不純だらけで、今更それを直せる訳でもない。ましてや、自分は風前の灯火。

 綾香を楽にしてあげたいと の思いと同時に、自分も楽になりたかった。否、死ぬ直前に事実を知りたかった。

『…ごめんなさい』

 長い沈黙後にただ一言だけ。

『キミが、ずっと傍に居てくれてボクは幸せだったよ。兄さんへの思いも抱えたままボクの奥さんになってくれてありがとう』

 涙が溢れ、最後に伝えたかった言葉あいしてるを飲み込む。

『キミがボクといた事で少しでも幸せだと感じる場面があったらいいなぁ…』

 '愛’ではなく'情’の家族だったから、一つくらいはあるはずだ。

『幸せなんて言える資格ないの…』

『教えてはくれないか…じゃあキミの胸に閉まっておいて』

 そう言いながら、綾香の手に震える手を重ね、

『ありがとう、綾香。疲れたから寝るよ』

 と瞼を閉じる。

『ごめんなさい、ユウト、ごめんなさい』

 泣きながら謝る綾香とその言葉を聞きながらボクは息を引き取った。


「…め…、ごめんな」

 うわ言を言いながら目を覚まし、ホッとする。

「ユウト、大丈夫…?」

 横からの声に驚き、現実か確かめたくて綾香を抱き締めれば、

「泣くくらい怖い夢だったの?」

 と優しく抱き締め返してくれる。

「ボクは押し付けていたのかもしれない…」

「ユウトは基本、押し付けるタイプよ」

 カラリと笑い背中を叩く。

「今日は検査日でしょ、用意しないと」

「行きたくない…今日は綾香と過ごしたい。あんな未来ゆめ信じない」

 滅多にない我儘に困惑を隠せない綾香は、妥協案を出てきた。

 夜に、ご飯を食べに行こう、と。


 スマートカジュアルに着替え向かった先は、をしたレストランの個室だった。

「ユウト、貴方がここでなんて言ったか覚えてる?」

「…忘れようがないよ、キミにプロポーズしたんだから」

 昔を懐かしむ様に目を細める綾香に、よく分からない焦りを感じる。

「私を絶対に幸せにするって。あれは本当に嬉しかったの」

 意図するものが掴めず、曖昧な相槌を打つ。

「今日は、貴方に伝えたいことがあるから、ここに誘ったの。ここは素敵なお店だから」

「離婚…したいの?」

 伝えたいことと言われて思いつくのは、それしか無かった。

 他人にいさんに気持ちを寄せているのに、結婚をさせてしまったから。`情’はあっても、おそらく綾香には`愛'はない。

「ユウトがしたいなら、少し考えるけど、私は離婚する気サラサラないよ」

 綾香の言葉を理解したくても、理解出来なくて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

「ユウトは、タカくんがはーちゃんと結婚するからって理由で私にプロポーズしてくれたけど、タカくんは恋愛対象になり得ないし」

「え?じゃあなんで、言ったの?」

 険しい顔をすれば楽しそうに笑う。

「幼馴染特権って、タカくんに限ったことじゃないってこと」

 少しだけ照れた顔をして目を逸らされ、

「え、嘘だろ…でも、何で今更…」

 余計な言葉が口から零れ落ちる。

「泣きながら謝るユウトに罪悪感を植え付けられたのかも」

 微妙な顔で寝言の説明され、穴に埋まりたくなった。

 <兄さんとの結婚じゃなくてごめん>とひたすら謝り続けていたらしい。

「私はユウトと結婚出来て良かったよ。ユウトの優しさに漬け込んだ結婚だったけど、私が好きなのはユウトだから」

 今までに見た事のない笑顔に時が止まる。

「私はユウトが大好きだから、検査結果がどうであれ傍にいるよ。ユウトに嫌がられてもね」

「うん」

 お互いに言うことが出来なかった思いを、不可抗力ではあるものの、伝えることが出来た。

 きっとこの再検査きっかけがなければ、ボク達はお互いに勘違いをしたまま臨終さいごを迎えていたかもしれない。


 おわり

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