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蟹きょー

第1話 いっぱいの女の子

 山梨県北杜市。

 中央本線の日野春駅から市の中心部に至る道を、一人の少女が歩いていた。

 ブレザー制服の下には下着を除いて何もつけていない長身の少女。

 真っ直ぐな長髪に真白な頬。

 クラスに居れば、人並み以上の青春が味わえそうで、都会に行けば、一流アイドル企業から興味本位で声を掛けられそうな女の子。

 少女の姓は火野。

 両親は東京のビル街住まいで、父親は不動産で一財産を築き、母親は小さな本を出して父の威信を陰ながら支えている。つまる所、火野一家は富裕層という奴だった。

 しかし、彼女とて苦労をしていない訳では無い

 高校に入る前、火野は突然に家を出ろと言われた。いつの時代だと叫んだし、監督責任や生活費はどうするのかと反論もした。

 しかし、言い出しっぺである母は監視の者を付け、お金は出すと一蹴。火野は結局、この町に放られてしまった。

 一人、高校近くのアパートに住み始めた彼女であったが、従順かつ陽気な性格、それと金持ちの両親のおかげで、友にも学にも恵まれた良い生活を送ってきた。

 しかし、両親への恨みが消えた訳では無い。

 この町へ住み始めてから、家族との付き合いは一か月に一通のみ、一方通行の手紙――大半は母のつまらない報告で、たった一文だけ妹の言葉が添えられている――だけで、おまけと言わんばかりの小遣い兼食費の四万円が送られてくる。

 ライフラインの使用料は父親が払ってくれるが、それだけなのだ。

 食費で小遣いの半分が消え、文房具、浴用洗剤、衣類の補修用具などなど、キリの無い出費のせいで火野からは娯楽品も嗜好品は全て消え去った。

 あっても貯金として封じ込めなければならない。

 人とて、当然ではあるが、皆が皆優しい訳は無かった。

 散歩がてら夜道を歩いた折に、金持ちの道楽と言われた時は枕を濡らしたものである。

 おかげで町田の感性や感情といったものはすり減っていく一方であった。

 これが最悪の生活とは言わない。

 そう言われた事をきちんと覚えていたし、それに従える程には自我を手に入れていた。しかし、この最高の生活を――あるある尽くしの生活を不便と思わなかった日はなかった。


 町田は、左手で頬杖をついて、窓からぼうっと外を見ていた。

 午前の授業を終え、今は昼休みだ。

 学友達は賑やかに昼食を取ったり、談笑したりしている。後ろではたった一台の電子レンジに十数名が列を成している。

「火野さん」

 いきなり声を掛けられた。男の声だった。

「何です?」何も思われないよう、綺麗に笑顔を作る。

「さっき、先生から物運びたいから人集めてって言われちゃってさ。手伝ってくれない?」

「いいですよ!どんと来いです!」

「ありがとう!よし、これで五人!」

 その少年が、背後の三人に向かって元気に呼びかける。皆、火野の事を信頼していた。


 放課後、火野は学友と共に、庭を掃除していた。

 近くを通る人のほとんどが火野に声を掛ける。

 さようならとか、こんばんわとか様々であったが、皆が火野を好いていた。

 その好意に応え、同じ様に返す。

 すると、またぞろ周囲の友が茶化すのだ。人気者だねとか、狙ってるだろとかだ。

 嫌では無かったが、こうも続くとげんなりしてしまう。

「これ、誰が持っていく?」

 火野と学友達の話の隙を突いて、一人が呼びかける。その指先には庭掃除で出たゴミが詰まったビニル袋があった。

「じゃんけんだ」

「平和に行こうよ、私が行く」

「こういうのは先生がやるもんでしょ」

 皆が皆、三者三葉に言う。火野はどれにも賛同出来なかった。

 だから、その袋を持ち上げた。

「私が持って行きます」

 それだけ言い残すと、つかつかとゴミ捨て場に歩いて行く。背後では、それぞれ感謝の声を上げていた。

 いつも、こんな生き方をしていてよく体が壊れないなと思う。

 今日も、腰と太ももが痛みこそすれど、きちんと意思に従って動いてくれている。

 そう思いつつ、袋を置き場に並べると、野太く猛々しい咆哮が聞こえてきた。

 無論、獣の咆哮ではない。単車のエンジン音だ。

 そういえば、最近暴走族の再興が噂されているのを思い出した。

 巻き込まれるのは恐ろしい。

 火野は急ぎ学生鞄の置いてある下駄箱に戻ろうとして、飛び出した折、緑色の何かが目の前を横切った。

 ぴかぴかと白く光る二つの目。何も寄せ付けないような滑らかな緑。しっかりと地面を踏みしめて走る二輪のタイヤ。

 火野の右方で、大きな物が倒れる音と悲鳴が聞こえた。

 慌ててその方へ駆け寄って、声の主を探す。

「危ねえじゃねえか!」

 いきなり、低い声がした。

 周囲を見渡すと、そこには革の上着が印象的なヘルメットが居て、火野の方を向いている。

「すみません!」慌てて頭を下げる。

「アクション習ってた私だったから良かったけどな、そうじゃなかったら二人共お陀仏だったんだぞ!分かってんのか!?」

「すみません、すみません!」

「けっ!平謝りなんぞ、何の意味も無えんだ!」

 それからとても長い時間、町田はそのヘルメットに怒鳴られ続けた。

 そいつは暴力こそ振るわなかったものの、刺さりそうな言葉を断続的に投げかけ続けた。短く返せば口答えと怒鳴り、長く喋っても語るなと怒鳴る。

 上着をジャケットと言った時はもっと酷かった。

 ――彼女曰く、ライダースジャケットだそうだ。


 なんとかヘルメットの説教から解放され、帰路に就いている最中、町田は彼女の事が異様に気になっていた。

 恐怖、ましてや畏怖でもなかった。

 どうしたらあの様に荒々しく、ガサツで醜くなれるのだろうかと、その事が気になって仕方が無かった。

 清く正しく優しい事が良い事である事は忘れてはいない。

 考えに考えた。

 入浴の時には生まれかと考えた。

 しかし、どんな家に生まれようが人はどうとでもなれると思い直した。

 夕食の頃、食生活かと閃いた。

 しかし、自身がこれまで切り詰めているのに、荒々しくならない――証拠は知人達の態度だ。――のは何故かと忘れた。

 そうして歯を磨いても、ベッドのシーツを張り直しても、答えは見つからない。

 失意の中、ベッドに入る。その刹那、何かが体を迸った。

「そうか。バイク!」

 火野は飛び起き、部屋の灯りを点け直し、町の地図をこじ開けた。

 幸いにも、明日は土曜日である。

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