移動する砲台
一瞬の脱力の後の最大加速。肉食動物すら軽く凌駕するバネで以て二歩で肉薄し、目を白黒させている荒垣の身体を切り裂く。
獲物の皮膚は随分と固かった。
ナイフを滑らせても黒板を引っかくような異音が響くばかりで、一向に肉と果汁の詰まった内部に届く気がしない。
「ふん!」
「鈍いよ」
振り下ろされた右腕をかい潜り、懐に入って逆手に持ち替えたナイフで頸動脈を狙う。
筋肉に押し上げられて表面に浮いた、根のように太い命の通り道。異常なまでに固い皮膚はそれでもナイフと拮抗したが、やがてツプ、と先端が内部に進入する。
瞬間、丸太みたいに図太い足が、私の脇腹を蹴った。
「いっ、たいなこの!」
インパクトのタイミングで自分から跳んで衝撃を殺す。それでも鈍い痛みが残ってしまった。まともに食らえば不味そうだ。
「っ!」
ふっと身体に影がかかる。咄嗟に四肢のバネを使って飛び退くと、妙に角張った肉の身体が降ってきた。ズガン! と派手な音を立てて、コンクリの地面にクレーターが出来上がる。
巻き上がった粉塵が晴れると、頭から落ちた奴はしかし、全く平気そうに立っていた。
「ひゅう! なんだよアンタ、何食ったらそんな羨ましい身体になるわけ? 鉄?」
いや違うな。
さっきの五百円玉からは胃液の臭いがした。ってことはコイツが一度体内に取り込んだってことだ。
日本硬貨に鉄は含まれてない。それで、一度喰って戻してるってことは、奴にとってこの部分は栄養にならない不要な部分って事だ。
五百円玉をこのサイズまで削るってことは、奴の主食は日本硬貨の大部分を構成している物質──
「──銅か!」
「御名答ですよ……ぉぽっ」
ボゴッと荒垣の喉が丸く膨らんだ。蛙みたいに不細工に歪んだ顔を、私に向ける。
ゴギン! 顎の外れる音。何をしようとしているのか気付いた時には、赤い光沢が既に見えていた。
「おぉおおおぇえええええっ!!」
射出される銅の砲弾。十円玉をいくつ必要とするのか判断がつかないほどの体積と質量を以て、鈍角の凶器が私に迫る。
それは彼我の距離をあっという間に食い潰し、私の脚が動くより早く、左腕の機能を破壊した。
「うあっ……!?」
骨のへし折れる音が体内で伝播する。銅球はそれでは飽きたらず、皮膚を裂いて私の血液を霧と散らした。
「ぇぽっ」
「!」
幾度となく狩りを経験した肉体は、本格的な痛みが到来するより早く動いていた。
奴の変貌を感知するや否や、柱の陰に身を滑らせる。瞬間、ズガン! と射出された銅球がコンクリの壁を深々と穿った。
柱の陰で、悪態を吐く。
「くそ……っ」
負傷した左腕から、痛みが波濤のように押し寄せる。見ると、骨が皮膚を突き破って外に出てきていた。血はだくだくと流れ続けている。
お陰で頭の中はしっちゃかめっちゃかなのに、テンションはローなんて、おかしな状態になっちゃってる。
「あの野郎、ゲロ吐きやがった……!」
左腕はもう使い物にならないね。これじゃあただの痛み製造機だ。修験者か私は。
あぁくそ、油断した。下っ端だなんていうから雑魚だと思ってたのに……『石喰い』だって分かったときに注意しておくべきだった。奴ら、どいつもこいつも固くて厄介だから。
いや、まぁ、ハイになった私にはそんなの無理な話なんだけど。
「隠れても無駄ですよ。まさかあなたが『ヒビカ』だったとは……いや、日日日白だったとは驚きですが、これで探す手間が省けたというものです。今出てくるなら楽に殺してあげますよ」
勝利を確信したその声音にカッとなる。
この野郎、ビビって必死こいて頭抱えてたクセに。
「うるさい。こちとら楽に死にたいなんて願望はとっくに喪失してるんだ。閻魔に挨拶する覚悟はとうに出来てる。ラッキーパンチ一発で調子にのるな」
「残念です」
ゴギン、と顎の外れる音。
それから三秒後には、隠れていた柱はバラバラに粉砕されていた。
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