訓練場:正円を描け
「待たせたな」
ほどなくリブも到着すると、2人は受付に向かった。金髪ボブのくりっとした目の女性が、受付カウンターから片手を振っている。
「おはよう2人とも。今日はさっそく訓練場を使うのね?あなたは新人君ね。ー…直接マンツー指導なんて、珍しいじゃない、リブ」
「あぁ。ー…こいつはカザン・ストライクだ。まだカードがない」
リブは、受付の女性にえんじ色のカードを渡した。
「あ!!お前、イチコロ!」
受付の金髪の女性の隣に、試験日にバスで出会った女子が、座っているではないか。
カザンはすぐに気がついたが、突然大声でイチコロ呼ばわりされた彼女は、恥ずかしそうに眉を吊り上げた。
「なんだ、知り合いか」
「あー、まー、試験の日にバス一緒だったんすよ」
「何よザコ、イチコロ呼ばわりすんじゃないわよ!」
「お前も受かってたんだな〜!良かったな!!お前、受付になったんだな!」
カザンは彼女の話は気にせず、ニカッと笑った。彼女は保安部の中で、受付に配属されたということだ。
「ここが第2隊の受付だ。隊によってカウンターが分かれている。専任のエルとー…新人のエリカだったな」
「はい」
黒髪ショートのエリカは、リブの声にちょっと緊張したような小声で、返事を返した。
つまり、彼女も一応カザンと同じ第2隊になるわけだ。
「じゃあ、受付の初仕事をしてもらおうかな!エリカ、この子のカードを作るわよ。まずー…これを書いてもらうの」
女性、エルは黄色い紙をカザンに渡す。【保安部カード用提出書】と、上部に記載があった。
「後でいいから、書いたら持ってきてね。…で、仕事に出るメンバーはこうやってカードをもってくるから…」
それから受け取っていたリブのカードを、何やら中にある魔法陣の上にかざすと返却した。
「…はい、これだけ。訓練場の鍵はここにあるからー…はい、これを渡して、と。行ってらっしゃ〜い」
受付のエルにピラピラと手を振られながら、リブはカザンを連れて保安部を出た。
「このカードは、個人情報の管理と共に追跡機能も取り付いている。
町中で誰がどこにいるのか、お柱と受付だけが把握できるようにな。だからいつも持ち歩くものだ」
「おぉ、すごいっすね」
「今日は敷地内にある訓練場を使うー…あの柵の向こうだ」
リブが指さす方には、背丈よりよっぽど高い冊で仕切られた、だだっ広い敷地が見えた。
見る限り土と草、周りに木が生えているくらいで、特にこれといって何かがあるわけではなさそうだ。
リブは柵を開けると、カザンに入るように促した。
「…っ、な、なんだっ…?!」
途端に、カザンは全身に異変を感じた。足を一歩踏み入れ、その土を踏んだ瞬間だ。
土が、地面が、空気がー…まるで全身に圧をかけてくるようなー…身震いし、心臓がその見えない力に震えて動悸がするかのようなー…
「リブさん、なんすかこれ、すげーなんか…身体が震えるくらいの圧みたいのがー…」
「そうか、この土地の力を感じない程では、無いみたいだな。
この訓練場は、長年多くの保安部員達が鍛錬しているー…ここの土地には多くの魔法陣が描かれ、継続的にその力を受けている土地だ。
見えない、多くの者たちの力と努力を感じるだろう」
カザンはごくんと唾を飲むと、再度地面にしっかりと両足をつく。
気を抜いたら、足の力すら持っていかれそうだ。こんな力のこもった土地を踏んだのは初めてだった。
「大丈夫か?…時間と共に慣れるさ。陣使いはどんな時も、その土地の力を味方につける必要がある。ー…魔法陣が発動するその力自体が、その土地からきているんだからなー…
さて、さっそくだが、1つ魔法陣を描いてみろ。簡単なものでいいから、見せてくれ」
カザンはその土地の力とやらに負けないように、気合を入れ直すと深呼吸。
「うっす。…じゃあ、"氷壁(ひょうへき)"を」
その名の通り氷でつくる壁のことだ。結界のような強度は全くないが、戦時中の一瞬の防御にはなる。
カザンは腕まくりをすると、指一本突き出し、胸の前で空中に円を描いた。円の中には四角が3つ、凸の字に描かれー…最後に円の中に斜線が2本と、横線1本。
「ヨシッ」
描き終えると、カザンは人差し指でその魔法陣を、前方に投げるかのように腕を振った。
投げられた魔法陣はカザンの指先を離れて飛び、先の地面に吸い付くと、青く光って土に消えていった。
「…」
この氷壁の陣は何度も使ったことがある。発動する自信がある陣だった。
すぐに、消えた魔法陣の上に、地面を突き破るように薄い氷が突き上がって壁を作った。
犬1匹くらいは隠れられるー…かもしれない。…が、右端が欠けていて今にも壊れそうでならない。
「…どっすか」
カザンはドキドキしながら、リブの顔色を伺ってみる。自分の実力をゴールドに見られるなんて、入隊試験より緊張するかもしれない。
「…そうだな…まぁ…1からいこう」
その反応からすると恐らく、合格点では無かったのだろう。それでもリブは呆れ顔一つせず、見下す素振りもなかった。
ほどなく、カザンの張った氷壁は崩れるように消え去った。
「…まず」
リブはカザンの横に並ぶと、すらりと長い人差し指を胸の前に構えて、ゆっくりと正円を描いてみせた。
描かれた綺麗な円が、うっすらとした茶色の線として、空中に留まっている。
「知っているかとは思うが、魔法陣の"強さ"は"陣の正確さ"にイコールだ…
お前の氷壁は薄く、小さくー…消えるのも早い。あれでは拳で殴られてもヒビが入りそうだ。
…まず、正確に丁寧に陣を描くことを練習しろ。魔法陣を象る円は、正円ならしっかりと正円を描け。
書類の丸つけじゃないんだ、最後はしっかりと線を閉じることー…」
リブはもう一度ゆっくり正円を描き、描き出しと結びの線を正確に繋げてみせる。
カザンは食い入るようにそれを見ると、もう一度自分も真似て描いてみた。
「…ゆっくりでいい、何度も描け。おそらくお前は、人より描いてきた魔法陣の数が圧倒的に少ない。
同期達と千回、万回と差があればそれだけ、差を埋めなければならない。…それから、描き癖もある。
…最後は、もっとゆっくりだ。線を流さず、くっつけるように結んでみろ」
はたから見たら、まるで幼児のお絵かき指導にでも見えるかもしれない。
しかし、これが魔法陣の1番の初歩。その初歩から、徹底的に直していく必要が、カザンにはあるのだ。
「とにかく、手が空いたときには何度も練習してみろ。それから、このくらいの単純な陣ならもう少し小さく描くといい。お前のように大きく描くと、時間もかかるし動作も無駄だ。
次、直線を描くときだがー…」
リブはこうして、指導すること2時間。その間にカザンの実力と得意不得意、魔法陣の癖など全てを把握したようだった。
カザンの胸は、高鳴り続けていた。こんなに基礎から教わったのは、いつぶりだろうか。
昔、親や兄が教えてくれたものだが、子供のレベルに合わせて教わっただけだ。
どんなに適当な陣だろうが、子供はそれで褒められるものだ。
今は保安部として、カザンが今よりも確実に成長できるよう、細かく指導してくれる人がいる。
自分が陣使いとして、改めて生まれ変われるような気がして、興奮がおさまらない。
更に2時間後。カザンが再度出した氷壁は、最初の物よりも何倍も分厚く、そして横にも縦にもよっぽど大きく頼もしい壁となった。
「…良いだろう」
4時間、集中してひたすら1つの基礎魔法陣をやったのだが、カザンは全く疲れていなかった。
それどころか、目の前にそびえる自分の氷壁を見て、熱いものが込み上げてきて力がみなぎるようだ。
「リブさん、なんか、俺…一生魔法陣描いてられそうっす」
「大した集中力だ」
「…すげぇ、おれ、こんなちゃんと教わったことないんすよ。すげー面白いっす!」
「それは何よりだが、これは初歩の初歩だ。ようやくあいうえおを覚えたようなもので、次はカ行が待っている。
丁寧に描くことはある程度覚えたようだが…15秒近くかけて描いているところ、せめてまず半分に縮めることだな」
「えっ、半分っすか。そしたらめっちゃ雑になっちまいそー…」
「だから、描くのみだ。今日はこれで一旦終わりだが、部屋にいても寝る前でもいつでも、練習すればいい。いきなり高い話をしてもあれだが、参考までに、ゴールドは2秒で"氷壁"を描く」
2秒。カザンは唖然とした。円やら線やら四角やらを描くのに、どう指を動かしたら2秒で描けるというのか。
「2秒って…普通に描いてたら、どんだけ早く指動かしても、描けそうにないっすけど…」
「まぁ、今はそこまで考えなくて良い。せめて7〜8秒を目指して練習してみろ。
魔法陣の"強さ"は"正確さ"だが、戦時中にはスピードが命だ」
2秒はともあれ、今のカザンがスピードを出すには練習あるのみ、と言うことだ。
リブの丁寧な指導は、ガサツな魔法陣を描くカザンにぴったりであった。
お柱の、予想通りと言ったところか。
「…一旦戻って、昼食にしよう」
「うす!!…あー、そういや腹減った…」
集中と緊張が解けた瞬間、空腹が一気に襲ってきた。
と、その時ー…
「リブ、忙しいとこわりぃな」
突然お柱の声が間近で聞こえ、カザンは飛び上がった。
声の元を探して見回すと、リブの目の前に魔法陣が浮かび、そこに手のひらサイズのお柱の姿が浮かんでいるではないか。
まるで幻かのような、映像と実体の中間のような、そんな姿だ。
「どうしました?」
「第3エリアのリョウ達に合流してくれねぇか。ミドルホーンが出たと報告があがってるんだが、どうも様子がおかしいらしい。パパッと行って、ちょっくら見てきてくれ」
「ミドルホーン…?…了解です」
お柱の幻はそれだけ伝えると消えていった。
「…ミドルホーンって、何すか?」
「北にはいなかったか?毒のある角が生えた大型モンスターだが…ここらに現れることはまずない…
それに、討伐に向かったヤツらが手に負えないような、そんな大物じゃないはずだ…何かあったな」
わざわざ隊長に助っ人要請が入るとは、よっぽどなのだろうか。
「お前も来い。初仕事の良い機会だ」
「えっ、あ、うす!!」
"初仕事"の言葉に、空腹は飛んでいった。
「第3エリアの北、町の外の荒地だ」
リブは胸ポケットから地図を取り出すと、カザンに渡した。
「"ワープ"は使えるな?…行くぞ」
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