第55話

 そうだ。


 ずっとモヤモヤしていた黒い影。


 胸を占めていた感情。


 それがなんなのかやっと理解できた気がした。


「綾。朝斗に対して嫉妬したのは、わたしに対する好意故と思ってもいいのか?」


 言われて綾都の頬が染まる。


「わたしは綾都の本当の夫になりたい。ずっと自分の気持ちがわからなかった。どうしてイライラしているのかもわからなかった。でも、今ならわかる。わたしは綾に惹かれていたんだ。多分出逢ったときから」


「ぼく、まだそういう感情わからない」


「たったらわたしか綾以外にそういう意味で触れて、綾は我慢できるのか?」


 瀬希星子が他のだれかにそういう意味で触れる? 


 キスをしてもしかしたらそれ以上のことも?


 そう思うと綾部の瞳から止めようのない涙が溢れた。


「綾」


 瀬希皇子の指先が涙を拭ってくれる。


 その感触を心地好く受けながら綾都は目を閉じた。


 それは誘っているようで瀬希も目を閉じる。


 ふたつの影がひとつに重なる。


 その影はやがて夕陽に照らされて長く伸びるまで、ずっと重なりつづけていた。


「綾。ルノールを救えたら、わたしの本当の側室になってくれ」


 このとき続は頷いたが、胸の内では違うことも考えていた。


 自分が女なら瀬希を独り占めできただろうか、と。


 だれかを好きになるって、こんなに苦しいんだと今更のように感じて。


 だが、瀬希はそんな綾都の不安に対しても答えを用意していた。


「綾がわたしのものになってくれたら、わたしは綾以外は求めない」


「え? だって瀬希星子は世継ぎで妃を迎えなければならなくて」


「それでも、だ。わたしは不老不死となる身。元々、子孫には意味がない。そもそも子孫を残せるかどうかも謎だ。華南の帝は死なないかぎり退位できない。だが、わたしは死なない。つまり永遠に退位できないということだ」


「それって?」


「世後ぎが生まれても帝位を継げないなら、結婚には意味がないということだ。おそらくこれから先、華南、ルノール、ダグラス、シャーナーンの四大国家が代替わりすることはないと思う。何故ならどの国も統治者が不老不死だからだ」


 おそらく残りの鍵であるふたりも不老不死だろうと、瀬希は読んでいたので必然的に代替わりはないということなのだ。


 姿をくらまして座を譲らないかぎり、この四カ国は代替わりできないと踏んでいた。


「結婚に意味がないなら、わたしは生涯綾都だけを愛しつづける。朝斗のことはどうしようも

ないが、わたしが愛し聞を共にするのは綾都だけだと約束する」


「ほんとに?」


「わたしは綾と出逢うために、これまでを生きてきたのかもしれない」


 なによりも嬉しい言葉に綾都は泣きながら、彼の手に頬を触れさせた。


「だから、元の世界には戻らないでほしい」


「うん。戻らない。瀬希星子のいない世界なんてつまらない」


「瀬希、でいい」


「でも」


「瀬希と呼ばれたい。皇子はいらない」

 

 甘いささやきに綾都の頬が染まる。


 小さな声で呼んだ。


「瀬希?」


「そうだ。わたしを名で呼びすてていいのは綾だけだ」


 そう囁かれまた唇が重なる。

 

 永遠にも思えるその口掛けを綾都は黙って受けていた。


 兄に悪いと誤解しながら。


 まさかその兄が自分を想って苦悩しているとは思いもせずに。


 綾都を巡ってこれから瀬希皇子、アレク皇子、ウィリアム大統領は衝突することになる。


 これまでのような建前ではなく、瀬希は本気でふたりを排除しようとするだろう。


 たが、ふたりの気持ちがやがて真剣なものになると、この時点では瀬希も予想していない。


 ふたりが綾都を欲するのは綾の価値故。


 そう思い込んでいたので。


 綾は瀬希を選んだが前途は多難だった。


 まだなにも動きだしてさえいないので。


 綾都を巡る一連の騒動はここから動きだすのだった。

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