第18話





 その翌日、帝は正式にシャーナーンの皇子、アレクに謁見を申し込まれた。


 謁見には世継ぎとして瀬希皇子が同席するのが習わしで、その謁見には彼も出たが、そこで出された提案に思わず渋い顔になってしまう。


 アレクははっきりこう言ったのだ。


「わたしは華南とは友好な関係でいたいと思っています。それは父王であられる陛下も同じ考えと存じます」


「そうであれば有難い。長く国交が絶えがちで、見えるときは戦のときだけ。そういう事態をなんとかしたいと、わたしはいつも思っていたのだ」


「同じ考えとは有難いことです。瀬希皇子は如何ですか?」


 視線を向けて問われ瀬希は無難な答えを返した。


「そうであればよいと思っています。それがなんらかの犠牲を伴わないなら」


 瀬希の口調からは綾都を巻き込むなという意図が見え隠れしている。


 アレクはニヤリとわからないように笑った。


 口許だけが笑っているのを見て、瀬希は嫌な予感を覚える。


「わたしは両国の同盟の証として、わたしの妹姫シャーリーを瀬希皇子の正妃として嫁がせたいと考えておりますが、如何でしょうか、陛下?」


「おお。それは素晴らしい縁談」


「陛下。わたしは……」


 瀬希は断ろうとした。


 何故なら続く言葉があまりに簡単に予想できたからだ。


「その代わり妹を瀬希皇子に嫁がせる代わりとして、瀬希皇子のご側室、綾都様とはお逢いしたのですが、そのときにわたしが一目惚れしまして」


「ほう。獅子皇子とまで噂されるアレク皇子でも、誰かに心を奪われることがおありか」


「最初は女性かと思い是非、妃に迎えたいと思ったのですが、綾都様は同性。ですので是非わたしの第一位の側室として迎えたいと望んでいるのです」


 帝は上機嫌に瀬希に話し掛けようとしたが、息子の険しい顔を見て口を噤んだ。


 この親子。


 実は息子の方が強いのだ。


 何故なら父である帝より瀬希の方が人望が厚いからである。


 鳶が鷹を産んだとまでは言われていないが、それに近いことは思われる関係なのだった。


「それはアベル皇子が妹姫を、ご自分の色恋のために利用されるということでせが。世継ぎの皇子であり、兄君であられるアレク皇子が、そのような真似をしてよいのでしょうか?」


「そのようなつもりは毛頭ありません。妹をあなたに嫁がせたいと思ったのは、あくまでも両国の同盟のため。ただあなたが側室をふたりも持っている状態で妹を嫁がせたくないのも事実。妹はまだ幼いので。そしてわたしが綾都様に心惹かれているのも事実。ならばどちらも上手くいく方法を選ぶ。そのことに問題がありますでしょうか?」


「綾は……綾都は物ではありません。政治の取引に利用する気など、わたしにはないのです。ですからお諦め下さい。シャーリー姫を妃に迎えるお話もなかったことに」


「これ、瀬希よ。そのように即断せずとも」


「陛下。これはわたしの一生の問題です。自分の意志を優先させて頂きます」


「しかしだな。両国の同盟が」


「同盟とは人質なしで成立しないものでしょうか? わたしはそんな風に考えません。それでは真の同盟とは言えないでしょう?」


 はっきり綾都もシャーリーも人質だと言われ、アレクは今更ながらにこの皇子の頭脳がかなりキレることを確認した。


 ここで人質ではないと言い切ったら、万が一シャーリーとの縁談を認めさせても、綾都を手放すことは認めないだろうから。


 さて。


 どう言い返すべきか。


「綾都様はものではないと仰った。では瀬希皇子。貴方にも権利はないのではありませんか?」


「は?」


 瀬希がキョトンとする。


 言葉の意味が微妙にずれている気がする。


「綾都様が貴方のものだからこそ、わたしは綾都様を奪う代わりに大事な妹姫を差し出してもよいと言っているのです。それが貴方のものではないと仰っるなら」


「意味をすり替えないで下さい。わたしが言いたいのは、綾には意志があるということです。綾はわたしにとって唯一絶対の側室です。それに変化はありません。従って貴方には権利はない。違いますか?」


「わたしの言っていることはおかしいですか? 陛下? 過去そういう意味でやり取りされた側室はいないとでも仰りますか?」


「いや。そのようには言わぬが」


 さすがに正妃ではありえない事態だが、肉体的な結び付きだけで繋がっている側室の場合、横恋慕され政治的な扱いにより、相手の側室との交換とか、そういうことはよく行われた。


 それは事実だ。


 かれが成立するのは実は皇族だけだったりする。


 一般人がこれをすると人身売買だと受け取られるので。


 皇族にそれが通用するのは第一位とはいえ、側室なのに向こうは唯一の皇女を正妃として差し出すと言っている。

 


 これほどの好条件は中々ない。


 相手の誠意とも取れないわけではないのだ。


 側室と皇女では皇女の方に比重が傾くので。


 おまけに相手はシャーナーンの皇女。


 縁談としてはこれ以上のものはないのだが。


 帝は恐る恐る息子を見上げる。


 息子は黙ってかぶりを振った。


 綾都を譲る気はないという意思表示だ。


「瀬希よ。どうしても嫌か? あの側室を差し出すことは」


「申し訳ございませんが嫌です」


 申し訳ないと言いながらも、瀬希の口調には微塵もそんな色はない。


 寧ろ不機嫌ですらあった。


 帝も困ってしまう。


 できるならこの縁談は纏めたい。


 これ以上の良縁は多分望めないだろうから。


「……申し訳ないがアレク皇子。瀬希がこのように言うと、その……意志を覆すことはまずない。その」


 諦めてくれと帝が言いかけたとき、アレクは切り札を使った。


「では綾都様が同意されたら、お譲り頂けますか? 綾都様が瀬希皇子ではなく、わたしを選んでくれたなら」


「それはわたしは構わぬが……瀬希?」


「綾は貴方に怯えています。それはありえません」


「ええ。ですから暫くの間、華南に逗留して綾都様を手に入れる努力でもしようかと」


 これには瀬希は「とんでもないっ。すぐに国に帰れっ」と叫びたかった。


 謁見の最中ということで我慢したが。


 あまり綾都に近付かれるのは困るのだ。


 どこから綾都たちが異世界人だとバレるかわからない。


 大体綾都に一目惚れしたというのだって、どこまで本当だが瀬希は疑っていた。


 そんな理由で大事な皇女を差し出してくるとは、瀬希には思えなかったからだ。


 相手は獅子とまで噂されるアレク皇子だ。


 どこからなにか掴んで綾都に眼をつけたのかもしれない。


 綾都が起こした現象のこともあるし、なるべく近付けたくない。


 すると瀬希の心境を読んだかのように、アベルが口許に笑みを浮かべてこういった。


「それとも瀬希皇子はご自分に自信がないのでしょうか? 綾都様をわたしに奪われるわけがないという自信が」


 挑発に乗るなと瀬希は自分を戒める。


 握り締めた拳は震えていたが、瀬希は辛うじて冷静さを保っていた。


 しかしここまで下手に出られてしまうと無下に断れないのも事実だ。


 綾都はあまりに幼く無邪気だ。


 獅子アレク相手なら呆気なく陥落しそうな気もする。


 さて。


 どうしよう?


「綾ひとりのときに近付かないと。決してふたりきりにはならないと誓えますか?」


「誓いましょう。これでも獅子と呼ばれる皇子。嘘はつきません」


「それと期限を定めます」


「期限?」


「無期限でというのは、貴方の立場的にもありえないと思います。違いますか?」


「まあ確かに」


 アレクの立場的には綾都を手に入れるためなら、多少時間がかかってもいいのだが、それを言うと余計に瀬希を警戒させるような気もしてここは口を噤んだ。


「半月以内に綾が同意しない場合は諦めて下さい」


「随分短いのですね」


「これでも妥協しているくらいです。それと姫との縁談はどちらにしてもなかったことにして頂きたいのですが?」


「妹では不足ですか?」


 このときアレクの眼には殺気があった。


 さすがの彼もシャーナーンの皇女と承知で拒絶されるとは思わなかったのだ。


 瀬希はゆっくりかぶりを振る。


「拒絶の理由はお互いに面識がないことです。不足があるとかないとか、そういう問題ですらありません。結婚とはお互いに愛し愛されてするものだと、わたしは思います。愛のない結婚なんてあまりに姫がお気の毒です。それは兄君としてアレク皇子。貴方が先に気遣われるべき点だと思うのですが?」


「……貴方は随分幸せに育ってこられたのですね。瀬希皇子」


「どういう意味でしょうか?」


「皇族なら政略結婚なんて当たり前。それがわたしたちの考えです」


 この一言には瀬希も黙り込んでしまった。


 瀬希がこの国で立場が強いから言えることかもしれないと突然わかって。


「わたしも何れ妃を娶るでしょう。ですが妃を選ぶ基準は、どれだけ国のためになるか、どれだけの利益を生むか、です。愛しているかどうかではない」


「……寂しい考え方ですね、アレク皇子」


「それが普通の皇族の考え方です。貴方の方が特殊なんですよ」


「そうかもしれませんね」


 アレクの言い分を瀬希は素直に認めた。


 甘えた考え方だというのは、常々周囲から言われていたことだったので。


 それでも持論を曲げるつもりはなかったけれど。


「華南との同盟のため。そう言われれば妹はなんの疑問もなく、貴方に嫁ぐでしょう。それが皇女の役割です」


「申し訳ないのですが、そういう理由では尚更受け入れられません」


 愛し愛されての結婚という条件に拘る瀬希には、どうしても譲れない部分だった。


 だからこそ、今まで誰とも深い仲にならなかったのだ。


 妃の器があって国のためになり、尚且つ利益を与えてくれて、瀬希自身も愛せる姫君というのに、まだ巡りあっていなかったので。


 もしかして一生無理かなと、最近では諦めていたが。


「今日中にカインを国に帰らせましょう」


「何故?」


「妹をこちらに呼びます」


「いえ。その必要は……」


 瀬希が焦って拒否しようとすると、アレクが据わった眼で睨んできた。


「逢うこともなく拒絶される。その方が妹にとっては衝撃ですよ?」


「それは……」


「シャーナーンの皇女としての価値もない。そう言われているのも同じですから」


「そういうつもりではないのです。ただ」


「とにかく拒絶されるなら妹を知ってからにして下さい。こんな拒絶の仕方は我々にとって侮辱を通り越した屈辱です」


 アレクの眼はなにがなんでも譲らないと言っていた。


 どうやら瀬希が正論で拒絶してきたことが気に入らないらしい。


 確かに普通に考えれば大国シャーナーンの方から申し込まれた縁談だ。


 良縁だと思って喜び受けても、瀬希のような理由で拒絶してくる者はまずいないだろう。


 しかしこれでは断れない。


 結局瀬希はシャーリー皇女と暫く付き合ってみることを約束させられた。


 妹を侮辱されたという兄の怒りに逆らえなかったのである。


 その点、瀬希も兄なのでアレクの怒りに納得できたので。


 ややこしいことになったと瀬希はこっそりため息をついた。

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