小学生のマウント合戦、敗北

 小学五年生の初夏、私は妙義山に林間学校に行った。妙義山といえば、赤城山、榛名山と並ぶ群馬県の有名な山だが県民以外にも通じるのかはよく分からない。

 県民の間では”上毛かるた”なる県のご自慢50音かるたのおかげでこれらの山を知っている県民は多いが、私は幼少時よりテレビゲームに夢中で、かるたなんてジジイの娯楽にはつゆほどの興味もなく、覚えている札は「桐生は日本の機(はた)どころ」くらいなものだ。おぼろげな記憶では「あ」は「あさま山荘事件」、「い」は「茨城に負けるな!」。「う」以降ははもう覚えていないし、本当は「あ」も「い」も嘘。そんな物騒なかるたがあってたまるか。


 さておき、小学五年生の私は妙義山に林間学校に行った。当時の私はクラスの中で背が高く成績も優秀でクラス委員も務め、ひょうきんで人気者でその自覚もあった(まさに神童である)。林間学校では隣町の小学校も同じ日に同じ施設に泊まると聞いた私は、クラスのリーダーとして、否、学校の代表として、いや、町の代表として「あっちの学校には負けられない」とよく分からない対抗心を燃やしていた。

 登山の道中の休憩所で、その最初の闘いは訪れた。隣町の学校とのファーストコンタクトだ。そこで特別なイベントが行われた訳ではないので偶然鉢合わせただけのようだ。私はレペゼン笠懸町として率先して向こうのリーダーと思しき奴に声を掛けた。

 詳しい内容は覚えていないのだが、一緒にいた友人らと敵グループとで「いかに自分たちが凄いか」を話していたように記憶している。その中で友人の一人が「ユウくんは自転車がめちゃくちゃ速いんだよ!」と私を褒め称えてくれた。ああ友よ、私を持ち上げてくれるのは嬉しいが、それで良いのか。勉強ができるとか、スマブラが強いとか、もっと褒めるべきところがあるだろう。今思えば馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、当時自慢さえしないまでも「自転車が速い」「喧嘩が強い」というのはなぜか友人に認知され、ある種の畏敬の念を抱かれていたように思うし、私もそんな矮小なことに誇りを持っていた気がする。当時大人たちに「しっかりしているね」とよく褒められていた私も、今思えば小学生らしくて可愛いものである。ちなみに喧嘩が強いというのは単に喧嘩の経験がほとんどなく、やるときは躊躇いなく肘や膝を使っていたため囁かれるようになっただけだ。今思えばストッパーが効かないただのヤバい奴でしかない。


 話を戻すが、私は自転車が速いというカードを持ち相手の前に立ちはだかった。本来ならここでどれだけ速いのかを表現して相手を圧倒するフェイズに以降するのだが、所詮小学生なのでろくな言葉は出てこない。友人からの援護射撃は「とにかく学年で一番速い」という極薄0.01mmの情報で終わってしまった。次いで相手のターンだ。「こいつも自転車速いんだよ」同じ属性のカードでの勝負だ。どう来る。緊張が走る。

「こいつ去年『俺について来られるか?』って言って自転車漕ぎ出したと思ったら、その直後車にはねられたんだよ。そのときの傷がこれ」

 そのときは「へぇ、事故っちゃったんだ。それは大変だったね」くらいのすました対応をして平静を装いドローとなったが、その晩この話を思い出すと段々面白くて仕方がなくなってきてしまった。いくらなんでもカッコ悪すぎる。本当にそんな2コマ漫画みたいなことってあるのだろうか。私は心の中で完敗を認め、布団の中で笑い震えた。


 私は妙義山を登り、雲海を見下ろしこの世のものとは思えない絶景を眺めていたく感動したことは覚えている。しかし、その景色がどんなものだったかは上毛かるたよりも儚くおぼろげな記憶になってしまった。他校の生徒の自転車事故にも記憶として負ける絶景は果たして絶景といえるのか。今ではすべてが白昼夢だったのではないかとさえ思う。

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