【皐月視点】遊園地
※時系列:本編終了から数年後
夏のある日のこと。私は妻子を連れて県内の遊園地を訪れていた。
実に30年ぶりくらいだけど、まだ潰れずに残ってたんだなあ。
アトラクションもふれあい牧場も広場でやってる謎のヒーローショーも、すべてが時代を感じる作り。
某夢の国とは比べ物にならないほどの、いかにもな地方レジャーっぽさがある古ぼけた世界。
なのに駐車場の空きを探すのにちょっと手間取ったほどには、人が集まっているから不思議だ。
さて、今は錦鯉の餌やりが体験できる池の前にいた。
緑がかった濁る水面に、無数の粒を投げ入れる。
波紋が広がるやいなや。水底からすうっと、赤や白や黄色といった鮮やかな影が浮かび上がってきて、一斉に顔を出し始めた。
どいつもぱくぱくと口を大きく開けて、我先にと餌が浮かぶ一箇所へ群がりだす。
芋洗いのごとく鯉が押し寄せ、ばしゃばしゃ音を立てて暴れる様はさながらピラニアの大群のよう。
「すげー、きゃはははっ」
隣から甲高い子供の歓声が上がる。柵の間に顔をめり込ませて、ことし4歳になる我が娘が鯉に釘付けになっていた。
怖がるどころか想像以上の喜びようだ。
荒ぶる鯉に対抗するように娘が飛び跳ねて、二つに結った髪と花柄のワンピースがふわふわと揺れる。
「コイがコイのうえでおよいでる」
「まるでバーゲンセールだね」
私のシャツの裾をぐいぐい引っ張り、娘が池を指差してげらげらと笑う。
どうやら自分の分の餌は使い果たしてしまったようで、もっとあげたーい、と両の掌をこちらに差し出してきた。
小首を傾げる仕草は、この歳にして女の武器を分かっているかのようなあざとさだ。
「どうする?」
娘を挟んで隣に立つ、彰子へと視線を投げる。新しく餌を買ってあげるべきかと、奥の自販機を手で指し示して。
彰子は眉根を下げて困ったように笑うと、娘の前へしゃがみこんだ。
「
ちょっとずつにしなさいよ、と一度にほとんどの餌を流し込んでしまった娘に忠告し、彰子は餌が入ったモナカの容器を渡した。
私は何かと娘を甘やかしてしまうため、しつけの手綱を握る妻からそのたびに注意を受けている。
イヤイヤ期もそれでむちゃくちゃ泣き喚かれて壮絶だったから、騒げば言うことを聞いてくれるって認識を改めさせないといけないんだよね。はあ、教員が聞いて呆れるよ。
でもあの天使みたいな上目遣いは反則なんだよう。たぶんあの子もそれを分かってて、私を狙い甘えてくるんだろうけど。
「そいやー」
ちいさな手のひらに餌を握りしめた娘、利恵が柵から腕を突き出し鯉の頭上へばらまいた。
たちまち鯉が飛びかかり、こっちにも飛沫が届くほどの壮絶なエサ争いが始まる。
遠くで泳いでいたマガモまでもが寄ってきて参戦してしまった。手前であげたからか、もう鯉の上に鯉が乗って上陸しそうな勢いだよ。
あまりの食いつきっぷりに、思わずスマホを構えた。この光景を動画におさめておけば、あやすときに役に立ってくれるだろうか。
しかしここ、何百匹棲み着いてるんだろう。休園日とか餌やり大変そうだ。
最後にモナカの容器をぱきぱきと割って、欠片を鯉たちにくれてやる。
ぱこぱこと水面から突き出た黄色い口がずらっと並ぶ様は、若干気持ち悪い。
餌と違って水面に浮かぶからか、こっちのが食いつきよかったね。
「ほら、鯉さんにばいばいしようね」
手にこびりついた粉をはたいて、彰子が利恵の手を引く。利恵はまだ名残惜しそうに池を見つめていたけど、動画を撮った旨を伝えるとしぶしぶ離れてくれた。
そんなに気に入ったのかな、あれ。お祭りの金魚すくいには見向きもしなかったのに。
「お腹空いてる?」
「すいたー」
「ママもすいたー」
ねーとふたりで声を合わせる。ひと通り回ったし、休息にはちょうどいい頃合いだろう。
あと、帽子被ってたとはいえずっと炎天下だったからね。
利恵は何度も水筒の麦茶飲んでたし、彰子も保冷剤入りのタオルを首に巻いてたし。そろそろ冷房が効いた施設内で熱を逃さないと。
「晴れてるのに、そこまで猛暑じゃなくてよかったね」
「んー、それでも30℃あるのよね……感覚すっかり麻痺してるけど。35℃もないとまだ涼しいほうじゃん、ってなりかけてる」
「連日40℃前後の気温が当たり前になってきたからなー」
真ん中に利恵をはさんで、両側から手をつないで私たちは歩きだした。記憶とほぼ変わらない30年来の光景が、遠い昔の思い出を呼び覚ます。
たとえば、最初に行ったアトラクションエリア。幼少期はすべてが大きく立派に見えて、一日中ここで遊んでいたいって思っていた。
大人になってしまった今見れば、子供だましのチープなものでしかないのに。
利恵はどっぷり雰囲気に入り浸って、すべてのアトラクションを制覇する勢いで走り回っていた。
きっと私も、かつて訪れたときはそんな顔だったのかもしれない。
木々に囲まれた動物エリアを抜けると、アスファルトで舗装された広い場所へと出た。この中央広場の奥にある、無料休憩所が園内唯一の食事処だ。
巨大な噴水を取り囲むように水平花壇が並び、等間隔で植えられているブルーサルビアの青さが美しい。
高く吹き上がった透明な飛沫は、日光が煌めいて夏の深い青空によく映える。
何名か子どもたちが濡れ鼠になって涼んでるね。利恵が混ざりたいと言い出してきたので、ご飯食べてからねとなだめ先へ進んだ。
「あっはは、ぜんぜん変わってない」
「皐月、ここ来たことあるんだっけ」
「すごーく昔にね。まさかここまで当時の面影が残ってるとは思ってなかったけど」
建物には『ファミリー館』とメイリオフォントの切り文字が貼り付けてあるだけ。
遊園地なのにキャラ物のポスターすらないシンプルさは、いかにも昭和ライクなデザインだ。
中も期待をまるで裏切らない。入り口付近のお土産コーナーは、駄菓子屋に陳列されてそうなボールや風船やお面が吊り下がっている。
飲食店とは反対方向にあるフロアは、これまた昭和レトロな雰囲気が漂うゲームコーナー。テーブルホッケーとか、昔彰子と行った近所のゲーセンでも見かけなかったよ。
極めつけにフードコートは、カウンターの頭上に簡単なメニューと価格が記載された看板が立てつけられている。料理の写真すらないと来た。
遊園地どころか、知る人ぞ知る古い定食屋に訪れた気分だ。
奥に広がる食事スペースは座敷で、畳の上に長テーブルが備え付けられている。体育館みたいな巨大なステージもあったけど、ショーでもやるのだろうか。今はカーテンが降りていた。
「なんか年季のある温泉宿みたい」
「テーブル席よりはゆとりがあっていいね」
お昼を少し過ぎていたからか、中の客はぼちぼちといったところ。利恵は畳が好きなようで、靴を脱いだらさっそく寝そべろうとしていた。
「これ、近くにお客さんいるんだから埃立っちゃうよ」
あわてて彰子が小さな体を抱きかかえ、私はその間に人数分の座布団を運んでくる。
座布団をふたつ並べると、利恵はその上にうつ伏せになった。顔をうずめて、いい匂いーとい草の香りに酔いしれている。
とりあえず、メニューだけ聞いて券売機で買ってこよう。
「ごはん、ふたりはなにがいい?」
「リエ、らーめん」
「あ、わたしはカツカレーで」
彰子の胃袋は夏バテを知らないようで何より。昔からよく食べる子だったけどね。
つわりがピークの時はもずくと砂糖水しか受け付けなくて、はやく食欲を返してくれって嘆く彰子の背中をさすっていた記憶も今となっては懐かしい。
呼び出しベルはそんなに待たずに鳴った。彰子と交代で3人分のおぼんを運んで、席に着く。
この物価高の時代に、ワンコイン内といった良心的な価格設定で食べられるのはいいことだ。
「かーちゃ、どしたらそんないくの」
「ん?」
かき揚げそばを啜っていると、利恵は興味深そうに私をじっと見つめてきた。
まだ半分以上残っている手元のお子様ラーメンと見比べつつ、むすーっと頬をふくらます。
「ずずーっていかない」
「あー」
麺がすすれない、ってことね。私もいつすすれるようになったかは忘れてしまったけど、できない時期あったなあ。
「空気といっしょに吸うんだよ」
利恵は私の仕草を真似てラーメンを吸い込もうとするけど、なかなかうまくいかない。むせちゃうのだと言う。フォーク使ってるのもあるけど、見たところ口をすぼめすぎなのかな。
「ま、まあでも。あんまり勢いよく飲み込むと胃や食道に悪いし、汁が飛び散ることを気にする人もいるからね。音を立てずに食べられるのはいいことだと思うぞ」
「そうそう。すすれない大人もあえてすすらない人もいるし、恥ずかしいことじゃないよ」
こうしたら食べやすくなるよ、と彰子がレンゲに麺を乗せてレクチャーする。くるくるとフォークで巻き取れることに興味が移ったようで、利恵はレンゲとフォークを使ってラーメンに挑み始めた。
パスタの食べ方を先にマスターしそうだね、あれ。
食事を終えると、利恵は彰子の膝に寝転んだ。
暑い中遊び回って疲れてしまったのか、ねむいーと言って動こうとしない。
長居していいのか気になったけど、他の家族連れもお昼寝に入ってしまった子をちらほら目にするから大丈夫なのかな?
というか、奥で堂々と仰向けになっているおっさんも見えるし。
そりゃあ、がんがんにクーラー効いててひろい畳の上だったら寝そべりたくなる気持ちも分かるけどさ。
やがて、完全に寝入った利恵からすやすやと寝息が届く。起きたら車に戻ろうかと決めて、ふーっと二人で息をついた。
さてさて、こっちのコミュニケーションも大事にしないとね。氷がとけたお冷を呷って、彰子の手を取る。
「ん? どうしたの」
「暑い中お疲れ様ってね」
「それは皐月もいっしょでしょ」
親になってからこういうとこ来るとまた違うよね、と二人で頷く。
「どこだったか忘れたけど、わたしもこれくらい暑いときに連れてってもらったことあるんだ。帰りにソフトクリーム買ってもらって、でも子供が舐め取るスピードって遅いじゃん? どんどん溶けてアイスが崩れだしてさあ、あろうことか下のふやけてたコーンをかじっちゃったんだよね。下から吸うしかない、ってやけになって」
「あるあるだね」
「で、一気に飲み込んだからお腹痛くなって、帰りの車でぜんぶリバースよ」
「プラスチックのカップをつけてくれるとこもあるけど、そのままで渡すとこも未だに多いよね……」
「親は子供用を勧めてくれたのに欲張って大人用食べるもん、って強行したわたしが悪いんだけどさ」
苦い思い出を語り尽くし、彰子が自嘲気味に笑う。
「他のVBと一緒にしちゃいけないくらい、わがままだったなあ。今振り返ると」
「そうかな。子供はそういった失敗経験から学んでいくんだし、よくある範疇だと思うよ」
「いやー、わたしゃ比べ物にならんほど酷かったもんで」
ちらっと、周囲の家族連れを見回す。VBの価値も見直されてきたとはいえ、まだまだDBの割合は多い。
らしいけど今は、DBとVBの見分けはぱっと見じゃ分からない。
VBとの共存を図るため、個々の能力や容姿は平均値でしか遺伝子操作が認められなくなったからだ。
また、いじる個体値も部分的のみと限定されている。(不妊に関係してくるため)
利恵自身も、遺伝子疾患を抱えないといった最低限の加護を持って誕生している。
ハンディキャップは個性と割り切れるほど、この世の中は甘くない。
仮に何らかの欠陥を遺伝して生まれた子は、健康体に産んでほしかったと親を憎む可能性もあるかもしれない。
願いはただひとつ、我が子がこの世界で幸せに生きていけること。
「昔のわたしに言ってやりたいな。あんたのわがままはだいぶ落ち着いて、結婚して、子供もいるよって。信じてくれなさそうだけど」
「その相手は従姉で里親で教員なんですよね」
「あはは、妄想も大概にしろって怒られそう」
いま、たしかに私は人生の絶頂期にいると実感できる。
普通の、当たり前の、掛け替えのない幸せが目の前にある。そんな未来が訪れるなんて、あの頃の自分に言っても夢物語だよって一蹴されそうだ。
願わくば、愛する我が子の未来はどこまでも光あふれる日々でありますように。
小さな祈りを胸に秘め。もうひとりの、かつての里子であった妻の頭を撫でた。
「もう、すっかりお母さんの顔だね」
「それを言うなら皐月は新米ママ通り越して、ベテランの保母さんみたいだね……」
「そう見えるだけだよ」
小さく笑って、大人しく撫でられている彰子を見る。少し唇をむすっと尖らせ、頬をほのかに染めた表情。いくつ歳を重ねても可愛いと思う。君はあの頃とあんまり変わってないね。
我が子が起きるまでの間。ゆっくりと、婦妻の時間が流れていく。
どんなに己が変わろうと、この遊園地は変わらぬ姿のまま出迎えてくれる。
ノスタルジーを味わいたくて、親になってからまた来た人も多いんだろうな。
また、いつか3人でここに来ようね。
彰子に伝えて、私たちはそっと小指を絡めた。
こちらではお久しぶりです。
2人の間に子供が産まれたらこんな感じかなと想像しながら書きました。
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