第2話 つきまとわれた
三度目にエルチェが彼に会ったのは、チョコレートの事件から一週間ほど後のことだった。
早朝、ジャガイモの収穫作業を手伝い終えたエルチェは、学校に行くのが面倒になって、用水路沿いをのたのたと歩いていた。小さな橋に差し掛かったところで人影に気付いて足を止める。手すりもないその橋の中ほどで、ダークブロンドの少年が、足を川面にぶらつかせて座っていた。
すぐにエルチェに気付いて「やあ」とかなんとか言う。
「学校じゃないの?」
「そっちこそ」
「僕はサボり」
にこりと笑う顔は美少年と言っていいだろう。アイスブルーの瞳は、相変わらずひやりと冷たい空気を纏っているけれど、彼はエルチェのように怯えられることはないに違いない。小柄で細身で、女子がキャーキャー騒ぎそうだなとエルチェは思った。
「初めての不良行動か? やめとけよ」
「違うけど、一緒するはずだったツレが風邪ひいちゃってさ。暇なんだ。君、暇なら付き合ってよ」
「はぁ?」
何を考えているのかわからなくて、エルチェは足早に橋を渡ってしまおうとした。関わらないのが一番のような気がしたのだ。
「ただでとは言わないよ。君、ちょいちょい稼いでるんだって?」
その行き先に腕を伸ばして、少年はエルチェの足を止めさせる。軽く揺らされた指先には銀貨が光っていた。
「それが?」
「僕が雇おう」
「は?」
にやりと笑う表情は、断られるなどという字は辞書にないと告げている。
「金持ちなんだな」
小さくため息をつくと、エルチェは少年の腕を跨いで先に進もうとした。
「あれ。いらないんだ。そっか」
エルチェが思ったよりも軽やかにそう言って、少年は銀貨を持った手を振りかぶった。綺麗な軌道を描いて川へと振り抜かれた手からコインが離れて、ポチャリと水に沈んでいく。
「……なっ」
「君のために用意したものだから、君がいらないなら僕ももう要らない。惜しいと思うなら拾えばいいよ」
楽しそうに笑って言える神経が解らない。
これだから金持ちは……!
ぎっとひと睨みしたエルチェだったけれど、彼はそれに怯む様子もなく笑っている。
「金持ちの自己満足な遊びに付き合う気はねぇよ」
「なるほど」
ピクリとも変わらぬ表情に普通の金持ちとも違う何かを感じる。
めんどくせぇ……
結論に達して、エルチェは無視を決め込むことにした。前に向き直って、そのまま歩き始める。
背中で少年が立ち上がった気配を感じていた。
用水路から川へ出て、そこから海まで下ろうかとも思ったエルチェだったが、背後に少年がついてきていて、どうも落ち着かない。結局、真逆の人の目のある方へと足を運んでいくうちに、サボるはずだった学校へと着いてしまった。
まあ、これで諦めて帰るだろうと校内へ進んだのに、少年は予想に反してまだエルチェの後ろをついてくる。
「いいかげん、うぜぇんだが」
授業の始まってる時間で、玄関は静かなものだ。人の目もない。
人混みでは普通に話しているだけでもエルチェが少年をやり込めているように見えてしまう。だから彼は、黙って後をついてきた少年を今までひたすら無視していたのだ。
少年はふふん、と鼻で笑うとわざとらしく首を傾げる。
「なんのこと? 行く方向が同じだったんだね」
「うるせぇよ。ここはお前の学校じゃないだろ」
「転校してきたのかも」
「ねぇよ」
スッとアイスブルーの瞳が細められた。
「全校生徒の顔を覚えてるの?」
「覚えてなくとも、お前みたいに特徴的なやつが転校して来たら、絶対誰かが騒ぐだろ」
「君も大概特徴的だけど」
「ほっとけよ。いいからもう帰れ。路地裏の連中とこれ以上拗れんのも迷惑なんだよ!」
「そうなの?」
キョトンとした顔にイライラがつのる。
「別に、気に入らないなら潰しちゃえばいいじゃない」
「それなりにバランスが取れてるとこに手を突っ込んでも、碌なことにはならないんだよ。こっちに手出ししてこなけりゃ、かかわる気はないんだ。焚きつけるようなこと言って、俺を罠にでも嵌めようってのか? お坊ちゃんはおうちでママの――」
「エルチェ?」
大人の声がして、エルチェはうっかり舌を噛むところだった。
振り返れば、教頭先生と農業組合長が呆れた顔をして立っていた。
「なんだこんな時間に。誰と話してるんだ? とっくに授業は始まってるぞ。早く教室に――」
教頭はエルチェに近づくと、その大きな体の影になっていた小柄な少年に気付いて軽く目をみはった。
「僕が迷子になりそうだったから、彼が案内して来てくれたんです。ヤニックは風邪で寝込んでいて……見学していってもいいですか?」
にこやかに少年が言うと、教頭はエルチェと少年をしばし見比べていた。
「そういうことなら……まぁ……
慌ただしく踵を返す教頭に、少年はのんきに手など振っている。
エルチェは小さく息をつくと、少年に小声で尋ねた。
「お前、何モンだ?」
「レフィだよ。よろしく、エルチェ」
握手はしなかったのに、何か細い糸が巻き付いた気がして、エルチェは無意識のうちに自分の手首をさすっていた。
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