天使の都市伝説

砂藪

本編


 天使が放棄された地区に現れる。

 そんな都市伝説を耳にしたのは二週間前のことだ。昔々、囁かれていたターボばばぁもとっくの昔に置いていかれた現代でもそれなりに都市伝説は現役だ。しかし、車と並行して走っていたターボばばぁだって、まさか、車が浮くとは思わなかっただろう。

「天使を見に行く? 本当に天使がいると思ってるのか? 今までの呪いのフロッピーとか、蛇行しまくるリニアモーターカーとか、見に行ったってなにもなかったのに、天使? いるわけないだろ」

「お前にはいつも付き合ってもらってて悪いとは思ってるよ。まぁ、今回の目的地は放棄された地区だし……ついてこなくてもいいからな」

「俺、お前と違って課題が終わってねぇからパス」

 天使なんて眉唾物、娯楽としての都市伝説でも早々に信じられないだろう。外国ならいざ知らず。天使という形態が宗教観念として定着していないこの島国では、都市の伝説にさえならないだろう。

 その天使が噂されている。

 都市伝説が流布されるのは、そこに「それらしい話のネタ」があったからだ。僕はそれを解明するのが好きだ。あいにく、僕は解決したことがないが……。

僕の祖父が遺した手記には、昔有名だった「口裂け女」の噂の発生場所と元になった「それらしい話のネタ」が書かれていて、僕はそれを読んだ時、衝撃を受けた。

「口裂け女」とは、赤いコートを着て、マスクをつけた状態で「私、綺麗?」と問いかけてくる女性のことだ。綺麗と答えると「これでも?」とマスクを外し、両頬まで裂けた大きな口が顕になり、鉈を持って追いかけて来るという都市伝説。

 ポマードと三回唱えると逃げるだの、鼈甲飴べっこうあめが好きだの、足がめちゃくちゃ速いだの、様々な場所で様々な解釈ができているが、僕の祖父の調査によると自傷癖のある精神患者が精神病院から抜け出して徘徊していたのを近隣住民が発見し、その女性の口元が自傷癖により裂けているように見えたという噂が面白おかしく……いや、この場合は怖くおぞましく改変された結果、口裂け女ができたのだと結論づけていた。

 その祖父の手記を見た瞬間「答えがなかった都市伝説に対して、答えを見つける」という行為にとんでもなく僕は魅了されてしまったのだ。

 そんな僕は、友人が必死に課題に励む中、僕はこうして、コンクリートと鉄骨が剥き出しになったまま、放置され、アスファルトも所々剥がれている地区に足を踏み入れる。ここも、世の中が落ち着いてきたり、新たな問題が浮上したりしたら、徹底的に壊されてなかったことにされて、新しいクリーンな居住区になるのだろう。

 昔のものはすぐに淘汰される。呪いのフロッピーも今ではそれを扱える機材がないということで見つけたとしても検証が不可能だった。都市伝説もこうして、古いものは淘汰されていくのだろう。丁寧に部屋に保管されるアンティークみたいに、噂は保管できない。

 僕が生まれる前にはどれだけの都市伝説があったんだろう。

 そんなことを考えて、少し切なくなりながらも、二輪車を置いて、しばらく放棄された地区を歩いていた。

「おっとぉ! ちょっと待って、どいてどいてどいて~~~!」

 ふと、だんだん近づいてくる声に顔をあげると、目の前には誰かの靴の底があった。


                 *


 気が付いたら、僕はビーッと規則正しい電子音が響いている白い部屋にいた。

「ごめんね。まさか、人がいると思わなくって!」

「いや……」

 靴で踏まれた顔を水で洗い、タオルで拭きながら、用意された椅子に座る。頬にできた擦り傷を手当てしてくれた少女の背中には真っ白な翼があった。

「それより、どうして、僕の顔を……」

「飛ぶ練習をしていたの!」

「飛ぶ練習?」

「ほら、ここってビルがたくさんあるでしょう? だから、飛ぶ練習!」

 人間が単体で空を飛ぶのは、たいていの人間の理想とはかけ離れた結果になったため、今日こんにちではあまり研究されていない。その代わり、車は浮いた。それに、人間が翼を持っていたとしても、翼を動かす筋肉の問題もあって、飛ぶことが不可能だと僕は思っていたのだが……。

 見れば見るほど、彼女の背中にある翼は本物のように思えた。翼を模した飛行装置などではないだろう。

 そして、先ほどから気になっていた彼女の後ろにあるベッド。

 そのベッドでは生命維持装置に繋がれている老人がいた。

 僕がその老人を眺めていると彼女は嬉しそうに笑った。

「私のことを作ってくれた博士! 博士は私が空を飛ぶのを楽しみにしてくれてるんだよ? 初めてできた天使の成功例だから、きっと飛べるはずだって!」

「博士……」

 確かに白い部屋を見回してみれば、名前も分からない電子機器がいくつもあった。どんな風に、なんのために使うのかは分からない。

「じゃあ、君は……人間じゃないってこと?」

「うん! 死体から作ったって博士が言ってたよ!」

「死体……」

 死んだものが意思を持って、現代に存在している。

 それって、幽霊とどう違うんだろう。

「私、博士と約束したの。博士が死ぬまでに私が飛ぶ姿を見たいって言うから、絶対に私が飛ぶ姿を見せてあげようと思って、毎日、ビルから飛んで、ちゃんと飛べるように練習してるの」

 実態を持つ幽霊に会えた。都市伝説の天使の正体に会えた。

 僕の胸は達成感と高揚感で満たされているはずだった。

 いや、実際、僕と彼女の出会いは素晴らしいものだっただろう。

 ビーッと。

 老人の生命維持装置が、ずっと。

 おそらく僕が目を覚ます前からずっと老人の死を示していなければ——。

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天使の都市伝説 砂藪 @sunayabu

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