忍ぶ恋こそあはれなれ
水谷一志
第1話 SideーA
一
私にとって恋愛とは、遠い異世界で行われているものだった。
社会人二年目であるにも関わらず、最低限で済ませる化粧っ気のない顔。それに丸眼鏡。こんな私は男性には選ばれない。それに私の方から選ぶ気も権利もない。そう思っていた。
そう、満開の桜の花びらが散り、葉桜になる頃までは。
私、平良優香(たいらゆか)が勤めているのは知的障碍者の方が住んでおられる入所型施設。入所型なので夜勤も伴うハードな仕事だ。もちろん入所の方の話を聴いたり、レクリエーションの計画を立てたりするのも私たちの仕事の内だが、中には介護が必要な入所者の方もいらっしゃる。そうなると身長が150cmもない私にとって酷……であると一般的には捉えられがちだが、それでも仕事は楽しい。
一応私は介護福祉士と社会福祉士の資格を取得している。中でもこの社会福祉士という
のは福祉の世界では幅が利く資格で、よく友達からも、
「優香は資格活かして転職した方がいいよ~それこそ相談員とか?」
などと言われるがやっぱり私は現場重視派である。
今は五月。先月の四月には利用者の方と近くの桜スポットに行き花見を終えた所だ。その前、三月の終わり頃から満開の桜は楽しみではあった……のだが、私個人の楽しみよりもまず利用者がどうそんな桜を楽しめるかを考えてしまう。足の不自由な方もおられるので車椅子はその場でどこまで使うことができるか?一般的に言えばバリアフリーにはなっているか?あと綺麗なピンク色を写真に収めて後で利用者のみなさんと共有したいな。でもこの空気感までは収めることはできないので来ることができない方にはちょっと辛いだろうな……。学生時代はこのような私ではなかったが、社会人一年目の途中からは常にこういう考え方をしている。私はそれを寂しいと感じるより、福祉に携わる社会人として誇りに思うようにさえなっていた。
そんな私が、こんなに変わってしまうなんて。
心まで、桜色に染められてしまうなんて。
「今年度よりこちらの施設に配属となった、相谷和馬(あいたにかずま)です。よろしくお願い致します」
彼の自己紹介の時には夢にも思わなかった。
二
まあ彼は確かに異世界からやってきたようなルックスだった。社内規定により黒髪ではあるものの長髪。それも少しアシンメトリー気味である。また背の高さが彼のおしゃれ感を倍増させている。かといってナルシスト然とはしておらず、語り口はいたってソフトだ。これは、モテるタイプだろうな。しかしその時の私はそんな程度の感想しか持ち合わせなかった。
ただ、たまたま彼と一緒の持ち場になった時。
「ちょっと失礼しますね……、あっ!」
彼が、運んでいた介護用の紙パンツの段ボール箱を勢いよく落としてしまう。
私たちの施設には介護度の高い利用者の方もいて、介護用品の使用は日常茶飯事だった。
……そんなことはどうでもいい。問題は、一見完璧そうに見える彼がバランスを崩してものを落下させたことだ。
「どうしました相谷君?」
「いえすみません田野主任。ちょっとバランスを崩して段ボールを落としてしまいました。幸い周りには誰もいなく怪我人はいません。特に利用者の方も大丈夫です。ただ、平良さんには恥ずかしい所を見られてしまいましたが」
その後の彼の対応は完璧だった。状況を主任に簡潔に説明し、おまけに自虐ネタで話をまとめる。この対応こそ、彼のルックスにふさわしい。
「そうですか。まあ注意してくださいね」
「はい。ありがとうございます」
そう言って主任が去った後、
「すみません平良さん。僕、昔からそそっかしい所があって、おまけに不器用なんです。まあ、スポーツはできなくはないのですが……、手先が器用でなくて」
それが彼との最初の会話。その時私は、不覚にも彼を「かわいい」と思ってしまった。
完璧すぎる彼が見せるギャップ。それをたまたま見てしまった自分。
恋をするには絶好のシチュエーションに、私はまんまとはまってしまった。
それは、ピンク色の桜が少し散り始め、葉が見え始める頃のことであった。
三
しかし、私が恋をしたところで……、どうなるというのだろう?
今まで恋愛経験値ゼロの私だ。いくら頑張ったところで彼に想いが届くとは思わない。
それどころか逆に迷惑だ。彼に寄ってくる異性なんて山ほどいる……はず。そんな人たちがもし彼と私が付き合っているのを見たらどう陰で言うだろうか?
「彼とあいつじゃ釣り合ってない」
「何であんな奴と……!?」
そうなるのが関の山だろう。
そう、私の恋愛に対する扉は頑丈に閉じられていた。そんな状態から無理矢理こじ開けて外の世界に出たところでうまく行ったらとんだサクセスストーリーだ。世の中そんなに甘くはない。それは分かっているんだけど……、人間の心はそんなに簡単に割り切れるものではない。
ある日の朝、私は夢を見た。そこは職場の近くか何だか分からない所で、なぜか私は彼と二人きりだ。
「あ、あの……」
そのシチュエーションに緊張しながら私が彼に話しかけようとする。しかし言葉がうまく出てこない。
これが今まで男の人と付き合ってこなかった罰か、なんてことが頭の中を少しよぎる。
そうこうしているうちに夢の場面が変わる。彼と二人きりなのは変わりないが、そこにはなぜか満開の桜。ピンク色の花びらが緩やかな風に吹かれて舞い散る。
「……」
それでも私の口からは何も出てこない。すると彼の方から何か言いたそうな様子で、彼が口を動かすのだが……。そこで声が聞こえなくなる。さらに読唇術が使えない私は本当に彼が何をしたいのか分からない。
そんな中途半端な状態で、目が覚めた。
気づいたら私の目の前に見慣れた天井。女子の割には殺風景な部屋に私は引き戻される。そして私は気づく。これはいわゆる「忍ぶ恋」。決して誰にも言えない恋だということだ。
私が告白したって無駄なことは分かっている。でも、人を好きになる権利は誰にでもある。これから私がもっと綺麗になって、いつか想いを伝えられる日が来るといいな……。そんなことを夢見てしまったが、一体それはいつ来ることやら。
ただ、古典では誰かが夢に出てくるということは、その誰かが私のことを想っているということらしいのだが……。
そんなわけないか、と心の中で思う。
今日も出勤。私の家の近くには、綺麗な葉桜になった木が植わっている。
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