鹿も鳴かずば撃たれまい
三村小稲
第1話
元町商店街の頭上に下がる鈴蘭を模した街灯と、洋品店や西洋菓子の店などの飾り窓を眺めながら西へ進めば三越、市電に乗らずとも湊川神社を通りすぎて歩みを進めれば、そうすれば新開地はすぐだった。
新開地は映画館や芝居小屋が何軒も並ぶ一大歓楽街としてその名を馳せていたが、ひとつ通りを裏へまわればごく平凡な人々の生活の場が隣接しているという不思議な町でもあった。
さらに言えば遊郭のある福原、花隈の置屋や茶屋の界隈も目と鼻の先で、そういったいわゆる玄人粋人の行き来するのをあてこんだ商家もさまざまに立ち並び、ある種独特の雰囲気を醸し出していた。
腰掛けの料理屋はもちろん、気の利いた料亭、支那料理、洋食、カフェ―に至るまですべてが混然一体としている。欧米の一流の建築家の手になる領事館やオリエンタルホテルが、当たり前の瓦をふいた日本建築の中にはまりこみ、それでいて決して違和感がない。明治の開港以来、いち早く外国の文化の波に洗われ、外国人居留地が形成されて人々の間に素早く浸透し、尚且つ醸成していった町……それが神戸という山と海に囲まれた町の姿だった。
その中にあって新開地というのは神戸の中心として栄えており、笹倉伸久の店も本通りから少しはずれたところではあるもののそれなりに賑やかな町の恩恵に預かっていた。
伸久はあまり裕福でない家の五人兄弟の末っ子で、到底上の学校へあがることはできず小学校を卒業するとすぐに大阪の名のある料亭に働きに出された。所謂丁稚奉公である。
伸久は年の離れた兄たちからいじめられるのを避ける為に幼い頃から人の顔色を読むのが上手く、目端が利いて、手先も器用だったことから、掃除や洗い場での雑用、ちょっとしたお使いにしても他の小僧たちと違って覚えが早く、また、真面目で骨惜しみせず働くことから板場での修行を許されるのも早かった。
さらにそういった性質だけでなく、伸久が他より抜きんでることができたのは非常に優れた味覚を持っていたせいもあった。
何が彼をそのように育てたのかは、分からない。母親の作る飯は当たり前の家庭の惣菜であったし、それが格別にうまかったわけもない。むしろ倹しいものであった。にも関わらず、伸久は簡単な惣菜ひとつ作らせてもある種の妙味とでもいうのか、風味を出したし、初めて口にするものであってもその味付けだとか成り立ちだとかをすぐに理解し、再現することができた。
そのことにいち早く気がついた料亭の板長をはじめ、主人、お内儀に至るまでが伸久の才を育てんと欲し、これをひとかどの料理人へと仕立てた。
成人する頃には伸久は板長の片腕となりほとんど仕事を任されるまでになり、大阪界隈の会社社長、その夫人たちにまでも覚え目出度く、存分に腕を奮うまでになっていた。
そのまま勤め続けることもできたが、いずれは独立して自分の店を持つことを目標としており、その際には故郷でもある神戸でと伸久は決めていた。
依ってこつこつと給金を貯め、腕を磨き、そろそろという頃。伸久は四〇歳も目前という年齢になっていた。
その前にも船場の商家の大旦那から独立の為の出資の申し出などもないではなかったのだが、伸久はそれらをことごとく断り、あくまでも独力で一軒構えようと思い思いしてきたので、結果、結婚もせずにその年齢まできたのだった。
出資を受ければもっと早くに独立することはできたろうが、そうするとどうしたって義理が生じるし、思うように料理ができないというのが伸久の考えだった。
それに、外国人が当たり前に行き来する港町神戸という地に育った伸久は、行きがかり上、奉公先で純粋な日本料理の修業をしたが、いずれ将来は日本も西洋もこだわりなくとりいれた美味いものを出す店をやりたかったので、「自由」も資金同様に必要なものだった。
だから伸久が新開地に二階は寝起きする為の二間、一階に腰掛け八席と障子を立てた小上がりのあるこぢんまりとした店を持った時に、屋号にはこれといって何料理とは謳わず、藍色に白で控えめに染め抜いた「ささくら」の文字だけの暖簾をあげたにすぎなかった。
当初このあっさりとした暖簾は近所に茶屋の多いことから、同じ手合いかと随分誤解されたものだが、煮炊きの匂いからしていかにも素人のそれとは違うこと、魚屋や酒屋の出入り、男一人の地味な暮らしぶりなどから次第に「あそこは料理屋らしい」ことが知れ、伸久もまた大阪で培ったお愛想と元は地元神戸の産であることの強みで口さがない茶屋の女どもはもちろん、そこへやってくる客たちを次々と自分の店の愛好者にしていった。
無論、お愛想だけで客のつくものではない。ましてや、新開地に立ち並ぶ料亭から鮨から、洋食にいたるまで界隈の美味い物を知りつくした人間ばかりである。本当にうまいもの、気の利いた料理を出すことができなければ認められたものではない。「ささくら」が新開地にできた相当なうまいもの屋であることが知れ渡るのにそう時間はかからなかった。客たちは皆、年齢に比せず若くみられることの多い伸久を「のぶさん」と呼び、親しんだ。
殊に、童顔ではあるが鼻筋の通った、切れ長の涼しい目とおっとりとした物言いはお座敷の前に腹ごしらえに立ち寄る芸妓たちからももてた。
伸久の人生はそれなりに充実していた。相変わらず独り身ではあったが、独りの自由というものがあり、気ままな暮らしが気に入って恐らくはこのままずっと独りなのだろうと思ったし、そしてそれがまたちっとも寂しくもなく、いっそ清々しいような気さえしているのだった。
しかし、である。そんなことを言っているのは当人だけで、傍の者にしてみればいつまでもいい年をして妻帯しない伸久に気を揉み、見合いの話を持ち込む者が多数あるのもまた事実だった。
伸久にしてみれば、独り身とはいえ身の回りのことはすべて自分でできたし不自由はなかった。店の方は皿洗いや雑用全般の為に新開地本通りから一つ横道に入ったところにある口入れ屋からの紹介で音吉という少年が長田の方にある家から通ってきていて、仕事の面でも不自由は感じていなかった。
それでも灘の名だたる酒蔵の旦那衆までもが「ええ話があるんやけども」と持ちかけてくるのを、伸久は「またか」と半分はうんざりしながら、しかし決してそれを表には出さずに曖昧に「はあ」とか「へえ」とか笑ってやり過ごしていた。
そんな様子を「
伸久が妻帯しないことに、彼らが言うような格別な理由があるわけではなかった。
それはもういい年をした男であるから、まるで女を知らないわけではないのだが、といって女に執着する気持ちはほとんどといっていいほどなく、人々が噂するような「想い人」などこれまでにいた試しもなかった。
周囲がやきもきするほど、あれこれと差し出口をするほど、伸久の気持ちはしんと冷えていくような気がした。
まあ、いずれそのうち。そんな言葉でお茶を濁して日々が過ぎて行くのも、時として伸久には何やら愉快なことのように思えてくるのだった。
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