第14話 休日

「改めて見ると海と山しかねえな」

「そう? 私はいいと思うけどな」


 星都の言うとおり水戸市は面積の多くを自然が覆っている。

 俺たちのいる場所は新都よりなので山でも海でも行こうと思えば行ける位置にいる。水戸市の交通は船と電車がある。使うならこのどちらかだが。


「海路は論外だな。船に乗っちまったらそれこそ逃げ場がねえ」

「となると陸路になるが、駅は当然監視されてるだろうし。やつらの目を欺いていくなら山を突っ切るしかないんじゃないか? どうだろう?」


 連中だって逃亡する可能性を考えていないわけがない。なによりこの二つはあからさまだからな。先に手を打たれてるはずだ。


「うん。それが賢明かな。でも、それが一番マシってだけで、絶対安全ってわけじゃないから気をつけて進まないと」

「星都や力也はどうだ?」

「ま、それくらいしかないだろ」

「僕もそれで賛成なんだなぁ」

「分かった」


 それから山を歩いて越えることに決まりどこから行くか地図を見ながらみんなで話し合った。それで行くなら夜中、道路や山道とかではなく整理されていない山を突っ切るということで決まった。これも追っ手を巻くためだ。


「魔卿騎士団の勢力圏はこの水戸市だけで大丈夫なんだろうな?」

「断言はできないんだけど、おそらくそうだと思う。さすがに周辺の町まで支配下に置いてあるとは思えないし、それをするならこの町を舞台にした理由も薄いし」

「俺もそう思う。というか、そう思いたい」


 もし逃げた先にまで魔卿騎士団の手の内だとしたらこの計画は詰んでいるし、俺たちにはこれしかないんだ。過信は厳禁だが疑っていても始まらない。


「仮にそうだとしても、また逃げるだけのことだよ。なにもしないよりはマシなはず」

「沙城さんの言うとおりだ」

「分かった。それで用意するものは? コンパスとかはいるだろ。逃げるために山に入って遭難しましたじゃ本末転倒だぞ」

「そうだな。夜中だし懐中電灯とか。それなりに用意するのはあるか。それなら荷物を運ぶためにリュックとか必要じゃないか?」

「聖治君。今は逃げることを優先した方がいいと思う。持って行きたい気持ちは分かるけど、買えるものは置いておいて、身軽な方がいいかなって」

「そうか、それもそうだな」


 衣服とかそれなりに運ぶものはあるかなと思ったけど、山道だしなにより追われるんだ、動きやすい方がいいか。


「じゃあリュックサックはともかくとして他は? 山を越えるのに必要な道具って俺は持ってないんだが、星都や力也は?」

「俺にそんな趣味があるって話したことあったか?」

「ごめんね、僕もないんだなぁ」

「それもそうか」

「じゃあ買うのは明日にするか? スパーダ探しも兼ねて新都のデパートで買い物でいいだろ」

「それでいくか」


 そうして俺たちは一旦寮に戻り明日買い出しとスパーダ探しをすることになった。


「聖治君、待って」


 星都や力也が図書室から出て行く。俺も後に続こうとするが沙城さんから呼び止められた。


「あのね、聖治君が一緒にスパーダを探してくれるって言ってくれてとても嬉しかった。ありがとうね」

「そんな。俺だって沙城さんにはいろいろ助けてもらってる。感謝をするのは俺の方だよ」


 そう言うと沙城さんは嬉しそうに小さく笑った。


「聖治君に記憶がないって言われた時、私一人なんだってすごく不安になって、胸が締め付けられる気持ちだったんだ。でも、聖治君はついてきてくれるって言ってくれた。それに皆森君や織田君まで。一人だと思ってたのに今では四人に増えてる。もしかしたら順調なのかもしれない。一瞬、そんな風に思っちゃった」


 仲間が増えるっていうのは心強いよな。沙城さんが少しでも安心してくれたなら俺も嬉しい。実際星都や力也の同行は俺も嬉しかった。


「それでね、私たちのことなんだけど」


 沙城さんは周りに人がいないか確認している。


「本当はね、聖治君と一緒にスパーダを探して、二人で持ち帰る予定だったんだ。でも、聖治君にはその記憶はない」

「うん……」

「たぶん、私がいくら話しても難しいと思う。でも信じて欲しい。私たちには帰るべき場所があることを。全部が終わって逃げ切ることができたら、そのことを話そうと思う」

「うん、分かった」


 沙城さんの事情、俺が忘れているという俺の事情。それがほんとのことかどうかは分からない。それよりも今は脱出に集中しなければいけない時だ。

 だから、全部が終わったら話を聞こう。俺が果たしてなにを忘れているのか。

 もしそれを思い出すことができたなら、そこから俺と彼女の本当の戦いが始まる。

 俺は、不思議とそんな思いを感じていた。

 彼女とは初めて会ったとは思えない。それと同じくらい強い気持ちで。




 時刻は深夜となり上空を深い闇が覆っている。水門(みなと)市中心部では高層ビルが立ち並び、地上では夜空の星々が降りて来たかのように光り輝いている。未だに眠らない人々がスクランブル交差点を行き交い、車道では幾つものランプが停止しては駆けて行く。

 そんな街の一角、高層ビルの屋上に一人の男が立っていた。年齢は二十代の前半か半ばで、全身を覆う純白のコートに身を包んでいる。肌は雪のように白く、対照的に髪は燃え上がるほどの金髪をしていた。

 男は夜景を無言で見下ろしているが、その姿勢には人並み外れた威圧感と気品があった。整った鼻筋、固く結ばれた口元、そして、氷細工のような冷徹な瞳。

 そして、片手には一本の刀が握られていた。

 そこへ来訪者が現れる。背後の暗闇から、それがドアであるかのように音もなく姿を現した。


「あら、待ちきれないって感じね」


 現れた人物は全身を覆う黒の外套(がいとう)で身を隠し、フードで顔も覆っていた。見えるのは紫色の前髪と、妖艶(ようえん)に結ばれた唇、すっと伸びた鼻筋である。体型は細く、にも関わらず胸元は外套でも隠せないほどに膨らんでいた。


「いよいよね。七人目が現れ、これでセブンスソードは開始。この街で殺し合いが起きる。あなたにとっては待ちに待ったイベントですもの、心待ちにしていた分、逸(はや)る気持ちを抑えるのも大変みたいね」


 背後から現れた女が男の隣に並んだ。


「皆あなたに期待しているけれど、せいぜい頑張って頂戴ね。どたばたの群集劇なんて見たくはないもの。周りはあなたから見れば小物ばかりなのだから、余裕ぐらい見せて――」


 女性は澄んだ声で話すが、そこには妖美(ようび)な色気が混じっていた。男なら誰しもが引き寄せられるだろう。

 しかし、男は鞘から刀を抜き放つと女性の首元に切っ先を向けたのだ。


「……どういうつもりかしら」


 己に切っ先を向けられるという無礼に女性は機嫌を傾けていく。怒気(どき)すら滲ませた口調で男に問い質した。

 その問いへ、男が初めて口を動かす。話すことすらも億劫(おっくう)だと言わんばかりに、吐かれた声には呆れに似た念が込められていた。


「口のうるさい女は好かん。立ち去れ」


 重い、それでいて芯のある声だった。


「そう。私なりの声援だったのだけれど、残念ね。邪魔をしたのならば申し訳ないわ。ただ、こうして足まで運んできた女性を帰すには、些か以上に礼儀がなって――」

「エルター」


 そこで男が二度目の口を開く。エルターと呼ばれた女性は口を噤(つぐ)むが、それは男の発言に乱入されたからではない。

 月光に照らされた白銀の光が闇夜に翻(ひるがえ)る。その後、斬気(ざんき)を湛(たた)えた刀身が再びエルターの首元に固定されていた。

 彼女の目の前で、自身の前髪がぱらぱらと落ちていく。美しい髪が夜風に運ばれて消えていくのをエルターは無情に見つめる。


「頭が悪い女も好かん。立ち去れ。そう言ったはずだ」


 重苦しい声が二人の間に響く。エルターもそれ以上は口にすることはなく、不動のまま無言で喉元の刀身を見下ろす。

 エルターは恐怖で動けないわけではない。むしろ今の高速の剣術すら見切った上で躱さず、微動すらしなかったのだ。それだけで彼女の胆力(たんりょく)が並外れたものであり、相当の修練(しゅうれん)を積んだ者だと察するに余りある。だが、彼女が不動を保つその裏で、心は僅かな苛立ちを感じていた。


(こいつ……)


 エルターは目線を刀から男に向ける。そこには依然として街を見下ろし続けている男の横顔があった。男は一度たりとも街から目を離していない。すなわち、一度もエルターを視認していないのだ。文字通り眼中にない。意中の外であり、関心など欠片もないと言外(げんがい)に告げていた。

 エルターにしては、刀を向けられるよりも、むしろその態度の方が気に入らなかった。


「分かったわ、これ以上嫌われる前に消えた方が良さそうね」


 そう言い残し、エルターは一歩後ろに下がり刀身から距離を置くと、身を反転させ歩き出した。そのままここから姿を消すその間際、今も街を俯瞰(ふかん)し続ける男に言葉をかける。


「それじゃあね。健闘を祈っているわ、未来の団長――魔堂(まどう)魔来名(まきな)」


 その言葉を最後に、姿も声も現れなくなる。この場は数分前の静けさを取り戻し、男を取り残したように夜は過ぎていく。

 男は物静かな佇まいを保ちながら、何かを待っているかのように街を見下ろし続けている。

 淡々と過ぎていく時間の中、男はなおも無言で佇まいを崩さない。だが、独り言どころか物音一つ立てないこの男が、胸中では氷塊(ひょうかい)を溶かすほどの熱情を噴出(ふんしゅつ)させていると誰が知ろう。

 彼は無言の中、灼熱の心境に立っている。平静を装いながら、内では猛り叫んでいる。


 ――強くなくてはならない。


 誰に語ることもなく、己に言い聞かせるわけでもなく。


 ――力が欲しい。


 無言の外装を破り捨て、今にも生まれ出んほどの熱情。無音の出で立ちすら、まるで津波の前兆、嵐の前の静けさのようだ。

 そうして、安寧(あんねい)のまま夜は過ぎ去っていく。彼方の空が白み始め、地平の底から光源が現れる。そこで、


「……フッ」


 男は、はじめて小さく笑うのだった。

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