第52話 アルヴィラにて

「……やっと君と話ができる。魔獣のことが片付いたら話したいと思っていたのに、こんなにすれ違ってしまった」

「そうですね。でも今日は夜まで屋敷に戻るなと言われているので時間はたっぷりあります」



 何となく気恥ずかしくて、ユーリ様から目をそらして店内を見回した。お客さんが誰もいない閑散としたフロアの奥のキッチンで、おばあちゃんが料理をする包丁の音だけがトントンと響く。



「……ずっと、君に謝りたかった」


「謝る? 私にですか?」


「そうだ。俺はリカルドを名乗って、君のことをずっと騙していた。君は誠実に辺境伯夫人としての役割を果たそうとしてくれていたし、俺のことを本物のリカルドだと思って尊重して大切にしてくれた。それなのに、俺は君の気持ちや誠意を踏みにじった」



 そう言うと、ユーリ様はテーブルに頭がぶつかるんじゃないかというほど深く頭を下げた。


 確かにユーリ様はリカルド・シャゼルと名乗り、私のことを「愛するつもりはない」と言って遠ざけようとした。だけど今思い返せば、ユーリ様の言動の理由はもう大体察しがついている。


 初夜に「愛するつもりはない」と言ったのは、私のことをソフィだと勘違いしたから。月に照らされて私の顔が見えた途端、焦って「愛するつもりはない……」なんて付け加えて誤魔化したのだと思う。

 優しさを見せたと思えば急に突き放された。その理由だって今なら分かる。私に優しくしようと思っても、リカルド様の身代わりであるという負い目がユーリ様を縛っていたのだ。



「ユーリ様。そのことはもう気にしないで下さい。良くも悪くもリカルド様のせいで、もうどうでも良くなりましたから」


「許してくれるのか?」


「ふふ、全部リカルド様がユーリ様を振り回していた結果だと、心の底から理解しました」


「…………ありがとう、リゼット」



 かすれた声でユーリ様が言う。



「あいつは悪いやつじゃないんだがな……」

「でも、良い人でもないと思いますね……」



 リカルド様のことを話しながら、私たちは同時に深いため息をついた。



「そういえばウォルターが、君がロンベルクに来た結婚式の日に、リカルドが作った薬を使って失踪を手伝ったとか言っていたな。もしかしたら、その薬って」

「きっと神父様に盛ったんですね。確かにあの教会は寒かったのですが、神父様は厚着でしたし倒れるような寒さではなかったですもの」

「ウォルター……リカルドに上手く利用されてるな」

「妙に参列者が少ないのも気になったんです。リカルド様が失踪するために、騎士団の皆様は大半眠らされていたのでは……」



 リカルド様がどこまでの未来を見越して行動していたのかは分からないけど、あの結婚式で神父様が倒れた混乱のおかげで正式に結婚が成立していなかったと聞き、拍子抜けしたけれど内心ホッとした。

 これで初めて私たちにまとわりついて離れなかった『身代わり』という呪いから解き放たれた気がしたから。



 おばあちゃんのいるキッチンの方から美味しそうな匂いが漂ってくる。私は目の前にあるティーカップから、お茶を一口頂いた。



「リゼットとリカルドの結婚が成立していなくて良かった」


「私も、心からそう思います……」


「これで、君に正式に結婚を申し込めるから」


「……え?」



 ティーカップを置いた私の左手を、ユーリ様が両方の手のひらでそっと包む。



「もう、リゼットも察していることとは思うが……この『アルヴィラ』で君に会った時から、ずっと君のことを想っていた。どんな苦境でも明るく、前向きに振舞う君に惹かれた」


「ユーリ様……」


「地位や身分にとらわれて卑屈になっていた俺に、リゼットは幸せをくれたんだ。君のいない人生はもう考えられないし、俺もリゼットを幸せにしたい。リカルドの身代わりなんかじゃない俺自身の、ユーリ・シャゼルの妻になってくれませんか」


 私の左手は、そのままユーリ様の口元へ。指先にユーリ様の唇が触れる。


 潤んだ瞳で見つめられ、ユーリ様に触れられている左手から体全体に熱が伝わっていくのが分かった。もしかしたら私への気持ちをお話してくれるのかとは思っていたけど、まさか結婚の話までとは想像していなかった。


 頭の中に、昨日のネリーの言葉が響く。



『気持ちがハッキリ決まっていないのなら、ぐちゃぐちゃのままユーリ様にぶつければいいのです』



 私の今の気持ちを、そのままユーリ様に伝えてもいいのかしら。彼なら、受け入れてくれるかしら。




「ユーリ様、私の話を聞いてくださいますか?」


「……リゼット。君の気持ちを素直に話してくれればそれでいい」


「……私は昔からお父様から嫌われていて、お母様もあの状態でしたし、途中からソフィも現れて。だから私、すごく家族が欲しかったんです。お互いに助け合って思い合える家族が欲しかったんです」



 今の私のぐちゃぐちゃのままの気持ちを、思いついたままに言葉にしてみる。もしかしてユーリ様は、明るく前向きな私を気に入ってくれたのかもしれないけど、本当の私の心はそんなに強くない。


 私の気持ちや誠意を踏みにじったんだと謝ってくれるような真面目な人だから、私もちゃんと自分の気持ちを伝えないといけない。



「だからリカルド様に嫁ぐことが決まった時も、もしかして家族になれるかもしれない、家族になれたら嬉しいと思って行きました」


「うん」


「……ユーリ様のお気持ちはとても嬉しいです。私もユーリ様の優しさや暖かさ、真面目で不器用なところもとても好きです。騎士としても辺境伯の代理としても、任務に誠実に取り組まれるところも尊敬しています。でも……私は大切な家族であるお母様を、シビルやソフィから守れなかった負い目があるのです。お母様という大切な家族を守れなかったんです」



 シビルやソフィがヴァレリー伯爵家にやって来た時に、逃げずに戦っていればよかったんじゃないか。

 苦しくても前向きに生きよう……なんて綺麗ごとを並べて生きて来たけど、苦しい状況になる前にお母様や自分を必死で守ればよかったんじゃないか。


 そうすれば、もしかしてお母様の数年間を奪われることはなかったんじゃないか。


 だから、こんな私がユーリ様とちゃんと家族になることができるのか不安なのだ。

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