第23話 毒に倒れる
翌朝のこと。
目を覚ますと、横になったままなのに頭がガンガンと痛む。風邪をひいてしまったようだった。このロンベルクの地に慣れてきて、少し油断をしてしまったかしらと、朝から反省してしまった。
ネリーを呼んでいつも通り着替えをしようと思ったのに、どうしても立ち上がれない。
「奥様、今日は横になってらっしゃったらどうですか? いつもこっそり屋敷中を掃除して働いてるからですよ。ゆっくりしてください」
「ネリー、屋敷の中をお掃除していたことは旦那様に言わないでね。こっそりやってたことだから」
「分かりました。朝食は部屋に運んでいただくように言いますのでお待ちくださいね」
ネリーが部屋から出て行った。
パタンと閉まった扉の音が、頭に響く。
(風邪なんてほとんどひいたことがないのに……)
使用人室に移ってからというもの、冬も隙間風がビュービューと入ってくる部屋で生活していたのだ。そんな部屋でも風邪をひかないくらい健康だったはずなのにと不思議に思った。
頭痛は徐々にひどくなり、吐き気もしてくる。
寒気に襲われ、徐々に呼吸も苦しくなってきた。
ネリーが部屋に戻って来て、私を見た途端悲鳴を上げた。
「奥様! 顔が真っ青です。大丈夫ですか? 旦那様がお見舞いにいらっしゃってるのでお通ししますね。すぐに医師を呼びますので!」
遠のく意識の向こうで、ネリーと旦那様の声が聞こえる。
旦那様の姿を見ようと少し頭を動かしたら、コツっと何かにおでこが当たった。
……図鑑だった。
朦朧としかけた意識の中で、図鑑をベッドに置いて抱いたまま眠ってしまったことを思い出す。
「……リゼット! しっかりしろ! 大丈夫か?」
旦那様が私のベッドの横に来て、私の手をつかんだ。旦那様の手がすごく熱く感じるので、私の手は相当冷えてしまっているに違いない。
こんなにハッキリと、うろたえずに話す旦那様を見るのも珍しいわ。
「……旦那様、朝食をご一緒できず……申し訳ありませ……」
「リゼット、朝食なんてどうでもいいから。熱はないな、呼吸が苦しいのか?」
旦那様は私の額と頬に手を当て、熱がないか確認してくれたようだ。呼吸はどんどん苦しくなって、自分の目にも胸が上下して必死に呼吸しているのがうっすらと見えた。
「私、風邪でしょうか……すごく息が苦しくて……」
旦那様が私の名前を呼ぶ声を聞きながら、私の意識はそこで途切れた。
◇ ◇ ◇
目が覚めたのは、数日後のことだった。
日の光のまぶしさを感じてゆっくりと目を開けると、旦那様とネリーが目に入る。まだ耳もあまり聞こえなかったが、ネリーが泣きながら部屋を飛び出していくのが見えた。
旦那様は私の手を握り、少し涙を拭っている。
「おはようございます……」
「……何を呑気に! リゼット、身体は大丈夫か? 何日も眠っていたんだ」
「そうですか……頭痛は治った気がしますが、ものすごく……おなかがすきました」
旦那様は泣きそうな顔で微笑んで、「何か準備させよう」と言って扉の外の人に声をかけた。
私のベッドの横から動くでもなく、ずっと私の手をさすっている。
「君は、何かの毒を摂取してしまったらしい」
「……毒を?」
「心当たりはあるか? カレンとアルヴィラのことを話した日だ。あの日に何か変わったことは」
自分に毒が盛られるなど、心当たりは全くない。誰かに恨まれるような人生を歩んだつもりもないのに……と、悲しくなりながら私は思い出した。
「あ、スミレ……」
「スミレ?」
「私の母の形見の花図鑑に、古いスミレの押し花があったんです。根や茎まで残っていたので、それでしょうか」
「スミレの毒はそんなに強いのか?」
そう問われて答えに詰まる。いくらスミレに毒があると言えども、何日も意識を失うほどの強さがあるとは思えない。
旦那様は私の手を放し、立ち上がった。
「図鑑のスミレを調べさせる。少し食べられたら、また眠って休んでくれ」
そう言った旦那様の方も顔が真っ青だった。そのままふらつきながら部屋を後にする。
「ネリー」
「はい、奥様」
「旦那様も体調がお悪いのかしら。今、ふらついてらっしゃるように見えたわ」
食事を運んできてくれたネリーは、初めこそ心配そうな顔で私を見ていたのに、ハッとしたようにニヤニヤし始めた。
「それは、奥様が呼吸が苦しそうでいらっしゃったので旦那様が応急処置をなされて」
「応急処置?」
「そうです。それで、奥様が吸われた毒を、旦那様も口にしてしまったんじゃないですかね。旦那様は毒に慣れる訓練をされてるそうですので、大丈夫だと思いますよ」
……ネリーはウィンクをしながら、私に水の入ったカップを渡した。
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