第2章 仮初夫婦の攻防
第15話 初めての外出
頭の中で、旦那様との初対面の場面を思い出す。
彼は私に向かって確かに言った。
「君のことを愛するつもりはない」
それなのに今朝はロンベルクの森に入るのに、私を旦那様の馬に一緒に乗せてくれるらしい。いくら私だって、森の中に馬車で入るとは思っていなかったけど、どうやって行くのかな? とは思った。嫌いな相手を自分の馬に乗せるなんて、旦那様も不快なんじゃないだろうか。
行きたいなんて簡単に返事をしてしまって、何だか悪いことをした気がする。今からでもお断りしようかと、馬を連れてきた旦那様に駆け寄った。
「旦那様! おはようございます。もし今日旦那様が大変でしたら、私は遠慮しようかと……」
私が全て言い終わる前に、旦那様が私の方に手を差し出した。
「え、スミレ……今日も摘みに言ってくださったのですか?」
「今から出かけるのにすまない。いつものクセで摘んでしまった……」
「ありがとうございます。では、これは押し花にします。今日はアルヴィラを探すために花の図鑑を持ってきたので、ここに挟んでおきますね」
王都から持ってきていた、母の大切にしていた花図鑑。表紙を開き、スミレの花を三輪並べてそっと閉じた。花の香りがふんわりと香り、私は目をつぶって香りを吸い込む。パッと目を開くと、いつの間にか旦那様も笑顔になっている。
「まあ、旦那様も花がお好きなのですね。笑顔をなかなか見たことがないので新鮮です」
「…………行くか」
旦那様は照れてしまったのか、笑顔を隠すように振り返り、そのまま馬の手綱を取った。こういう姿を見ると、旦那様が女の人を取っ替え引っ替えしているようには見えないのに、人というのは見た目では分からないものね。
私たちは馬の横に並んで、騎士団の訓練場の方に向かって歩き始めた。
……はずだった。
「旦那様」
「……なんだ」
「もし違ったら大変失礼なんですが、道に迷ってませんか?」
「……」
やっぱりそうだ。
先程から同じところを行ったり来たり、変な道に入ったと思ったら引き返す。
私もよく道に迷うからよく分かる。
旦那様、迷子ですね?
自分の家なのに?
「あ、いたいた! こっちよー!」
向こうのほうから女性の声が聞こえた。振り返ると、昨日お会いしたばかりのカレン様と、もう一人男性騎士が手を振っている。
迷子だった私たちは、カレン様の案内で無事に出発することができた。先導するのは男性騎士のハンス様。続いて旦那様と私、最後尾はカレン様だ。
旦那様とは今までにないほど近く、馬が歩くのに合わせて私の背中と旦那様の胸や腕が時折触れる。その度に旦那様はビクッとして体を離す。
よっぽど私のことが嫌いみたいだ。
厚着はしてきたけれど森の中は肌寒い。旦那様の体の熱が暖房のように心地良かったのに。少し残念な気持ちを感じながら、旦那様に見られないようにと思ってこっそり振り返ると、何と旦那様の鼻からつうっと赤いものが……
「旦那様! はっ……鼻血です! 少し休みましょう!」
「へっ?!」
なんだか旦那様の第一印象がどんどん崩れていくように思うんだけど気のせいだろうか。
「……リカルド! 大丈夫? とりあえず馬を繋ぐから、これどうぞ」
カレン様が私よりも先に旦那様に手当用の布を差し出し、馬を連れて行く。さすが騎士様、こういう緊急時の対応にとても慣れていらっしゃるのね。
ここに来る途中、森の中はところどころ火で焼けた跡が生々しく残っていたけれど、奥に進むにつれて戦いの跡も目につかなくなっていった。割と森の奥の方まで来たと思うけど、この辺りは元々魔獣が住んでいたとは思えないほど、穏やかで空気も澄み、神聖な空気が漂っている。
こんな素敵な場所で、ロンベルク騎士団が戦っていたなんて信じられない。
「この森に住む魔獣は全て死んでしまったのですか?」
木にもたれて座り、鼻血が止まるまで休んでいる旦那様には聞きづらいので、カレン様に声をかけた。
「全てではないわね。もう少し行くと湖があるのだけど、その湖の水で最後に残った魔獣たちは浄化することができたの。全滅させるのはさすがに気が引けてね……元は普通の動物だった子たちだから」
「そうなんですね。それでこうして、時々森に様子を見に来ているのですね」
「そうよ。浄化された動物たちが、再び魔獣化せずに暮らしているか見に来てる。いつもはもう少し大所帯で来るのだけど、今日は……リカルドが、気心しれた同期の私たちだけで行きたいっていうものだからね」
「そうですか、旦那様が……」
少し離れたところにいる旦那様は、ハンス様と談笑している。良かった、鼻血も止まったようね。なぜ急に鼻血が出たんだろう。こんなに肌寒いのに。
「ところで、リゼットさんは……リカルドのことどう思っているの?」
カレン様が小声で聞いて来た。
旦那様とハンス様に聞かれないように聞いて来たのは明らかだけど、それを聞いてどうする気? もしかして……カレン様はまだ旦那様のことを?
「どうもこうも特になくて……」
「えっ? 好きとか嫌いとか、ほら、男性としてどう思うかとか」
「旦那様とはほとんどお話したことがありませんので……それに旦那様は他にたくさんお相手がいらっしゃるかと」
私ったら。
少し嫌味だったかしら。
仮初の妻の私よりも、よっぽどカレン様の方が旦那様のことを知ってるでしょ?
「……そうなんだ。リゼットさんは、別にそれでいいの?」
このままでいいのか、嫌なのか。
そもそも私に何かを選択する余地などないのに。
一番大切なものを守ろうとしたら、私はここに来ざるを得なかった。旦那様も、国王陛下の命である結婚相手を断れなかった。ただそれだけなのだ。
自分の意思とは関係なく勝手に決められた結婚のために、旦那様に行動を変えてほしいとお願いするなんて……私にそんな権利はない。
私だって旦那様に恋焦がれてここに来たわけでもなく、ただお母様を守りたかっただけなんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます