第7話 辺境伯夫人は恐れられる
結婚式の翌日から、私のこの屋敷の女主人としての新生活が始まった。
昨日はもう少し人がいたような気がしたんだけど……なぜだかこのシャゼル家にはとにかく使用人が少ない。教会でも見かけた執事の男性の他は、屋敷内で見かけたのは三、四人程度。
他にも厨房や使用人室の方には人がいるのかもしれないが、とにかく私の周りに人がいない。
しかもその数少ない使用人たちはみんな私のことを、悪魔でも見ているかのような怯えた目で見る。
(私ってそんなに恐ろしい外見をしてるのかしら……?)
それとなく鏡でチェックしてみるが、多分ごく普通の二十歳の女性…‥よね?
菫色の髪に、翠色の瞳。お父様に似ていないこの髪は、皮肉にも私のお気に入り。髪の毛だけはちゃんとケアをかかさないようにしていたから、ツヤのある綺麗な長髪だと思う。少しカールはしているけれど、いわゆる貴族のお嬢様みたいに縦ロールでもないわよ。
怖く……ないわよね?
使用人の人数の少なさをどう思うか、ネリーにも聞いてみた。ネリー曰く、「いいえ、使用人室にはいっぱいいますよ」だそうだ。
「今リゼット様の横にあるそのお花だって、今朝使用人の方が持ってきましたよ」
鏡の横に置かれた小さな花瓶の中に、まだ朝露に濡れたスミレが飾られていた。
「これをわざわざ持ってきてくれたのに、私にお顔も見せずに帰ったの?」
「はい。なんだかすごく怯えてて、入り口のところで私に花を押しつけて走って逃げました。私が使用人室にいってもみんな避けるんです。変ですよね」
もしかして、もしかしたら。
私は旦那様に嫌われ過ぎているがあまり、使用人たちからも避けられているのかもしれない! ネリーはその巻き添えを食ってるの?
まだ何もしていないのに、ここまで嫌われるなんて……私って何か特殊な能力を持っている女なのではないだろうか。だって、女と見ればすぐに手を出すと有名な旦那様が、こと私だけに対しては「愛するつもりはない」と断言するくらいだから。
とりあえずその特殊能力がなんなのか知りたい気持ちを抑え、朝食後に執事のウォルターに屋敷の中を案内してもらった。
この屋敷は変な形をしている。上から見ると星型をしているらしい。廊下の角が直角ではなくて斜めに曲がる感じ。
結果どうなるかと言うと……道に迷う。
とにかく道に迷う。
方向感覚が全くつかめない。
昼食の準備ができたらお呼びしますからお部屋でお待ちくださいと言われたけど、自分の部屋にすら戻れない。困り果てた私は、太陽の向きでも見て方角を確かめようと、窓から外を眺めた。
初めての場所で新しいこととの出会いが続くと、疲れも溜まるけどワクワクも大きい。
愛してくれない旦那様、私を避ける使用人たち、迷路のようなお屋敷。
これまでと違う、そんな環境だって、私の気持ち一つで存分に楽しめるはずだ。
外では騎士たちが訓練をしている最中のようだった。木剣を振るい、攻撃と防御に分かれて練習している。よく見ると、女性騎士もチラホラと見えた。
(女性騎士……かっこいい!)
女性騎士が木剣で相手の攻撃を受け止める姿はとても凛々しくて、自然と彼女たちの真似をしようと手や足が動いてしまう。しばらくそうして外を眺めていると、私の後ろでバサバサと書類が床に落ちる音がした。驚いて振り返ると、そこにはあの人が立っていた。
……そう。
私のことを愛するつもりがないと宣言した、旦那様だ。
今日も今日とて、ひどく狼狽している。
書類など誰かに運ばせればよいのに、自分で大量に抱えていたらしい。落としてしまった書類を拾うのも忘れて、私を見て驚いている。
昨日の今日ですものね。さすがに罪悪感でいっぱいかしら?
「愛するつもりはない」と言われたけれど、別に私は怒っていないのに。旦那様を安心させようと思って、思い切り笑顔を作って旦那様の方に近付いた。
「旦那様、書類を拾うのを手伝いますね」
「ヴァレリー嬢……」
「もう結婚いたしましたので、どうぞリゼットとお呼びください」
「リゼット……そうだな、もう結婚したのだった」
良かった、結婚相手はソフィじゃなくてリゼットであると、ちゃんと伝わっていたようだ。落ちた書類を拾い集めて、旦那様に手渡した。彼はありがとう、と小さく呟く。
「旦那様、私のことをお嫌いなのは重々承知の上で一つお願いがございます」
「……別に嫌いというわけでは」
眉毛をピクっとさせた旦那様は、私から離れようと一歩後ろに下がった。
「実は、道に迷いました……私の部屋がどこにあるのか教えてください」
「ま、迷ったのか?」
「はい……申し訳ありません」
「そうか……確かにこの屋敷は分かりづらい」
そう言って旦那様は、何も言わずに歩き始めた。
少し行ったところで振り返り、ついて来るように目配せする。
途中で別の使用人とすれ違い、旦那様はその使用人に私を案内するように言って、立ち去ってしまった。その時私はちゃんと見ていた。彼がその使用人に、優しい笑顔で話しかける姿を。
(あんな
私に対してはどう接していいのか分からないといった様子の旦那様。でも、こうして見え隠れする優しい笑顔。
彼は一体どういう人物なのか。
それが私には分からなかった。
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