第5話 旦那様不在の結婚式

 季節はもう春のはずなのに、ロンベルク辺境伯領にはまだ雪がところどころ積もっている。雪の合間から少しだけ、黄緑色の葉が顔を出し始めているのが見えた。


 この場所は、これから本格的な春を迎えるらしい。


 このロンベルクの風景は本当に美しい。長い冬を経て、こうして少しずつ芽吹く草木や花々、雪の下から少しずつ現れる春の気配。


 不遇な時を乗り越えて必死に生き延びた命たちが、春の空気に呼ばれて輝きの場を得る。植物たちのそんな生命力の強さを感じて、私の心も自然と昂り始める。


 王都から数日かけて、遠路はるばるここまでやって来た。

 リカルド様は、ソフィ・ヴァレリーが嫁いでくると思っているだろう。だって私はいないも同然の娘で、社交界で存在を知られてもいなかったのだから。

 リカルド様はソフィと面識はないだろうから、やって来たのが姉の方でも受け入れてくれるだろうか。


 年頃の男性とまともに話すらしたことない私に、円満な夫婦関係を築くコツなど思いつくもはずもないのだけど、せめて険悪にはならないように努力しよう。


 シャゼル家についたら、私はすぐに花嫁衣裳に着替えて準備を整え、教会に向かうらしい。元を正せば国王陛下の命での結婚だから、皆抜かりなく準備を進めているのだろう。



 積もったばかりの雪のような純白の花嫁衣裳に包まれ、頭にベールと花を。


 短期間であれよあれよという間に決まったしまった結婚が、ここへきて急に現実味を増してきた。


 教会に入ると、中はこじんまりとしていて人もほとんどいない。結婚式は私たち二人と神父様、そして数人の騎士たちのみで行うらしい。きっと騎士さんたちは、この辺境を守るために配備されたロンベルク騎士団の皆様だろう。

 不思議なことに、リカルド様の家族と思しき方は参列していない。まあ、うちもだけど。


 もしかしたらあちらは、結婚することを大っぴらに示したくないのかもしれない。だって、大々的に結婚式を挙げてしまったら、浮気しづらくなるはずだから。

 彼のことは見たこともないし全く知らないけれど、私がもしリカルド様の立場ならそう考えるかな、と思った。


 あと、どうでもいいけど教会の中が寒い……!

 使用人部屋の隙間風に慣れているはずの私ですら、やっぱり寒い!


 人が出入りする時に扉を開け閉めするが、直接外につながっているから冬の冷たい空気が入って来る。こんな寒い日に、どうして私の花嫁衣裳は袖がなく、背中も広く開いたデザインなのだろうか。くしゃみをしたら、せっかくのお化粧が落ちてしまうかも。




 私がそんなどうでもいいことばかり考えているのには理由がある。



 ……旦那様になるリカルド・シャゼル様が、教会になかなか現れないからだ!



 さすがの神父様も少し慌て始めた。何だか寒さに震えて体調も悪そうだ。神父様の顔がみるみる真っ青になっていくのが分かる。大丈夫かしら?

 執事らしき初老の男性に目配せをして、まだかまだかと催促している神父様。


 かれこれ一時間ほど経っても、旦那様らしき男性が現れる様子はない。

 待つのも疲れ切って、もう帰っていいですかと言いかけたその時、長椅子に腰かけて呆然と待つ私に神父様が言った。


「……ソフィ・ヴァレリー、あなたはリカルド・シャゼルを夫として生涯愛することを誓いますか」

「は?」

「新郎が来ませんので、とりあえず貴女様だけでもと思いまして……」

「わ、分かりました。とりあえず愛することを誓いますから、屋敷に戻って着替えてもいいですか? あと、私はソフィではなくリゼットです」

「…………」


 神父様はよほど寒さにやられて体調が悪くなったのか、私の言葉を聞きながら床に倒れ込んだ。その辺にいる騎士様たちが駆け寄り、神父様の介抱を始める。


 もう、自分が想像し得る中で、最悪の結婚式だった。

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